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余日録


by watari41

新元号(4)

 天皇が存在するから、「元号」があるというのが現代人の一般的な考え方であるが、昔はそれとは関係なく元号が乱発されていた時代があったことはこれまでに述べてきた。ただ元号を公布する役割が朝廷にはあった。同様に正3位従4位であるとか、人間の位置づけも行った。これは本来なら神様から与えられるべきものであるが、天皇がその代行をしているという考え方である。天皇が神の子孫であるからということである。

 神様であるからには、前述の「よみがえる」ということの他に「みそぎ」という行為を司る必要があるとされる。簡単にいうと一般人は神主からお祓いを受ければOKだということになる。さらに厳しくは寒中に海水に浸かるなどのこともある。大祓いということもある。
 キリスト教では「告白」とか「懺悔」によって、人間の罪をさらけだすという、いわば「みそぎ」に相当するものがある。天皇は一般人には知られていない特別な「行」を宮中でおこなっているようだ。
 日本では神主、キリスト教では修道士が内容は異なるが、根本的には同様なことをやっているのだと思っている。

 特殊な見方をする人の中には、世界三大宗教の一つである回教国がなかなか近代化できないのは、上記のようなことがないからだという説を唱えている方まである。

 やや不敬な物言いになるかと思うが、天皇家は1700年の歴史を通じて時代・時代に対応するすべを身につけるようになったのだと見られることがある。
 1945年の終戦時には、「現人神」から「人間天皇」への大転換に成功した。戦後の同時代を生きてきた筆者からみると、昭和30年頃には、さすがに一般国民の皇室への関心は薄れつつあり、無関心という危機が迫りつつあったように感じていた。それを打ち破ったのが美智子皇后である。当時のミッチーブームというのは大変なものだった。その美しさと清楚さが皇室を救ったと思ったものだ。それをいちはやく察知したのが昭和天皇だったようで、皇太子の妃は皇室・華族関係者に限るべきではないと側近に示唆していた。

 次の天皇で、最も心配されていたのは雅子妃のことであるが、最近になって劇的なご回復をされていると報じられている。これまた外部からみていると奇蹟的なことのように思える。
 さて、いよいよ元号の話になる。これまでの元号は筆者などは全く知らなかったが、アマテラスの著者によると、いずれも漢籍を元にしたものであるという。四書五経とか、その中に含まれるのかもわからないが論語などである。「平成」もそれを発表した当時の小渕官房長官が出典を聞かれて、そんな返答をしていた。
 著者は、そろそろ出典を日本の古典に求めたらどうであろうかと具体的に提案している。

by watari41 | 2018-12-25 16:32 | Comments(0)