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余日録


by watari41

77歳同級会

 今回は、かつて八幡製鉄に勤務していたカメチャンが幹事なので北九州市に出かけた。もちろん生まれて初めてである。
 門司港に面したレトロ街の重要文化財になっている旧三井クラブが会場である。関門海峡があまりにも狭いので驚いた。東西に走っているとばかり思い込んでいたが、このあたりでは南東の方面に行くと瀬戸内海に抜ける。
  近況の紹介では、在学中から「根性が大事や」と言っていた男が、今は老人クラブなどで「傾聴の会」のボランティアをしているのだという。彼の病気が心配で同伴してきた奥さんは、私の話を何十年も聞いた事のない夫が、そんなことを出来るんだろうかと思ったそうだ。しかし男には得てしてそんなところがある。一緒について行って、ちゃんとやっているのを見て安心したそうだ。男も悟るところがあったようだ。他人の話を聞く事は、自分を知ることにつながるんですよと。
 https://tettan2mc.exblog.jp/m2018-06-01/
 カメチャンも元気になった。60代の頃は、体調不良だったが毎朝のラジオ体操と、独自に考案したストレッチとか筋肉を鍛えることを続けた結果、見違えるばかりに元気になっていた。グループを組んでやっているそうで、皆さん調子が良いようで仲間がどんどん増えているそうだ。教祖様になれるんではないかと誰かが言っていた。

 今度のクラス会に当たっては、彼は200%の気づかいをしてくれた。それぞれの時間を調べ、翌日には海峡のお向かいにある下関市の長府観光に連れていってくれた。
 小生などはもちろん知らないところだ。宮城県人でもそこを訪れたことのある人は千人もいないと思う。
 長府は史跡の多さなどから観光産業に力を入れて、歩道は石畳がずっと続く、街中は至る所が石畳と塀があり風情万点である。全国でもここだけであろう。宮城県の中新田というところに、石畳の道があるが比べ物にならない。
 長府は、萩市を拠点とした長州藩の支藩である。萩ほどに知られていないのは残念だが、立派なところである。少し登ったところに功山寺というお寺があり、高杉晋作の像があった。幕末の三条実朝など京都の七卿落ちでも有名だ。明治天皇が宿泊したという簡素な和室もあった。長府のそもそもは、戦国大名の毛利輝元が子供がいないため養子をとったが、後に実子ができたので、養子を長府に別家としたのが江戸時代以降発展の経緯である。
 門司から下関へ船で渡ったところは「唐戸」と呼ばれる。源平合戦で平家と運命を共にした安徳天皇を祭った赤間神社なども参拝した。
 新幹線下関から博多へ、そして仙台へと長旅だった。博多空港は仙台より一回り大きい。



Commented by tettan2mc at 2018-06-11 07:17
長府の街は素敵だったでしょ。もう少しゆっくり散策すればもっと良かったのですが----。仁さんは博識だから興味をそそるものがたくさんあったことでしょうね。この時期の天候にしては最高の薄曇りだったのですが少々疲れましたね。門司もコンパクトでレトロだけの街並みだったですが高齢者向きだったかもしれませんですね。
大したおもてなしが出来なかった幹事ですがご容赦下さい。
Commented by watari41 at 2018-06-11 17:09
超一級のおもてなしをいただきました。感謝・感激して帰ってきました。長府があのようにすばらしいところだとは、もっともっと世に知られるべきですね。日本には、まだまだ知られていないところが沢山残っているとの印象を強くもちました。改めてありがとうございました。
by watari41 | 2018-06-08 15:57 | Comments(2)