冬日記/遭難

 冬山では毎年何名かの遭難者がでる。そこに山があるからだとか、絶壁の魅力に取り付かれてとか、登る人には理由がある。私には冬山への登山経験はない。せいぜいゲレンデのスキーを楽しんだくらいだ。それでも猛吹雪がくると周囲が全く見えなくなる。怖くなるが、自分の位置を確認できているので動かなければ安全である。元来が臆病なのである。

 昭和5年というから、もう80年ほど前になる。祖母の弟が福島県の吾妻山で遭難した。11月初旬に単独登山した。その年は例年より初雪が早かったのだという。
 私の大叔父であるその人は、30歳で海軍大尉・東北大理学部留学生・独身という贅沢な身分だった。昭和初期のことであるから軍人は重要人物扱いされたのだろう。河北新報一面トップに3日間も写真付で捜索記事が掲載された。

 祖母の実家に行くと兄嫁である大叔母が、タンスに大切に保管してある当時の新聞を広げてくれるのであった。
 捜索は、10日間ほど続けられたが、積雪も多くなって打ち切られた。翌年の雪解けを待って再開された。倒木に両足を乗せて頭を山頂の方に向けて一休みしているような格好でそのまま眠ってしまったのだろう。地元の人によって発見された。

 大叔父は洒脱な人だったらしく、後に友人・知人らによる追想集が発刊された。
 その一節に「遠洋航海で面白いこともあったでしょう。と聞かれて・・いや小便してきただけさ」と、どこかで聞いたことがある洒落だが、まさか大叔父が言いはじめではなかろうとは思うのだが。

 遭難は家族や周囲の人々に大迷惑をかける。しかし山登りや、それにつながる冒険などは、社会的にもある程度は許容されているようなところもみえる。英雄視される場合だってある。
 大昔に人間が生活の場としていた山や海の記憶なのだろうか。
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Commented by moai at 2009-01-13 10:29 x
最近は山男の話もめっきり少なくなり、大学の山岳部など入部者がめっきり減っているようですね。昭和40年代までは山男でなくても”娘さんよく聞けよ♪”と粋がって声を張り上げたものでした。
このたびの不況、若者の心に影響が出てきて、蟹工船がブームになったり共産党が復権する兆しもあるとか、そのうちに大学生も昭和のバンカラに回帰したりするのではないでしょうか?そんな気持ちで世相を眺めております。
Commented by watari41 at 2009-01-13 12:02 x
 合唱や山岳部など、人気がなくなりましたね。時代の波なんですね。60年安保の時のエネルギーは何だったのだろうかと思うことがあります。男子が目立つ方法として、昔はバンカラでしたが、今はファッションなんですね。世の中やっぱり変わってはきているんですね。
蟹工船ブームも、それに匹敵するような現代版作品がでるんだと思っているんです。moai さんコメントをありがとうございました。
Commented by クオリア at 2009-01-13 15:50 x
人の重厚さを感じられる死に方ですね 現代は何となくウスッぺラナように感じられます。
昭和に回帰してゆく機運が少しでもでて大きくなってゆくことを期待しますね。昭和5年11月に生まれた私は関心深く記事を読ましていただきました。
Commented by michiko at 2009-01-13 21:49 x
ひと昔まえ、山男は男性らしさの象徴のように思われていた時代があったようですね。
ダークダックスの「山男のうた」 懐かしいです!!
今は登山は熟年の人達のブームのような気がします。
Commented by watari41 at 2009-01-14 17:45 x
 クオリアさんの生まれた月の出来事でしたか。言われるように人間の尊厳が現代は薄くなってしまいましたね。今回を書くために追想集を引っ張りだしてきたら、本を閉じている金具が錆びてボロボロの状態でした。コメントをいただきありがとうございました。
追記:当時としては、あまりなかったのでしょうが、本人はバイオリンを習っていたのです。女の先生のところに通っていて珍しい名前の方でした。偶然なことはあるもので、私が入社した会社に、大正5年の生まれという年配の方で、その珍しい苗字だったので聞いてみました。そしたらその先生というのは私の母親なんですというので驚いたことがありました。その大尉のことをかすかに覚えてますよというのでした。

michikoさん、ダークダックスも年をとり、数年前に見た記憶では、一人が欠けてましたね。ゲタさんだったでしょうか。
百名山は、我々以上の世代のものなんですね。手近に東北百名山なんて本が出たような気がしましたが。
コメントをありがとうございました。
by watari41 | 2009-01-12 17:38 | Comments(5)