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余日録


by watari41

優生保護法

 東京在住だった小・中学校の同級生W君の訃報があった。
 我々は昭和23年に入学だった。だがW君は学業がまるで駄目だった。9年間休まず通ってはいたがお客さん扱いで過ごしていたのだった。
 人には誰にでも特技がある。彼はイナゴ取りが上手だった。田舎では中学生になると3日間、イナゴ取りのために全校生徒が休業状態となる。布袋を持ち長靴をはいていたと思うが出校して出席を取られるが、その後一斉に町内の田んぼに散らばる。持参の弁当もあぜ道で食べる。14時頃に学校に戻りイナゴを計量され帰るのだった。
 W君はいつも学年でトップを争っていた。私も比較的得意な方で3日で一貫目(3.75kg)を捕獲して7等賞になったことがある。賞品はノート一冊だった。トップクラスは一日でこれくらいを軽く捕獲してしまう。後は遊んでいる。
 貧乏な時代だったので、学校は生徒の捕獲したこのイナゴを業者に売るのであった。その代金で図書の本やスポーツ用具などを買っていた。
 栄養のある食物として結構高値で売れたようだ。一般家庭の主婦も自家用にイナゴを取り佃煮としてオカズにしていたものだ。

 W君は中学校を卒業すると、東京に出て左官の内弟子見習いとなり5年後に独立して、30歳前には結婚した。
 ところが彼には子供がいなかった。子供のいない夫婦というのは結構いるもので、私なども特に気にしたことはなかった。ところが最近テレビで「優生保護法」というのが盛んに話題になっている。もしかしてという思いが脳裏に浮かんだ。かれは両親が幼い頃に亡くなってしまったので親戚の家に預けられて育ったのである。
 宮城県は特にこの「優生保護法」のもとに強制不妊処置を多くの人に実施している。テレビには昭和23年施行のこの法律原本が、天皇裕仁の御名御字のもとに何度も放映される。被害者は大変な数に上っている。ローカルテレビでも取り上げている。本人が全く知らなかったケースも多いようだ。

 昭和20年の終戦後には、ベビーブームと言われ、後に段階の世代ともされる、今では想像もつかない出産過多の時代があり、人口急増の時代を迎えていた。食料も不足しており、このままでは大変なことになると騒がれ、産児制限などという言葉もでたが、積極的に悪い遺伝子を排除しようという考えになったのである。今からみると科学も未発達だったといえる。与野党ともに賛成した。しかし驚いたのは、この法律が平成初期まで残っていたのである。W君がどうだったのかは知るよしもない。だが今も苦しんでいる人は多い。

by watari41 | 2018-11-05 17:48 | Comments(0)