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新元号(5:終)

 著者は「瑞穂」、「秋津」、「八雲」これらを日本の古典に由来する新しい元号案として提起しているが、そうはならないであろう。みずほ銀行という大銀行があるし、一つの企業を利する行為はできない。これらは元号としては、いまひとつピンとこないところがある。

 従来と同様な選定がなされているのだと思う。昭和史に大きな影響を及ぼした安岡正篤という有名な陽明学者がいた。昭和20年8月15日の終戦時に天皇が読み上げた詔勅は、その内容にこの人が大きく係ったとされている。
 「平成」という元号も、この先生の薫陶を受けた方々の作とされる。
 
 さて「アマテラスの二つの墓」であるが、宇佐神宮の形状が前方後円墳であり有力であるとされているが、昭和40年に発掘された福岡県西部の糸島市の古墳から割られた大型の鏡がみつかった。直径46cmである。人の手で割られたもので、縄文時代と同様に甦ることを願ったのであろう。糸島市は魏志倭人伝の伊都国を指すとみられている。(発音が同じイトである)
 すでに西暦100年代の頃から、大陸や朝鮮半島とは、頻繁な往来があり、先日のNHKでは島根県の古墳から集団移住したとみられる大量の渡来人の骨がみつかったことをDNA鑑定結果として放送していた。
 推理作家たちも、古代史に関心を持った方々が多く、高木彬光さんは宇佐神宮本殿地下にはヒミコの墓があり、「親魏倭王」の黄金印鑑と鏡が眠っているはずだと、題名は忘れたがその著作にあった。松本清張さんもいろんな角度から推理を試みていた。

 ヒミコの鏡は、直径12cmであると前に述べたが、これは極端に大型化している。中国魏の国から連れてきた技術者に、大きな鏡を作るように要求したのであろう。八咫の鏡とされているもののようだ。伊勢神宮の御神鏡は誰も見た事はないが、この大きさの鏡らしい。

 この本の副題は「東西に封じられた最高神」とある。当時の邪馬台国(西暦240年頃)の東西勢力範囲を示すものであったろう。三重県から九州までである。その大和朝廷はさらに東に勢力を拡大すべく名古屋に熱田神宮を作ったのだと筆者は勝手な推測をしている。その御神体が「剣」なのである。雄略天皇時代(西暦450年頃)には、関東はその勢力下に収まっていることが埼玉県の稲荷山古墳から発掘された刀剣にそのことが刻まれている。この関東の豪族は8代を遡る先祖の名前まで記録しており、すなわち西暦300年頃からその地に根づいていたとみられる。

 一方東北では宮城県名取市に西暦400年頃の前長200mにもおよぶ前方後円墳や仙台市にはそれに次ぐ大きな遠見塚古墳があって、宮城県沿岸部はその頃には大和朝廷の影響下にあったことがわかる。

 本題とはすっかりずれてしまったが、主題である「新元号」はすでに決定しているはずだ。ごく少数の人が秘中の秘として知らされているのであろう。年末年始は平成最後という冠のつくものがやたら多くなるはずだ。新元号の経済効果なるものまで下衆の勘ぐりだが計算されているのだろう。
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by watari41 | 2018-12-30 13:52 | Comments(0)

新元号(4)

 天皇が存在するから、「元号」があるというのが現代人の一般的な考え方であるが、昔はそれとは関係なく元号が乱発されていた時代があったことはこれまでに述べてきた。ただ元号を公布する役割が朝廷にはあった。同様に正3位従4位であるとか、人間の位置づけも行った。これは本来なら神様から与えられるべきものであるが、天皇がその代行をしているという考え方である。天皇が神の子孫であるからということである。

 神様であるからには、前述の「よみがえる」ということの他に「みそぎ」という行為を司る必要があるとされる。簡単にいうと一般人は神主からお祓いを受ければOKだということになる。さらに厳しくは寒中に海水に浸かるなどのこともある。大祓いということもある。
 キリスト教では「告白」とか「懺悔」によって、人間の罪をさらけだすという、いわば「みそぎ」に相当するものがある。天皇は一般人には知られていない特別な「行」を宮中でおこなっているようだ。
 日本では神主、キリスト教では修道士が内容は異なるが、根本的には同様なことをやっているのだと思っている。

 特殊な見方をする人の中には、世界三大宗教の一つである回教国がなかなか近代化できないのは、上記のようなことがないからだという説を唱えている方まである。

 やや不敬な物言いになるかと思うが、天皇家は1700年の歴史を通じて時代・時代に対応するすべを身につけるようになったのだと見られることがある。
 1945年の終戦時には、「現人神」から「人間天皇」への大転換に成功した。戦後の同時代を生きてきた筆者からみると、昭和30年頃には、さすがに一般国民の皇室への関心は薄れつつあり、無関心という危機が迫りつつあったように感じていた。それを打ち破ったのが美智子皇后である。当時のミッチーブームというのは大変なものだった。その美しさと清楚さが皇室を救ったと思ったものだ。それをいちはやく察知したのが昭和天皇だったようで、皇太子の妃は皇室・華族関係者に限るべきではないと側近に示唆していた。

 次の天皇で、最も心配されていたのは雅子妃のことであるが、最近になって劇的なご回復をされていると報じられている。これまた外部からみていると奇蹟的なことのように思える。
 さて、いよいよ元号の話になる。これまでの元号は筆者などは全く知らなかったが、アマテラスの著者によると、いずれも漢籍を元にしたものであるという。四書五経とか、その中に含まれるのかもわからないが論語などである。「平成」もそれを発表した当時の小渕官房長官が出典を聞かれて、そんな返答をしていた。
 著者は、そろそろ出典を日本の古典に求めたらどうであろうかと具体的に提案している。

by watari41 | 2018-12-25 16:32 | Comments(0)

新元号(3)

 西暦645年に天皇家は、朝廷を脅かしつつあった実力者の蘇我氏を宮中で暗殺した。この時に日本で初めて年号をつけた「大化」である。それ以来、現代まで連綿と年号は続いている。ただ、年号と天皇の名前は異なった。明治からの150年が一致しているに過ぎない。

 古代においては、天皇という言葉は使わず「大王」であったろう。その地位をめぐり一族内部での戦争や凄惨な揉め事があったとされる。勃興する実力者を抹殺したり、争いが絶えなかったのであろう。西暦600年頃の聖徳太子が作成した17条憲法の最初に「和をもって貴しとなす」というのは、自分の一族である朝廷内部を含めてのことであろう。

 天皇権の争いは、第42代目の天武天皇による壬申の乱(673年)をもって収まる。
 そこから100年ほどを経た後の称徳天皇(歴史上数少ない女性天皇)が、側近の愛人と言われる「弓削の道鏡」に天皇を譲ろうとした事件がある。最高の権威神である宇佐神宮に承認を得ようとしたが拒絶された。古代史には謎の事件とされるものが多い。
 天照大神の子孫を名乗る天皇家には、神様にふさわしい行事が必要になってくる。「よみがえること」である。これはキリスト教も同様で、イエスは死後に復活(よみがえる)している。日本ではその行事が伊勢神宮の20年毎に内宮を建て替える「遷宮」と言われるものである。奈良時代の文武天皇の時に始めたとされる。伊勢神宮がアマテラスを奉っているからである。跡形も無く取り壊し、全く新しい形でよみがえさせるのである。
(ただ、その材木は国内の神社に払い下げられ修復作業などに使われている)
 では、何故20年かというとその根拠は、いまだ不明のようだ。

 日本では6千年も前から、一定期間使用した道具は破壊して捨てるという慣習があったとされる。(さらに良い道具を得る儀式だと)
 北海道の北黄金遺跡にその跡がみられる。
 昔は年号もよく変わったが、これもまたその年からの一種の日本のよみがりを期待してのことであろう。

 平成の次の時代には元号と共に、大嘗祭も話題になっている。天皇家の私的行事なのか、国家的な意味合いがあるのかということである。これには前方後円墳時代のこととして、前方部分は何らかの儀式に使ったであろうことは推測されていたが、それが現代の大嘗祭そのものではなかったろうかと著者はいう。いつの時代からか秘儀として権威付けに利用されたのだと考えられる。

by watari41 | 2018-12-20 16:15 | Comments(0)

新元号(2)

 「アマテラス2つの墓」著者は、新元号に面白い見解を示しているが後で詳細を記すことにする。

 再び、古代に話が帰る。今も殆どの神社が鏡をご神体としているが、これは伊勢神宮の鏡が起源であり、ヒミコまで遡る話になる。「魏誌」によると「倭国」では、ことの他に「鏡」を喜ぶとある。卑弥呼が100枚の鏡をもらったことは教科書にも載っている。
 現代のホームセンターで売っている神棚セットにもミニチュア「鏡」がついているのだから驚きである。

 では何故、鏡が神様扱いをされ貴重なのかというと、ヒミコの時代より少し前に中国よりもたらされた「鏡」の一枚をいろいろといじり回した人がいた。表面を布で磨いていたら、偶然にも凹面鏡になった。これは太陽の光を一点に絞り込む作用がある。当時にあっては凹面鏡のことなどは誰も知らなかったろうが、その焦点にあったものが発火したというのが作者の推測である。発火させること自体は、この時代になると木と木をこすり合わせることで種火を得られる事はもう知られていたので珍しくはなかったが、「太陽の光」が「火」をおこすことに神秘さを感じたのだろう。まさに「天照」なのだとおっしゃる。天の神様が火を起こす道具をくれたと解釈したようだ。現在でもオリンピックなどの「聖火」は鏡で得られたものである。

 本家の中国では、そんなことはつゆ知らなかった。蛮国である倭国が、おかしなものをほしがるものだと不思議に思っていたのかも知れない。鏡の鋳造技術などは日本にはまだ無かった。中国から鋳造職人まで招待して鏡の大量生産がはじまった。日本にはまだ「年号」がなかったので翌年の製造に職人は「景初4年」という年号をつけたが中国にはもう存在していなかった年号なので日本の学者には謎とされてきたものである。日本に来た職人には中国で年号が変わったことはわからなかった。当時の日本の古墳発掘からは、大量の鏡が見つかる事が多い。中国では殆ど見つかっておらず、日本独自文化として発達したものである。


 鏡の技術は急速に発達して、大型の鏡が作られるようになった。伊勢神宮にあるものだ。
 本来のヒミコの鏡は、直径12cmほどのごく小さなものである。何故筆者が知っているかというと、我が町に奈良の考古学者が数年前に来てその講演を聞いたことがあった。レプリカを持参してきていたのである。

by watari41 | 2018-12-13 13:18 | Comments(0)

新元号(1)

 天照大神(アマテラスオオミカミ)がテンテルダイジンなどと呼ばれてしまう現代であるが、日本の神様中の神様である。
 伊勢神宮がその元祖である「アマテラス」を奉っていることは言うまでも無い。その境内は誰がみても神々しいまでに美しい。日本人で知らない人はいないだろう。我々が高校生の頃は、修学旅行といえば伊勢神宮が定番だった。たまたま当時の皇太子の新婚旅行日程と重なって、神宮の境内で遭遇したものだった。その平成時代も終わり、次の元号は何かと話題である。
 下記の本「アマテラスの二つの墓」は河出書房より2018年8月に出版された。著者は戸矢学さん。
 古代史ファンにとっては、たまらないものである。ややこしい神々の名前は省略して以下は筆者がさらに解釈を加えているのでご注意を。
 作者は、アマテラスはヒミコ(卑弥呼)であろうと考えており、その墓は九州の宇佐神宮であるとしている。その神域は巨大な前方後円墳になっており、後円部の頂上に立つ本殿の地下にはヒミコの墓そのものがあるとしている。現代では奈良県の箸墓古墳がヒミコの古墳として最有力視されているがヒミコの死亡から時代が30年ほどずれており、ヒミコの後継者であるトヨの墓ではなかろうかと作者は推定している。
 では、伊勢神宮とは何かということになるが、これはアマテラスすなわちヒミコの祟りを鎮めるために創建された神社であり、これを一の宮として神器を納めることで、東西に重しが出来て、日本が治まるとみたのだろう。宇佐神宮は二の宮とされているが、古代では宇佐神宮が一番だと誰もが知っていたはずだ。古代の日本人は祟りを恐れた。天変地異が激しかったのだろう。
 それでは、だれが伊勢神宮の創建者かというと11代の崇神天皇であるとされる。ヒミコの怨霊を鎮めるのが長年の課題となっていたが、その崇神時代に霊感豊かな女性を選んで、神宮を作るのに全国でどこがよいか探すように命じた。当時は日本全土とは言っても、支配権が及んでいたのは、せいぜい紀伊半島(三重県)ぐらいまでであったろう。天皇に現在の地を進言したのである。
 広大な地域を神宮とすべく急速に整備が勧められ、1600年近くが過ぎた現在はおごそかな神域そのものである。日本の森というのは作庭の意図があると短時間で様相を一変してしまうようで、明治神宮がその例で、作られて今年で丁度百年なのだが、まるで古代から存在していたかのような鬱蒼たる森林になっている。
 
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by watari41 | 2018-12-08 16:28 | Comments(0)