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余日録


by watari41

相馬の風景(5)

 相馬の風景(5)_a0021554_13241014.jpg相馬藩主代々の墓は同慶寺というお寺にあった。本堂前には老木がある。お寺の創建時に植えたものであろう。風格のある木なのだ。相馬の風景(5)_a0021554_13244733.jpg
お寺の格式が高かったのか檀家が33軒しかないのだという。従って今や寺の財政が大変に厳しいようだ。住職が全てを自分でやっているのだという。藩主の墓石の一部を撮影したが、同様の形状の墓が延々と続く様は壮観である

 相馬の風景(5)_a0021554_13301355.jpg南相馬から海岸に出て、松川浦の海の中道ともいうべき景色のいいところを通過した、その道は7Kmも続く、右が太平洋、左が松川浦である。福島県の名勝でもある。松川浦は200万坪もの広大な潟である。その中には松島を思わせる島々もある。松川浦の北端にある海水の出入り口には、相馬ベイブリッジともいうべき大きな吊橋がかかっている。(写真はいずれも観光案内
より)相馬の風景(5)_a0021554_13342617.jpg

 
 さて、最後に伊達政宗のことに触れてみよう。私の個人的な解釈だが政宗は相馬氏との激突を避けるために、相馬領の最北端を巧みについて太平洋に出たのである。現在の福島県と宮城県境のあたりだ。政宗はこの時に初めて海を見たのだという。政宗が腰を下ろした石というのが残っている。。相馬の風景(5)_a0021554_13382953.jpg
はてしない水平線を眺めながら、後の支倉常長の壮挙へとつながる着想がここで生まれたのであろうか。 現在は皮肉にも、目の前に座礁した外国の2千トンの貨物船が半分沈没して横たわっているのだ。引き上げの目途がまだ立っていない。
 政宗が腰を下ろした一帯は、これまた皮肉なことに後の江戸時代に唐船番所(外国船監視所)となった。全国5箇所のうちの一つでもある。
 日はとっぷりと暮れた。一日で10箇所以上もの名所旧跡を案内してもらった。N君に感謝を申し上げこの項を締めくくりたい。N君曰く「相馬市と南相馬(旧原町市)は、それぞれが独立しているので、関連ある資料を取り寄せるのに両方の市に連絡せねばならずやっかいだった]
とか。一日の行動を5回のブログに引き伸ばしてしまった。
Commented by michiko at 2007-12-24 20:22 x
あの時の座礁船がまだ そのままなんですか? 山元町に住んでいる方が その座礁船を描いてレストランに飾ってもらっていたら
その船の関係者の方が その絵を是非に譲って欲しいと云われて描いた方は その絵を差し上げたそうです。
Commented by watari41 at 2007-12-25 09:09 x
 意外な人気があるんですね。ウエディングドレスを着た方がきて、座礁船の前のえん堤に立って記念撮影をしていったとかの話もあります。絵になる光景なんですね。michiko さん、コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2007-12-24 13:47 | Comments(2)