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敵に塩を送る

 上杉謙信が宿敵の武田信玄に塩を送ったのは有名だ。海の無い領地しか持っていなかった武田信玄は困っていたはずである。
しかし、これが美談かというと必ずしもそうではなかった。
 結果論であるが、信玄は天下取りをすべく万余の軍勢を動かし甲府から京都を目指した。途中でこれを阻止しようとした徳川、織田の連合軍を簡単に打ち破り、軍を進めていたが、まもなく信玄が脳卒中に倒れ目的を達することができなかった。
 現在の医学でいうと「塩分の取り過ぎ」による高血圧だったということになる。当時にあっては保存食である漬物などに塩は必要であり、全体的に日本人は塩分過剰だったのであろう。義に厚かった謙信は、もちろんそんなことを知るはずもない。
 川中島で幾度も闘い雌雄を決せられなかった信玄は、いともたやすく殺されてしまったということになる。謙信は労せずして勝ったのである。しかしその謙信も、まもなく脳溢血となり天下の覇者となることはできなかった。
 当時の医術には、塩が良くないなどということはなかったのであろう。むしろ命の源みたいに考えていたかもしれない。
 織田信長も本能寺で死んでいなくとも、高血圧で余命数年だったという説もある。
 江戸時代に入ってからも「塩」は重要な商品だった。

 現代人も塩分過剰とされる。旨いものというのは「塩分とたんぱく質」によるものだとされている。美食家と言われる人ほど塩分を取り込んでいるのであろう。この余剰な塩分など老廃物を体外に排出する役目を持つのが「腎臓」である。人間の体内に2つあるのは、この臓器を除いて他にはない。心臓のすぐ近くにあり、太い冠動脈からも離れていないが極く細い血管で連絡されているにすぎず、血圧が高いと腎臓を早く痛めるとされ、究極的な治療は人生の時間の多くをとられる人工透析となる。
 アフリカ大陸にあって、海のない国であるケニアの人々の塩分摂取量は極めて少なく、従って高血圧の人もいないとされる。

 寒いところである青森や秋田県が平均的に短命なのは、こんな理由だと言われてきた。腎臓の研究も進んでいる。この分野の世界的権威とされているのが東北大の伊藤教授である。私もその講演を一度聞いたことがある。その話もわかりやすかった。

 宮城県には塩の神社として有名な「塩釜さん」がある。先日、当地出身の神職さんがいたので、前もって予約して数十名の方々と共に正式参拝をさせていただいた。神様も当世塩分事情を御存じなのであろう。ご利益に「健康寿命の増進」があった。2千円の高額な桐箱付きお守りとさらに全員にお札をいただいてきた。

 最近は塩分控えめが流行語でもある。すべてにおいて取りすぎは良くない。ノンカロリーとかノンアルコールがもてはやされる時代である。「敵に塩を送る」は相手を考えてやったつもりが、かえって悪い事をしたというようなことの意味になるかもしれない。

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by watari41 | 2018-06-20 21:19 | Comments(0)

77歳同級会

 今回は、かつて八幡製鉄に勤務していたカメチャンが幹事なので北九州市に出かけた。もちろん生まれて初めてである。
 門司港に面したレトロ街の重要文化財になっている旧三井クラブが会場である。関門海峡があまりにも狭いので驚いた。東西に走っているとばかり思い込んでいたが、このあたりでは南東の方面に行くと瀬戸内海に抜ける。
  近況の紹介では、在学中から「根性が大事や」と言っていた男が、今は老人クラブなどで「傾聴の会」のボランティアをしているのだという。彼の病気が心配で同伴してきた奥さんは、私の話を何十年も聞いた事のない夫が、そんなことを出来るんだろうかと思ったそうだ。しかし男には得てしてそんなところがある。一緒について行って、ちゃんとやっているのを見て安心したそうだ。男も悟るところがあったようだ。他人の話を聞く事は、自分を知ることにつながるんですよと。
 https://tettan2mc.exblog.jp/m2018-06-01/
 カメチャンも元気になった。60代の頃は、体調不良だったが毎朝のラジオ体操と、独自に考案したストレッチとか筋肉を鍛えることを続けた結果、見違えるばかりに元気になっていた。グループを組んでやっているそうで、皆さん調子が良いようで仲間がどんどん増えているそうだ。教祖様になれるんではないかと誰かが言っていた。

 今度のクラス会に当たっては、彼は200%の気づかいをしてくれた。それぞれの時間を調べ、翌日には海峡のお向かいにある下関市の長府観光に連れていってくれた。
 小生などはもちろん知らないところだ。宮城県人でもそこを訪れたことのある人は千人もいないと思う。
 長府は史跡の多さなどから観光産業に力を入れて、歩道は石畳がずっと続く、街中は至る所が石畳と塀があり風情万点である。全国でもここだけであろう。宮城県の中新田というところに、石畳の道があるが比べ物にならない。
 長府は、萩市を拠点とした長州藩の支藩である。萩ほどに知られていないのは残念だが、立派なところである。少し登ったところに功山寺というお寺があり、高杉晋作の像があった。幕末の三条実朝など京都の七卿落ちでも有名だ。明治天皇が宿泊したという簡素な和室もあった。長府のそもそもは、戦国大名の毛利輝元が子供がいないため養子をとったが、後に実子ができたので、養子を長府に別家としたのが江戸時代以降発展の経緯である。
 門司から下関へ船で渡ったところは「唐戸」と呼ばれる。源平合戦で平家と運命を共にした安徳天皇を祭った赤間神社なども参拝した。
 新幹線下関から博多へ、そして仙台へと長旅だった。博多空港は仙台より一回り大きい。



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by watari41 | 2018-06-08 15:57 | Comments(2)