妻の容態急変
2006年 10月 14日
ガンセンターを退院後自宅での療養4カ月、ずっと小康状態にあった妻の容態が急変した。末期がんを宣告されてはいたが、病状が悪化することが無かったので、もしかしてというかすかな望みを抱いたこともあった。私も呑気に、思いつくままのブログ雑文を再開していた。
しかし、数日前に急激な頭痛を訴えた。そして食べられなくなり、薬など口にしたものは全て吐いてしまった。急遽入院して検査してもらったところ、脳に転移したガンが膨らんで脳圧を高めていたらしい。早速応急処置をしてもらったが、病状からして時間の問題になりつつあるようだ。
覚悟をしていたとはいえ、やはりつらいことである。病院には最善の処置をしていただくしかない。妻も意識のしっかりしているうちにと家族への感謝の言葉をつづり始めている。私が逆の立場になったらどういうことになるのかと思うとやるせないことだ。
私には、幼い時に死別した父の記憶は薄いが、祖父母との別れ、母との別れを体験している。いずれも若いときのこととて、60代半ばに齢を重ねてしまった現在、誰しものことであろうが妻に対してはまた特別の感情がある。
我が家の歴史を繰り返すようだが、妻を含み、この家で種々の苦労をされてきた4代の女性の方々に思いを馳せた。
祖父が、こんなことを書き残している、祖母に「お前には長年、手元不如意で大変な苦労をかけたが、よく家の切り盛りをしてもらった。その殊勲甲である」と、いかにも明治初期の人らしい表現である。祖父の死後、祖母は20年ほど長命した。また、祖父の回想に母(私の曾祖母)は、先代からの借金などのために行商をしながらも我々(祖父のこと)兄弟を育ててくれたとの感謝をも記している。百年以上にもわたり、ごく短い期間を除いては、我が家は貧乏暮らしから抜け出していないことになる。そんな中でも一族の方々の気持ちだけはおおらかだった。
ガンセンターでは、これから出来るだけ穏やかな時を過ごせるようにと勧められ、病院に併設されているホスピス「緩和ケア病棟」への手続きをお願いしてきたが、待機者が多くて2ケ月の待ち時間があるようだ。
今は、幸いにも脳への特効薬があり、その点滴をしてもらった結果、幾分か元気を取り戻してきた。加えて脳のガンを抑えるための放射線照射も始めた。若干の食欲がでてきたようだ。これからも妻の闘病の日々が続いていくが、私も何とか頑張りたいと思っている。時にはこのブログも更新していきたい。
しかし、数日前に急激な頭痛を訴えた。そして食べられなくなり、薬など口にしたものは全て吐いてしまった。急遽入院して検査してもらったところ、脳に転移したガンが膨らんで脳圧を高めていたらしい。早速応急処置をしてもらったが、病状からして時間の問題になりつつあるようだ。
覚悟をしていたとはいえ、やはりつらいことである。病院には最善の処置をしていただくしかない。妻も意識のしっかりしているうちにと家族への感謝の言葉をつづり始めている。私が逆の立場になったらどういうことになるのかと思うとやるせないことだ。
私には、幼い時に死別した父の記憶は薄いが、祖父母との別れ、母との別れを体験している。いずれも若いときのこととて、60代半ばに齢を重ねてしまった現在、誰しものことであろうが妻に対してはまた特別の感情がある。
我が家の歴史を繰り返すようだが、妻を含み、この家で種々の苦労をされてきた4代の女性の方々に思いを馳せた。
祖父が、こんなことを書き残している、祖母に「お前には長年、手元不如意で大変な苦労をかけたが、よく家の切り盛りをしてもらった。その殊勲甲である」と、いかにも明治初期の人らしい表現である。祖父の死後、祖母は20年ほど長命した。また、祖父の回想に母(私の曾祖母)は、先代からの借金などのために行商をしながらも我々(祖父のこと)兄弟を育ててくれたとの感謝をも記している。百年以上にもわたり、ごく短い期間を除いては、我が家は貧乏暮らしから抜け出していないことになる。そんな中でも一族の方々の気持ちだけはおおらかだった。
ガンセンターでは、これから出来るだけ穏やかな時を過ごせるようにと勧められ、病院に併設されているホスピス「緩和ケア病棟」への手続きをお願いしてきたが、待機者が多くて2ケ月の待ち時間があるようだ。
今は、幸いにも脳への特効薬があり、その点滴をしてもらった結果、幾分か元気を取り戻してきた。加えて脳のガンを抑えるための放射線照射も始めた。若干の食欲がでてきたようだ。これからも妻の闘病の日々が続いていくが、私も何とか頑張りたいと思っている。時にはこのブログも更新していきたい。
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schmidt
at 2006-10-14 22:26
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ご心中お察し申し上げます。ひたすらお祈りしています。頑張ってください。
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M
at 2006-10-14 22:55
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放射線照射のききめがでることを願っています!何度も頑張って克服してきたので今回も頑張ってほしい!
お辛いですね。夫婦や子供の場合はことさらだと思います。
おじい様が、妻に感謝の言葉を残しているとは、watari41さんは、優しい素敵な家族に囲まれていますね。
watari41さんもどうぞお体に気をつけて下さいませ。
奥様の痛みや不快な体調が少しでも軽くなりますよう、お祈りしております。
おじい様が、妻に感謝の言葉を残しているとは、watari41さんは、優しい素敵な家族に囲まれていますね。
watari41さんもどうぞお体に気をつけて下さいませ。
奥様の痛みや不快な体調が少しでも軽くなりますよう、お祈りしております。
孤独と痛みに耐えながら人は一生過して行くのですね 痛みをやわらげてくれるのは暖かい心の言葉と痛いところに手をかざしてあげると二人の心が和らいでゆく 私もwatari41さんに心風を送り続けます
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imaizumi
at 2006-10-15 08:04
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昨日の朝、watari41さんのブログもそろそろ更新される頃と思い、開いてみたが、更新されていません。あっ!何かある!私の予感が当たってしまいました。 時あたかも夕べはNHKが特集[今、医者が足りない!」特集番組をやってましたが、何とか奥様がその犠牲にならず、万全の治療看護がなされますことをひたすら祈ってます。
今朝の河北歌壇の私の拙歌、心安めになればと思います。
〈ほんとうの夫婦の会話を交わせりと妻の介護をする友云いぬ〉
今朝の河北歌壇の私の拙歌、心安めになればと思います。
〈ほんとうの夫婦の会話を交わせりと妻の介護をする友云いぬ〉
どんなにかお辛いことでしょう。
傷みが少しでも和らいでいくように、ただ祈っております。
ホスピスの緩和ケア病棟へも2ヶ月も待たなければならないのですね。
どうぞ、watari41さんもお身体に気をつけて頑張って下さいませ。
傷みが少しでも和らいでいくように、ただ祈っております。
ホスピスの緩和ケア病棟へも2ヶ月も待たなければならないのですね。
どうぞ、watari41さんもお身体に気をつけて頑張って下さいませ。
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akiyama
at 2006-10-16 02:42
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人が病で末期を迎えるとき、見舞いの家族を意識できるということは、幸いと、私は思います。
私の妻は、今から6年前に強度のアルツハイマーで病院の一室で植物が枯れるごとく逝きました。
死亡約3ヶ月まえには、もう孫も医師も判断がつかず、食欲もまったくなくなりました。
一つの救いは、疼痛症状がなく、恍惚として亡くなったようです。
意識があるのがよいか?無いのがよいか?私も苦しみました。その時、『般若心経』の一字一句の意味をつくづくと噛み締めました。
ともあれ、奥様とwatari41さんの言動は我々に勇気を与えてくれます。お二人の、こころの安らぎを祈ってやみません。
私の妻は、今から6年前に強度のアルツハイマーで病院の一室で植物が枯れるごとく逝きました。
死亡約3ヶ月まえには、もう孫も医師も判断がつかず、食欲もまったくなくなりました。
一つの救いは、疼痛症状がなく、恍惚として亡くなったようです。
意識があるのがよいか?無いのがよいか?私も苦しみました。その時、『般若心経』の一字一句の意味をつくづくと噛み締めました。
ともあれ、奥様とwatari41さんの言動は我々に勇気を与えてくれます。お二人の、こころの安らぎを祈ってやみません。
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宮下洋子
at 2006-10-16 11:05
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カメチャン
at 2006-10-16 22:58
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私は自分の身近でWATARIさんのような経験をしていないので、適切な言葉が浮んで来ません。今の貴重で大事なお二人の時間をどうぞ暖かいものにし、そしてズットズットそれが続くものにして下さい。WATARIさんの愛情で奥様が回復の方向へ向かわれることをお祈りしています。
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watari41 at 2006-10-17 07:37
皆様、激励や慰めのコメントをいただきまして誠にありがとうございます。昨日、病院でMRIの詳細な説明を受けました。脳の数箇所にガンが転移しており、大きいものは3cmくらいありました。放射線でこれらを押える治療になるようですが、記憶障害など別の苦痛出てくるようで、いろいろと迷うことが多い日々になりそうです。
by watari41
| 2006-10-14 20:12
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