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日本と朝鮮

 韓国と日本がおかしなことになっている。
「協定破棄」の祝砲の如く北朝鮮はミサイルを打ち上げた。日韓関係というのは昔から微妙だった。日本は明治以降から朝鮮国を征服の対象とみてきたきらいがある。西郷隆盛の征韓論が有名である。当時、行き場を失った武士階級の救済手段として朝鮮進出を主張したが、西欧を見学してきた盟友でもある大久保利通らのまだ時期が早いという反対にあって、薩摩で内乱をおこして敗れてしまう。西郷の没後20年ほどして日本は朝鮮に武力進出する。賊人だった西郷は名誉回復して上野に銅像が立つことになった。

 結局は、明治38年に韓国を併合した。昭和20年まで植民地としたのである。現在の文大統領は、そのことを日本に反省してほしいと要求しているのである。戦後74年をすぎて、もはや歴史的決着がついているのだが歯車を逆に回そうとしているから摩擦がおきて当然といえば当然のことといえる。
 終戦後間もなく初代韓国大統領となる李承晩氏は、日本海に勝手にラインを引いて韓国領だと主張して日本漁船を拿捕していた。徹底した反日主義者として国民教育を実施した。日本占領時代は全てが悪だったというのである。筆者世代は当時の新聞を読んでいるので、李承晩怖しの印象をいだいたこともある。文大統領はそんな時代に教育を受けたのだろう。例えるのはおかしいのかもしれないが日本の軍国少年みたいなものなのかもしれない。

 おまけに、かつての日本が北朝鮮を理想国家であるとの宣伝に乗せられて多数の日本人妻を送りこんでしまったが、現在の韓国には未だにそういうおもいの人がかなりいるようだ。大統領もそんな一人なのかもしれない。
 韓国の世論は、李承晩時代の教育が大きく影響しているとされるが、徹底した反日者が半分でその他半分とされる。大統領が変わると前大統領は刑務所に送られるが、国論が未だに統一されていない。文大統領も辞めたら北朝鮮にでも亡命するしかないかもしれない。
 いずれにしても、いつまでもイガミ合うわけにはゆかないだろう。幸い今の日本は強大な軍事力を保持していない。いつの世の中にも征韓論的な人がいる。

 イザベラバードさんという、イギリスの探検家であり紀行作家でもあった女性が、勇敢にも明治15年頃に日本、朝鮮、中国を旅行している。日本人には賛否両論併記だが、李朝末期だった韓国人には手厳しく、この民族は専制君主がいないことには収まらないとしている。清王朝末期の中国人評も厳しく、汚職を当たり前のこととしていると記している。130年も前に冷静な目でみられている。                               

by watari41 | 2019-08-24 21:57 | Comments(0)

終戦記念日

 第二次大戦において、日本は万に一つも勝ち目はなかったのであろうが、途中での「講和」というのはあり得たのかもしれない。
 そもそも、開戦の当初から勝ちきるのは難しいと判断していたのだと思う。真珠湾の大勝がいけなかった。勝てるかもしれないと思い込んでしまった。ソロモン海戦あたりが潮どきだったのだろう。アメリカが応じた可能性もある。そんな資料が発見されるかもしれない。

 どなたか名参謀がいて、天皇が判断すれば出来た可能性がわずかにあった。
 戦死者の8割以上は終戦前の一年間であるとされているから、大半の方々は生き残ったはずだ。本土空襲もなかったし、原爆もなく、満州での悲劇やシベリアでの過酷な状況もなかったはずだ。北方領土問題もなかった。安倍さんの憲法問題だってあり得ない。

 日本の有能な人物が死亡して、機転のきく人たちが生き残ったともされるが、戦後の復興は残念ながらそんな方々の手になるものだ。
 「仮定」の話は禁物だが、「講和」がなったとして現在の日本はあり得たのだろうかということになる。
 戦前の日本は貧しかった。海外に活路を見出すしかなかったも事実であろう。李氏朝鮮の末期や清王朝の末期がひどかったがために、日本侵略の余地があった。しかし、これが拡大して欧米の権益とぶつかるようになると全面開戦か否かとなる。

 天皇は開戦を拒否すれば、私を廃嫡して他の皇族を立てて実行するだろうとの感想をもらしている。当時の雰囲気はそういうことであったろう。しかし負け続けるにつけ天皇の権威は増大していったはずである。かろうじて本土決戦は免れたものの、その前のご聖断があってもよかったのではなかろうか。陸軍と海軍の対立を利用して2.26事件を解決に導いたともされる。しかし戦争となってからは、両軍ともに引けなくなってしまった。

 仮に途中講和があったとしても、多くの人は生き残るものの、諸外国より敵視され続け、ソ連の如く軍事大国化することはあっても、国内の貧しさは変わらなかったと思うのである。歴史の必然としてすべてが「灰燼」に帰するしかなかったのかと思うとむなしくなる。


by watari41 | 2019-08-16 17:16 | Comments(0)

女傑

 今年90歳になる知り合いのご夫人がいる。彼女の人生経験が凄い。
 他町から昭和25年頃に嫁に来た。父親が決めてたことで、見合いは彼女の家でしたそうだが、結婚式ではじめて我が町の嫁ぎ先の家に入ったのだというから驚く。何もわからずにやってきましたというのである。当時は結婚式をその家でやるのが常だった。

 相手のことを見合いの時に、うだつの上がらない教師だと思ったそうだ。当時は教員の社会的地位は現在のように高くはなく給料も低かった。断ろうとしたが、そんなことはできないと怒られて嫁にきたそうである。お姑さんが健在だったので、旦那さんは給料をすべてその母親にやってしまうので小遣いにも事欠き実家よりお金をもらってくる有様であったという。嫁してきたご本人は、そこが農家でもあり、山持ちでもあったので、百姓仕事とか山林の下草刈りなど、何でもこなしたそうだ。

 やがて嫁ぎ先の義両親も亡くなり、彼女は実権を握ることになるが、旦那は相変わらずの平凡な教師だったので、これを教頭に押し上げようと世情にもたけて来た彼女はありとあらゆる手段を使ったのだそうだ。いろんな根回しをしたようだ。それらが功を奏して定年の頃には校長にまでなった。
 すべては、私が仕組んだことですとおっしゃる。当のご本人はそんなことはつゆ知らず、退職金をご婦人には一切渡さずに、一人で使い切ってしまったというのだからこれまた驚くしかない。当時でも二千万円は超えていたはずだ。

 そんな人だったのでボケルのも早い。70歳頃にはもうおかしくなりはじめたのだと言う。ホームセンターのレジに立つ孫娘のような人にラブレターを書いて渡したのだという。当然のことながらその店長から奥様にそのことが伝えられた。あまりにも恥ずかしくてしばらくは他言できなかったそうである。
 ご主人は大酒飲みでもあったので、やがて肝臓を悪くして70代の半ばにして亡くなってしまう。彼女は子供たちもそれぞれに独立しているので、旦那の遺族年金となるが、校長まで押し上げたのでそれ相応のものとなり、結局は彼女に戻ってきた。

 内助の功などという領域を通り越して女傑とも呼ぶべきだ。今もなおシャンシャンとして自宅周りの仕事に精を出している。あと10年の百歳は間違いなく大丈夫だろう。

by watari41 | 2019-08-09 23:12 | Comments(0)

ディープインパクト

 史上最強の名馬といわれ、生涯500億円を稼いだとされるディ-プインパクト。だがあっさり安楽死という殺され方をした。
 レース中に骨折した馬なども即座に安楽死させられる。人間は勝手なものである。動けなくなった馬に点滴するとか救命装置をつけて天寿を全うさせられないのだろうか。競馬の先進地であるイギリスも同様なのだろうか。動物愛護にうるさい国である。どんな扱いをしているのか気になるところである。
 北海道の牧場でどんな葬られ方をしているのだろうか。大きな穴を掘って埋めるだけなのだろうか。名馬なのだからどんな墓をつくってもらえるのか。
 犬・猫のペットの方がまだましな扱いを受けているようだ。死ぬまで丁寧に扱ってもらえるし無名でも墓がある。

 名馬の安楽死扱いに誰も問題を提起しない。精子を作れなくなった時点が寿命とされている。
 昆虫の中には、交尾を終えて一生の役割を終えたと死ぬものがある。人間がコントロールできない世界である。馬は動物である。

 かつての岩手県に南部曲屋という馬と同居する形態の家があった。馬は働き手の一員だった。死んだ場合にはどうしていたのだろうか。解体して食べていたのだろうか。そうは考えられない。家族の一員として心が通っていただろうし、江戸時代は四足を食べずということだった。「馬頭観世音」の石碑が至るところみられる。その供養にも気を使っていた。

 現代社会で、その生涯を全うできる牛・馬は、はたしているのだろうかと思うことがある。現代人は居酒屋で馬肉・馬刺し・さくら肉などを食べる。若い馬で将来性のないものが潰されているらしい。

 世界最高の競馬レースとされる凱旋門賞を偶然にもラジオで聞いた。外国でも一番人気だったようだがおしくも2着だった。
 人間にとって価値ある賞だが、馬にはどうでもいいことだ。「馬に小判」なのだ。

by watari41 | 2019-08-03 12:49 | Comments(0)