目出度さや・・

 正月二日の初夢に
 何ともめでたい夢をみた
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・      ♯♭

 有名?な「えんころ節」の1節である。
 我が町で毎年開催される唯一の全国大会が「えんころ節」の歌比べである。この「えんころ節」は48通りもの歌詞があるそうで、宮城県の三大祝歌の一つにもなっている。主に沿岸部で歌われているようだ。昔は船主の家に集まり、正月に歌われたのだろう。それが次第に変化していろんな祝いの席で歌われるようになった。

 宮城県以外の人達にはわからないローカルな話題なのかもしれない。いまでは県内でも「さんさ時雨」の方が一般的な祝歌のようだ。

 正月は何で目出度いのだろうかということになる。
 ・・冥土のたびの一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし
 というような見方もある。我々の年齢になると共感できる句だ。
 インターネットで検索しても、何故目出度いのかを疑問に思っている人達が多い。適切な答えもみつからない。何となく正月の挨拶の慣例用語になってしまったのだろう。

 一年を無事に過ごして、次の新しい年を迎えるのが目出度いのだというのが、一般的な解釈なのであろう。昔はどこの家でも新年を迎えるのに大変な準備をしたものだ。歳神様がやってくるという考えであったのだろう。昔は誕生日というか満年齢という考えが無かったのではなかろうかと考える。正月に一歳が加わるのである。まさに正月は全国民の誕生日ということになる。

 上記の唄は次になる。
 金銀のべたる帆柱に  綾と錦の帆を巻いて 俵に宝を積み重ね これの館に ドッコイ
 なんとも目出度い「えんころ節」なのである。

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Commented by クオリア at 2010-01-04 09:39 x
日本の国ほどお正月を自由に宗派関係なく 見事に楽しみ祝うのですね
このうたも、 庶民の心根が心底からでています
いい夢をみられました。
Commented by ようこ at 2010-01-04 11:22 x
「えんころ節」は48通りもの歌詞があるそうですが、21世紀らしい自分の歌詞にかえてみるのも面白そうですね。全国大会だそうですが、歌詞を変えた「えんころ節」大会もいいですね。

はい、わが家の両親も数え年だけで年齢を言います。正月を迎えることができる感謝や喜びは、歳を重ねるほど増してきます。
Commented by watari41 at 2010-01-04 16:12 x
 海外に出かける人、旅館で過ごす人など、家にいない人も多いのですが歳神様は誰にでもやってくるんですね。日本人にとっては神様・仏様・キリスト様何でもござれなんですね。ただマホメット様だけは、何ともなじみがないんですね。クオリアさんコメントをありがとうございます。

 ようこさん、高齢者はそうなんですね。数え年です。親や祖父母からの習慣が残っているのでしょうね。その子供である現代人はもはやそんなことはないんですね。しかし田舎ではまだあります。我々の同級生は古希を祝っているんです。 
 21世紀の「えんころ節」はいい着想ですね。何かの機会に役場に提案しておきましょう。コメントをいただきありがとうございます。
    亘理の明日にゃ夢がある
    誰もが皆な生き生きと
    ・・・・・・・・・・         つづかる人がおりましたらどうぞ。
Commented by schmidt at 2010-01-04 22:10 x
 わが家では実に簡素な正月になっています。正月飾りもマンションの玄関にひとつだけ。初詣も、以前住んでいた上杉地区の小さな神社でOK。人ごみが苦手なためです。
 これでは日本の伝統を引き継ぐことはできません。正月さま、もしいらっしゃったらお許しください。
Commented by watari41 at 2010-01-04 22:44
 都会の正月は昔から実に簡素ですね。田舎の我々もそれに右へならへなんです。何にもしないところが多くなりました。
 初詣だけは違うんですね。竹駒稲荷神社に雪の中を44万人、仙南一円で40万人しかいないので、仙台市内からも多くの人が来るようです。大崎八幡宮が10万人なので、もっと人出があってもいいような気がしてます。schmidt さんコメントをありがとうございます。
Commented by moai at 2010-01-05 10:09 x
田舎でこそ日本の正月様が迎えられると思っています。我が家では裏の山から採ってきたウラジロ、榊と庭の柚子を手作りのお鏡にあしらってささやかな正月飾りをします。
収穫の秋が終わって、炭焼きやマキ作り以外は仕事のない農閑期、そして寒い季節風の正月、これぞ日本人の心を作ってきた行事でした。今年はたまたま大晦日から元旦にかけては夫婦2人でしたから、NHKのゆく年くる年を見ながらそんな回想をしておりました。
海外の正月は、上海とブラジルのサントスで迎えた経験があるのですが
両方とも0時を期して街中に爆竹が鳴り響き花火を打ち上げて日本人とは全く別の祝い方をしていたことが強く印象に残っています。
四季と正月がつくった”日本人の心”もしきたりとともに失われていくことになるのでしょう。
Commented by watari41 at 2010-01-05 20:15 x
  高知の正月お飾りはそうですか。所変われば品変わるですが、何百年も受け継がれてきたのでしょうね。
 日本ではどこでも、静かな正月を迎えているんですね。外国の模様をテレビでみますが、どこもど派手な祝い方なんですね
 内なるお祝いが”日本人の心”なのだと思います。
 代表的なものとして朝青龍のパフォーマンスが問題視されてますが、彼は相撲も格闘技の一つとして捉えているんですね。勝利してのガッツポーズは何が悪いんだと言うようなことなんですね。しかし現代の日本人には、その方が人気があるんですね。どこかに我々の「心」がもう行ってしまったかのようです。横綱審議委員の内館さんが、どなたか彼にそれを教えてくれませんかと嘆いてましたね。
 除夜の鐘を聞いていると、これぞまさに”日本人の心”に響く音だと毎年思っているのです。余韻が大事なんでしょうね。moaiさん、コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2010-01-03 17:36 | Comments(7)