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小出義雄さん

 名選手、必ずしも名監督にはならずということがある。
 逆に名監督だった人が、過去にたいした選手ではなかったこともある。小出義雄さんは、日本史上最高の女子マラソン監督と称えられることであろう。

 まだ有名にはならなった頃、さる地方の旅館に泊まった時に小出義雄さんの宿帳をみた宿主が、大変にいい名前をお持ちだ。将来はきっと大きな仕事をするにちがいないと言われたそうだ。このことはずっと後年に有森選手がオリンピックでメダルを取ってから、本人が記者に語り記事になったものを読んだ記憶がある。
 熱血指導の様子は、到底凡人にできるものではない。素質を見込み鍛えられるだけの根性をもった選手でなければ指導に堪えられない。高橋尚子さんなど良い選手に恵まれたともいえる。
 姓名判断が当たったということになるのだろう。占いというのも馬鹿にできないことがある。
 筆者の同性同名者等は単純なこともあり全国に数千人もいるのではないかと思う。いまだ有名になった人を聞かない。

 最近では、箱根駅伝の青山学院大学原監督が何度も同大学を優勝させて、名指導者であることを世に知らしめた。同じようなことを誰がやっても成功するわけではない。
 指導者の情熱とか、人間性とかさらには運という特殊なものまでが作用することになる。

 このところ注目しているのは、楽天イーグルスの平石監督である。則本、岸のエースピッチャーが抜けて戦力が落ちているにもかかわらず結構な成績をのこしている。名監督と言われるようになるには選手も期待にこたえる必要がある、今シーズンのイーグルスに望みをかけている。
 解説者がときどき「試合の流れ」という非科学的なことをおっしゃることが多くなってきた。いわば運なのであろう。何事にもつきまとうが、流れを引き寄せるのも名監督の素質の一つなのだろう。平石さん頑張ってほしいものだ。

by watari41 | 2019-04-29 18:03 | Comments(0)

「仙台都」構想

 東京一極集中の是正が言われて久しいが、一向に止まらないのは、地方の力が弱いからに他ならない。
 大阪都構想というのは、その意味で正しい。
 しかし、これを言うのが革新勢力なら話がわかるが、右派勢力がこれを唱えているところが複雑だ。人間関係のからみとか利害関係があって、制度を見直すというのは大変なことだ。
 東京が都としてまとまっているのに、弱体の地方がバラバラでは勝負にならない。大阪ひいては関西の地盤低下が叫ばれたのはもう半世紀以上も前のことである。その頃に私も滞在していたのでよくわかる。
 だが大阪市は、大阪府の人口比率で30%程度しかないので、市が中心になると言ってもなかなか大変である。

 これに比べると仙台は宮城県人口の50%近くを占めており、こちらの方がやりやすいはずだが、誰も言いださない。面積の広いことがあるからかもしれない。仙台への集中が起こっている。
 行政に素人の私などは、仙台中心街に行くといつも不思議に思っていたものだ。県庁と市役所がいくらも離れておらず議会もある。田舎から出かけて行くと何がどう違うのかもさっぱりわからなかった。無駄な事この上ないとも思っていたものだ。

 宮城県よりも仙台の方が、全国的な知名度ははるかに高い。昔は仙台藩として一つにまとまっていたことにもよるのだろう。しかし当時を知る人が死に絶えてもなおかつ、仙台という名前に魅力がある。宮城と宮崎県が間違いやすい。もともとあった仙台近郊の宮城郡をそのまま県の名前にしたようだ。その宮城のルーツを辿った人がいて、仙台郷土史に書いていた。千葉県の昔にあった今はないのだが宮城地域からやってきた人たちが始めらしいのだ。そんなことはどうでもよいのだが、地方が力を持つ仕組みを作るのが先決だと思う。
 かつて道州制度が唱えられたが、経験のない過去になかったことをやるのは難しい。一過性の騒ぎに終わってしまったことがる。
 仙台藩への郷愁もあって、「仙台都」は案外にうまくいくのではないのかと思っているが、たわごとにすぎないのだろうか。

by watari41 | 2019-04-24 16:17 | Comments(0)

思い入れ

 大震災で居住禁止区域となった。我が町の海岸一帯に、日本最大級の太陽光発電所ができつつある。
 昨年、その工事中に、人骨が発見された。行方不明になった方の一人ではないのかと思われたが、調査の結果、600年前の室町時代の女性であるとされた(推定年齢20~30代)

 一時期は話題になったが、忘れてしまっていた。
 数日前に、町内に居住する被災者の一人でもある男が訪ねてきた。私が多少郷土史に詳しいと聞いてきたのでということだった。初対面ではあったのだが、彼はその一族の家系調査マニアとして有名だという。昔からの文書は津波でなくなってしまったが、その後調査を続けているということで、詳細なノートを持っていた。あまりにも本気なので親戚からは、アンタ、ノーベル賞でも取る気なのかとからかわれているのだとか。
 その男曰く、室町時代に、その海岸一帯に住んでいたのは自分の家を含めて5軒しかなかったはずなので、見つかった遺体は、もしかすると先祖のものではなかろうかと、警察まで確認に行ってきたというのだから驚くしかない。人骨は普通は土の中で消滅してしまうものだが、条件がよいと残る場合がある。
 我が町以外でも、復興工事中にみつかったものがある。東松島では、縄文時代と推定される津波から逃げる途中の子供を抱いた状態の人骨が発見されたり、堤防の基礎を掘り下げて出てきた骨が江戸時代だったりといろいろある。
 我が町で室町時代の骨を特定しようとしている男は、私に古文書関連で、その時代のことを知る手がかりはないのかとやってきたのである。
 中世である当時は、この辺りを支配していた殿様である武石氏の墓でさえ、未だにどこにあるのかがわかってはいない。

 私は知っているはずもない。ただその男の情熱というか、思い入れは伝わってきた。
 DNA鑑定でも頼んでみたらと言ったら、30代以上も遡ると養子をもらったり、何やかんやでわからなくなるとか。


by watari41 | 2019-04-19 13:27 | Comments(0)
 台湾で忘れられない人に「鄭成功」(テイセイコウ)がいる。明王朝末期の将軍で、日本では江戸時代初期に当たる。
 彼の父が、長崎の平戸に来た時に日本人女性との間に設けた子供である。7歳まで日本で育つが、父のいる中国へと旅立った。聡明だった彼は21歳にして父親同様に明朝の将軍に任ぜられる。当時台湾を占拠していたオランダの東インド会社とも戦っている。
 その頃に大陸では、満州に勃興した清王朝の勢いが増大して明王朝は滅亡した。彼の父は清王朝に投降したが、「鄭成功」は台湾に渡って抵抗を続けた。時に日本は三代目将軍徳川家光の時代である。徳川幕府に援軍を要請した。家光は大いに食指を動かしたが、側近たちはこれを諌め結局援軍を出すことはなかった。
 「鄭成功」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の話を当然聞いていたであろうし、戦国時代に鍛えられた日本軍の強さも知っていた。
 しかし、日本は鎖国政策に入っていたし、「鄭成功」の望みはかなわなかった。清王朝に投降した彼の父は後に処刑されるが、そのわずか2年後には「鄭成功」も39歳にて熱病に罹り死亡してしまう。現在の台南市に政権をうちたてたがごくわずかの期間でしかなかった。しかし台湾独自の政権を最初に打ち立てた開発始祖として国神の一人になっている。
 彼は明王朝の将軍となってから、平戸にいた実の母親を大陸に呼び寄せた。しかしその本来の居城だった泉州の城が、彼の留守中に明軍に攻められ陥落するときに母親は自害して果てた。
 そこから、およそ半世紀後に日本では近松門左衛門が人形浄瑠璃をそして歌舞伎にもなる『国姓爺合戦』が空前の大ヒット作となったのである。17ケ月連続公演という歴史的記録を打ち立てた。「鄭成功」が将軍となった時に国姓爺という名をもらったことに由来するものである。
 日本では歴史で「鄭成功」を教えず、国文学の分野でしか教えられないのは残念である。
 彼は台湾のオランダ軍と戦った時には、福建省のアモイ沖合の島を拠点として海戦を行った。
 ずっと最近になってからのことだが21世紀になる5年ほど前に、そのアモイに在職した会社が中国進出最初の会社を設けた。中国が経済的に急発展する直前のことだった。まだ路上に人々がタムロしていた記憶がある。

by watari41 | 2019-04-12 16:48 | Comments(0)
 最初に台湾へ降りた時に驚いたことがあった。旅客機が高度を下げてゆき雲間から地上の光景が見えてきた。細かく区切られた田んぼがあった。一瞬の間、ここは日本ではないのかと思ったものだ。
 明治以来、日本式の農業技術が取り込まれているから当然のことなのだと納得した。
 台湾の恩人ともされる日本人が多くいる。東北出身の人も多い。
 岩手県水沢市(現在は奥州市)出身の後藤新平が有名である。民政局長官として赴任し、台湾の実情をつぶさに調査した上で思い切ったインフラ改革を断行して台湾発展の基礎を築いたということだ。
 水沢市は幕末までは仙台藩の領内だったので、宮城県、そして岩手県に思いをはせる台湾人も多いのだろう。東日本大震災の時には、数百億円もの義捐金が送られてきたことは記憶に新しい。我が町にも億円単位の分配があり、小学校の体育館に「台湾義捐金配布所」という大きな看板が掲げられ行列ができていた。
 さて後藤新平は、その後に東京市長となり離任した半年後に関東大震災が起きた。復興計画立案には後藤があたるべきということになる。彼は東京を近代的な都市として復興すべく壮大なプロジェクトを提案した。実施するには当時の国家予算に匹敵する金額が必要なこともあり、一部が採用されたのみでお蔵いりとなってしまった。彼には大風呂敷というアダ名がついた。

 日本と台湾は同じ島国として、共通項がかなり多いのだろうと思うのである。1950年代以降は毛沢東に敗れ、台湾に逃げ込んだ蒋介石の漢人国家ができたが、昔からの住人でいる現地人も次第に力をつけてきていた。李登輝さんをはじめとする方々である。国家体制も異なるので台湾は独立国家たるべきだというのである。現在の蔡政権もそういうことなのだろうが、公言できないのは大陸からの武力攻撃を受ける恐れがあるからなのだ。現在では蒋介石一統の子孫たちは、大陸との平和的な統一を望んでいるとされる。

 台湾には富士山を越える高い山や山脈がある。近代まで開発が遅れていたこともあるが、豊かな山林資源が残っていた。日本の古社寺の修復には巨木を必要とする場合が多いが、もう現代の日本にはそんな木は残っておらず、台湾から運んだ巨木で修理された寺院もある。
 昭和の宮大工として有名だった西岡常一さんは、木材にもこだわた。1970年頃、台湾へ原木を見にいった。亜熱帯性の気候なので、平地は暑いが、標高2千m近くになると、日本と似たような気温となり、島国の湿潤さもあって、良質なヒノキの林があったのである。

by watari41 | 2019-04-07 13:10 | Comments(0)

意外な「令和」

 わずか2文字に一億民が固まりぬ。
 「令和」が発表された一瞬の間のこと、誰にも異和感があったのだろう。意外だと思った方がほどんどだったと思う。記者クラブの全員がキーボードから手を離して茫然たる様子がテレビで切り取られていた。
 年号もお相撲さんの「しこ名」みたいなもので、最初は変だと思っても長い間には慣れてくるものだ。

 発表まで、厳重な報道規制がしかれたが、知っていた人は結構いたようだ.
 ネットの中には、フェークまがいの情報があふれているが、その中でオヤと思ったのはNHKのベテラン美人記者が、最もはやく事前に情報を掴む可能性があるという内容だった。
 当日は、朝からテレビを見ていた。当然ながらその記者は、そんなことを言うはずがない。一言漏らしたのは、9時30分に庭に出た首相が桜がきれいであるということを発した言葉を引用して、そんななかに秘密があるのかもしれませんねなどと、とぼけていた。筆者は前述のフェークまがいの記事が気になっていたので、やはり知っていたのかと思ったものだ。
 11時40分に年号の発表が終わって、そんなに時間がたっていなかったが、その記者は出典となる万葉集のその部分の全文活字を掲げていた。やはりそうだったのかと思ったものだ。
 信頼のおける記者の何人かには漏らされていたのだと思う。もちろん正式発表まで厳重に伏せておくのは暗黙の了解事項である。時事解説で有名な方も、今日の民法テレビで逐一選定状況を知っていたという話をしていた。
 当日に官邸まで山中教授とか宮崎緑さんなどを呼んできたのはセレモニーでしかなかったのであろう。

 メディアが朝から晩まで、ここまで煽りたてると、一億人はいっせにその方向を向いてしまうのが日本人だということを改めて認識できた。名前をつけられる新天皇その人も直前までは知っていない。生まれたての赤子に対して親が名前をつけるようなものだが、その文字に縛られるのは、天皇本人だけではなく日本の歴史そのものが、好むと好まざるを得ずその文字に制約を受けてゆく。

by watari41 | 2019-04-02 21:52 | Comments(0)