第二の人生

 退職後の第二の人生は、おおよそ20年と言われるから、私はその折り返し点に近づきつつある。
 かつて、とてつもなく長い第二の人生を経験した方々のことを思い起こしている。徳川慶喜がそうである。31歳にして幕府が崩壊した。以後の45年間を一私人として過ごすことになる。幸いにも当時は一般の人が持てなかったカメラを趣味としたので、明治初期の貴重な写真が現在に残る功績があった。亡くなったのは大正2年である。私は在京の時に国会図書館を見学したことがあった。入り口のところに、今日は何の日みたいに、何年も前の興味ある新聞記事が置かれていた。「最後の大将軍死去」という一段見出しの小さな記事だった。それでも慶喜晩年の顔写真がついていた。当時はもうその程度の意味しかもたれなかったという解説があったような気がする。

 幕末に同様な境遇だった人が近くにもいた。宮城県の最南端に坂元村というところがあった(現在は合併して山元町)。そこの殿様だった大條孫三郎道徳という方だ。32歳で明治維新を迎えた。その後、長生きしたので55年間を第二の人生として全く別の道を歩んだ。しかし在職中にも慶喜同様立派な仕事をしているのである。
 孫三郎道徳は4千石を有し伊達氏の一族でもあったので、仙台藩の奉行職にあった。勤皇派としても知られた。恭順か否かの時には攘夷派と対立して破れ開戦に至っている。だが、公家や官軍にも人脈があったので敗戦後の処理で大きな役割を果たしたのである。
 攘夷を主張していた但木土佐と坂英力は、戦後に責任は全て我にありとして藩主らをかばい、切腹するのだからこれまた見事である。
 ところで、大條孫三郎道徳は55年間をどう過ごしたかというと、独学で書画に打ち込むのである。才能もあったのだろう、現代の美術年鑑に相当するものに大正10年に地方花形画家として紹介されている。伊達翠雨という画号を用いた。
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(山元町歴史民族資料館にて5月6日まで特別展開催中)

 私は為すところ無く過ぎてしまっているが、同期に会社を辞めた男は、中国茶を勉強して、仙台の繁華街に単独で店を開いた。残りの人生をかけたのである。勇気のいることである。成功を祈っている。了解を得られれば、詳しく紹介をしてみたいと思う。
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Commented by クオリア at 2009-03-27 13:50 x
すばらしい人生の生き方の先人たちのご紹介ありがとうございました
ご友人の中国茶の紹介楽しみにしています
Commented by schmidt at 2009-03-27 14:32 x
 定年までわたしもあと3年。諸先輩の背中を見ながら進もうと思います。よろしくお願いします。
Commented by watari41 at 2009-03-28 17:50 x
 現代版のすばらしい第二の人生を取り上げているテレビ番組もありますが、何れも農漁村に入っての生活なんですね。都市でのそんなものがあってもいいと思っております。クオリアさんコメントをありがとうございます。

schmidtさん にはすばらしい趣味もあり、在職中の体験も豊かなようですので、良い第二の人生をを送れるものと思っています。コメントをありがとうございました
Commented by moai at 2009-03-30 10:14 x
余生を書画に打ち込む、知人の中にも何人かいます。個展などに招待されて言ってみると立派な作品が並んでいます。いいだろうなとは思っても小生のように図画でほめてもらったことのない者にはやはり入門できません。
watariさんが”為すことなく過ごす”とんでもないです。これだけ内面を充実させた余生を送る人を知りません。これからもいろいろ教えてください。
Commented by watari41 at 2009-03-31 10:13
 私も絵画はまったくダメなんです。moai さん同様と言っては失礼ですが、芸術的センスがゼロなんです。図画・工作・音楽・製図・図学などこれらでほめられたことは皆無です。コメントをいただきありがとうございました。
by watari41 | 2009-03-27 11:06 | Comments(5)