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余日録


by watari41

新元号(2)

 「アマテラス2つの墓」著者は、新元号に面白い見解を示しているが後で詳細を記すことにする。

 再び、古代に話が帰る。今も殆どの神社が鏡をご神体としているが、これは伊勢神宮の鏡が起源であり、ヒミコまで遡る話になる。「魏誌」によると「倭国」では、ことの他に「鏡」を喜ぶとある。卑弥呼が100枚の鏡をもらったことは教科書にも載っている。
 現代のホームセンターで売っている神棚セットにもミニチュア「鏡」がついているのだから驚きである。

 では何故、鏡が神様扱いをされ貴重なのかというと、ヒミコの時代より少し前に中国よりもたらされた「鏡」の一枚をいろいろといじり回した人がいた。表面を布で磨いていたら、偶然にも凹面鏡になった。これは太陽の光を一点に絞り込む作用がある。当時にあっては凹面鏡のことなどは誰も知らなかったろうが、その焦点にあったものが発火したというのが作者の推測である。発火させること自体は、この時代になると木と木をこすり合わせることで種火を得られる事はもう知られていたので珍しくはなかったが、「太陽の光」が「火」をおこすことに神秘さを感じたのだろう。まさに「天照」なのだとおっしゃる。天の神様が火を起こす道具をくれたと解釈したようだ。現在でもオリンピックなどの「聖火」は鏡で得られたものである。

 本家の中国では、そんなことはつゆ知らなかった。蛮国である倭国が、おかしなものをほしがるものだと不思議に思っていたのかも知れない。鏡の鋳造技術などは日本にはまだ無かった。中国から鋳造職人まで招待して鏡の大量生産がはじまった。日本にはまだ「年号」がなかったので翌年の製造に職人は「景初4年」という年号をつけたが中国にはもう存在していなかった年号なので日本の学者には謎とされてきたものである。日本に来た職人には中国で年号が変わったことはわからなかった。当時の日本の古墳発掘からは、大量の鏡が見つかる事が多い。中国では殆ど見つかっておらず、日本独自文化として発達したものである。


 鏡の技術は急速に発達して、大型の鏡が作られるようになった。伊勢神宮にあるものだ。
 本来のヒミコの鏡は、直径12cmほどのごく小さなものである。何故筆者が知っているかというと、我が町に奈良の考古学者が数年前に来てその講演を聞いたことがあった。レプリカを持参してきていたのである。

by watari41 | 2018-12-13 13:18 | Comments(0)