人気ブログランキング | 話題のタグを見る

余日録


by watari41

人間の骨

 先日、90歳を越えた叔母さんが相次いで亡くなった。東京そして南相馬市での葬儀である。
 田舎での葬儀は簡略化が進んでいる。昔は位牌を持った喪主が先頭に立って親戚がそれぞれの具物を持って行列をつくり、墓地や寺院まで歩いたことを回想する。今や駐車場までの間を歩く形式的なものになった。大都市ではこれも省略されている。
 葬儀社にいわせれば、お経も葬式の間を持たせる形式としてのものなのだという。意味もわからぬ経を聞いて、遺族や参列者も納得するというのだが。しかし何度も列席しているとこの時間がもったいない。個人を偲ぶというより型どおりの式をやればよしとするのだ。
今や火葬が本来の意味の葬儀なのだろうと思う。

 東京では戸田の火葬場に行った。霊柩車が次から次へとやってくる。通路の反対側は遺骨を抱えた人たちが、これまた次々と帰途につく。人口が多いのだから当然だが、この数の多さに唖然とする他はない。
 火が入って40分ほど控え室にいた。骨を拾う準備ができましたと言うので、行ってみたら、もう鉄板の上にわずかの骨が並べられ骨壷に入れるばかりになっている。火葬そのものは15分くらいで終わっているようだ。それでは短すぎるので遺族の心情を斟酌して、控え室の時間を長くして、その間に準備をととえるのだろう。

 父の末妹である叔母さんに我々甥・姪は子供同様にしてお世話になった。従兄弟は皆集まった。父方の最後の親族でもある。

 東京から帰ると、今度は家内の叔母さんが亡くなったとの知らせである。こちらの火葬は2時間もかかっている。そして台車ごとに引き出される。驚いたことに頭をはじめ遺骨がほとんど残っていないのである。長いこと現代医療で生かされていた人というのは、こういうことなのかと思ったものである。東京の火葬場での拾える骨だけを持ってきた配慮を理解したのであった。
Commented by クオリア at 2008-06-01 12:07 x
東京と地方の葬式の相違がよくわかりました。05年のデータでは火葬場に送られる人間が出生者数を上まわった、百六万七千人が生まれ、百七万七千人がなくなったそうですね遊行期ということ死生観が変わってきた時代に入りましたね
Commented by watari41 at 2008-06-01 19:54 x
荘厳な雰囲気のある建物の中で火葬が執り行われ、しかるべき尊厳が保たれているのですが、あまりの数の多さに驚くのです。
ここで、人はみな格差がなくなるんですね。クオリアさんコメントをありがとうございました。
Commented by ようこ at 2008-06-02 07:03 x
火葬場は実生活とかけ離れた別の空間のような感じがします。
数日前まで、呼吸をして暖かかった人が骨という物体になるのですから。
90歳まで生きた方だと「寿命をまっとうした。いろいろな苦労もあったけれど、がんばってよく生きたよね」というような、満足感に近いような気持も生まれます。
Commented by watari41 at 2008-06-02 11:59 x
必ず通過しなければならない関門ですね。昔は仏様になったという風に言われ、そんな感じを持っていたのですが、今やおっしゃるように骨という物体と化すという感覚になってしまいましたね。
(温度が上がると、何もなくなってしまうのでしょうね)

お二人とも5年ほど寝込んだのです。最後は施設に入ったとはいえ介護者には大変なご苦労があったようです。
我々には生前の良い思いでしか残っておりませんが、それでいいのでしょうね。
by watari41 | 2008-05-31 22:23 | Comments(4)