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 ニッサン再建の神様だったゴーンさんが極道に堕ちたという報道は日本人の最も好むネタである。
 倒産寸前までいったニッサンだったが、当時は主力工場を閉鎖するしか再建の道はないということが、会社幹部の誰もがわかっていたはずであるが、工場のある東村山市のことを考えると誰もネコの首に鈴をつけられる人がいない。どんどん事態が悪化していくと言うのが実態だったであろう。民間会社に勤務した経験のある人たちは、だいたいが想像つくことである。

 ゴーンさんがやってきて、会社の実情を示す数字を日本人幹部が説明をするのだろうから、どうしてそんなおかしな工場の稼働を続けるのかという話になる。日本人ができなくとも外国人がやるとなれば事情がちがってくる。例えていえばマッカーサー命令である。
 東村山市の広大な敷地の工場は、今も更地である。

 似たような話で新日鉄釜石工場を縮小するときも、いろいんな問題があったと聞いている。本来なら完全撤退したかったのだろうが、東北の地域経済を考えるとそうもゆかない。仙台にあった私の在職した小さな会社にまで引き取っていただけないだろうかとの話もきた。現在は鉄道レールなどの生産で工場は動いている。

 話を再びフランスに戻すと、第二次大戦後にアフリカにあった多くの植民地を失ったが、今もその国の金融を支配しており、その上がりが結構な金額でフランスを豊かにしているというのである。昭和30年代の日本がまだ貧しかった頃に、フランスではバカンスだとか何だと、優雅な生活をおくっていることが伝えられており、大戦でナチスドイツによって国土が破壊されたはずなのにと思っていたが、そんなカラクリがあったようだ。さらにはインフラ整備費用なども独立するときに後に支払う約束もしているという。もし日本が韓国にそんなことをいったら大騒動になること間違いない。
 現代のフランス大統領マクロンさんは、かつてのそんな夢をゴーンさんを通じてニッサンに夢見ていたのかも知れない。毎年数百億円が転がり込んでくると思っていたのだろう。

 日本人はフランスを憧れており、かつ尊敬に似た気持ちをもつ。かつてシラク大統領が来日して、日本を褒めたたえ友好の会館のようなものを作るとした。しかしその費用を出したのは全て日本側だったという話がある。

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by watari41 | 2018-11-29 12:04 | Comments(0)

終活

 何かと平成の終わりが話題である。
 天皇の生前退位は、究極の終活なのだろうと思っている。死後の混乱を避けるという意味でこれ以上の行為はない。何とも羨ましい。
 昔は隠居という制度があった。寿命の短い時代だったから、60歳くらいのかなり早い年齢で終活をしていることになる。

 現代の我ら凡人は、あまりに多くの物事を抱え過ぎている。膨大に膨れ上がっている所有物、本人がどう整理してよいのかもわからない。捨てられない。昔は一生の間に撮影する写真などは、記念撮影などごく限られたものであったろうが、今やスナップだなんだと溜まりに溜まっている。いまも増え続けている。もう老人の顔はいらないと、嫌がる人までいる。

 私などは、なにもかも抱えたままで終わりそうだ。考えてみれば残すべきものなど何もないのかもしれない。ただただ忙しかった。普通のサラリーマンが40年の勤務を終えて20年の余生を過ごしたということになるのだろう。

 現代科学をもってすれば、豆粒みたいなチップに入ってしまうのだろう。墓所にQRコードを張り付けている人もいるようだ。

 歴史的な事件に係った人は、録音テープが残されている。責任逃れをしているような方々もいる。私もせいぜい負債を残さないようにしたいのだが、どうなることか。

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by watari41 | 2018-11-15 12:29 | Comments(0)

優生保護法

 東京在住だった小・中学校の同級生W君の訃報があった。
 我々は昭和23年に入学だった。だがW君は学業がまるで駄目だった。9年間休まず通ってはいたがお客さん扱いで過ごしていたのだった。
 人には誰にでも特技がある。彼はイナゴ取りが上手だった。田舎では中学生になると3日間、イナゴ取りのために全校生徒が休業状態となる。布袋を持ち長靴をはいていたと思うが出校して出席を取られるが、その後一斉に町内の田んぼに散らばる。持参の弁当もあぜ道で食べる。14時頃に学校に戻りイナゴを計量され帰るのだった。
 W君はいつも学年でトップを争っていた。私も比較的得意な方で3日で一貫目(3.75kg)を捕獲して7等賞になったことがある。賞品はノート一冊だった。トップクラスは一日でこれくらいを軽く捕獲してしまう。後は遊んでいる。
 貧乏な時代だったので、学校は生徒の捕獲したこのイナゴを業者に売るのであった。その代金で図書の本やスポーツ用具などを買っていた。
 栄養のある食物として結構高値で売れたようだ。一般家庭の主婦も自家用にイナゴを取り佃煮としてオカズにしていたものだ。

 W君は中学校を卒業すると、東京に出て左官の内弟子見習いとなり5年後に独立して、30歳前には結婚した。
 ところが彼には子供がいなかった。子供のいない夫婦というのは結構いるもので、私なども特に気にしたことはなかった。ところが最近テレビで「優生保護法」というのが盛んに話題になっている。もしかしてという思いが脳裏に浮かんだ。かれは両親が幼い頃に亡くなってしまったので親戚の家に預けられて育ったのである。
 宮城県は特にこの「優生保護法」のもとに強制不妊処置を多くの人に実施している。テレビには昭和23年施行のこの法律原本が、天皇裕仁の御名御字のもとに何度も放映される。被害者は大変な数に上っている。ローカルテレビでも取り上げている。本人が全く知らなかったケースも多いようだ。

 昭和20年の終戦後には、ベビーブームと言われ、後に段階の世代ともされる、今では想像もつかない出産過多の時代があり、人口急増の時代を迎えていた。食料も不足しており、このままでは大変なことになると騒がれ、産児制限などという言葉もでたが、積極的に悪い遺伝子を排除しようという考えになったのである。今からみると科学も未発達だったといえる。与野党ともに賛成した。しかし驚いたのは、この法律が平成初期まで残っていたのである。W君がどうだったのかは知るよしもない。だが今も苦しんでいる人は多い。

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by watari41 | 2018-11-05 17:48 | Comments(0)