古橋選手の時代

 昭和27年のヘルシンキオリンピックをラジオで聞いていた。まだテレビのない時代である。水泳の1500mに古橋広之進選手が登場する。当時としては驚異的な世界記録である18分19秒0の記録保持者だ。子供心にもわくわくしながら聞いていたことを記憶している。
 決勝に進出しての模様をアナウンサーは、古橋選手は残念ながら第八コースをゆっくりと泳いでおりますと放送している。もう余力は残っていなかったのだろう。水泳選手としての年齢限界を越えていた。とは言ってもまだ24歳なのである。記録を出したのは3年前のことだ。厳しいスポーツなのだ。その前の400mにむしろ期待をかけられていたが、無残にも敗れ、1500mは最後の力泳である。しかし結果は最下位に終わった。同時にレースをした橋爪選手が銀メダルだった。優勝タイムは18分30秒だった。
 古橋選手の不振は体調がよくなかったとかの説もあるが、選手生命はそこで終わった。その後は水泳連盟会長などスポーツ関係の政治的活躍の期間が長かった。
 先日、死亡のニュースが流れた。かなりの年齢かと思ったが、80歳とのこと。私とは一回りほどの違いしかない。私の残っている年月を考えると唖然たる思いである。

 ヘルシンキオリンピックの頃は、まだ貧しかった。そんな中で選手団へ現地大使館から日本食の差し入れがあったという記事がでた。これで日本選手も力を出せるだろうというものだった。この記事はおかしと思ったことを回想する。当時の洋食は高級品というか、我々田舎人には高峰の花みたいなものだった。パンを食べるなどというのは贅沢なものだった。折角ヨーロッパまで行き、洋食を毎日食えると言うのに、オニギリやたくあん、梅干、味噌汁などをもらったところでしょうがなかろうというのが率直な感想だった。しかし当時でも立派な日本食というものはあったのだろう。

 当時の年寄りは、パンは主食にあらずというような感覚があった。代用食の一種くらいに思っていたらしい。まだ存命だった祖母がそうだった。子供が喜ぶからと母は時々パンを買ってくるが、祖母は食べた後で「口直し」をさせてくれと、ご飯を一口分要求するのだった。明治の中期頃に生まれた方々は、誰しもそんな感覚をもっていたものなのだろう。ただ、当時のオリンピック選手は我々とそんなに年齢の違いもなかったので、日本食へのこだわりはなかったであろうと思うのだ。

 当時のパンは高かった。今みたいにオヤツにとはいかない。オヤツは竹の皮に包んだ梅干が定番だった。それをしゃぶるのだった。
 その頃、我が町にパン屋さんを創業した人がいた。現在はやっていないが、当時は高値で売れたので相当に儲かったということを聞いている。
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Commented by michiko at 2009-08-05 20:33 x
古橋、橋爪選手の活躍が戦後の明るいニュースでしたね!
古橋広之進さんは最後も水泳大会開催中のことで一生現役を貫かれ
本当に立派な方でしたね。
食も時代によって高級品であったり、代用食だったり変化が面白いですねぇ。
Commented by watari41 at 2009-08-05 21:27 x
 タイミングをみはからったかのように亡くなられましたね。水泳と関係が無いと、現代の若い世代には、なかなかわかりずらい歴史上の人物になってしまいましたね。北島選手と比べてどうかなどの質問がありましたが、比較するのもおこがましいくらい偉大な選手だったという回答がネットに載ってました。michiko さんコメントをありがとうございました。
Commented by moai at 2009-08-06 09:12 x
昭和27年ですか、モアイ10歳のはずですが漠然としたフルハシ、ハシヅメの記憶しかありません。もっともラジオがあったか、なかったかの境目で、あったとしても実況は聞いてなかったと思います。
一般に開放されたプールもなければスポーツクラブもなく、スポーツという概念でなく教練の一部だった時代、ふんどしでヌキテで泳いだ時代に天才的スィマーが出現したのでしょうね。
いまは水着の開発競争になったりして行き過ぎてこれまたスポーツの思想から離れてしまう心配が出てきました。
Commented by watari41 at 2009-08-06 15:45 x
 もはや14分台での競いあいですが、18分19秒0は憶えやすい数字でもあったんですね。水着の開発競争は、これまた意外な方向への展開なのですが、男子はパンツ一本での競技に戻せないんでしょうかね。moaiさんコメントをありがとうございます。
Commented by morikou at 2009-08-06 20:57 x
古橋、橋爪 。。。僕も ヘルシンキ実況 夜中に起きていて 聞きました。S27年なら 古橋、橋爪時代の 後だったんでしょうか。小学6年生だったのですが プロ野球:毎日オリオンズ等 色々と 弁護士になった中学同級生の お兄さんに 教えて もらったんです。川泳ぎ/バタバタも。
別話;4月出来事、大事な 日本水泳歴史/前畑からはじまって、古橋さん等の
大事な、大事なテープを 老先生から お借りしていたものを 大そそうして
上書き録画しちゃって つぶしてしまいました。この歳になっても、相変わらず の ボケ爺です。
Commented by watari41 at 2009-08-07 13:53
 父親は戦前にラジオ店を開いていたんです。(昭和19年没)そのため何台か残っていたんです。体が弱かったんで、自宅で営業できるものを選んだんですね。
 真空管の3球ラジオなど、今からみると簡単そのものの回路なんですね。
 オリオンズもずいぶんと名前が変わりましたね。知っているものだけでも大映、大毎、高橋、トンボ、毎日・・・、最初は川崎に球場があって、後で常磐線の上野から少し行った三河嶋というところに新球場を作ったように思いました。大映の永田雅一社長が始球式を行ったことを憶えているんです。つまらない記憶です。
 日本水泳歴史・・・図書館にあるのかもしれませんね。今度聞いてみましょう。morikou さんコメントをありがとうございます。
Commented by ようこ at 2009-08-08 19:54 x
「前畑ガンバレ!」は、何度も聞いていますが、
古橋広之進選手のことは、知りませんでした。

watari41さんと歳の近い夫に古畑選手のことを聞きました。
それにしても「広之進」とは、武士のような名前ですね。
若いころスポーツ選手だった方に、心不全のような突然死が多いと聞いたことがありますが、体力に自信がありすぎて、無理をしすぎているのでしょうか。
Commented by watari41 at 2009-08-09 10:41 x
 結婚してから、兵頭さんという名前に前畑さんは変わり、子供たちにコーチをしているオバサンからオバアチャンにかけての姿をよくテレビで拝見しておりました。
 突然死はまだ理由がはっきりしていないんですね。次回のテーマは脳梗塞にします。
ようこさん、コメントをありがとうございました。
Commented by クオリア at 2009-08-09 12:39 x
古橋さんは素晴らしい人生をおくられましたね 私と同年代を過ごしてきた方なので感銘が深いのです
スポーツで生き抜いた精神に感動をおぼいます。
Commented by watari41 at 2009-08-09 16:52 x
 その一生を水泳関連のことで過ごしたんですね。クオリアさんと同年代ですか。日本の歴史にも残る人ですね。コメントをいただきありがとうございました。
by watari41 | 2009-08-05 17:51 | Comments(10)