古寺巡礼
2005年 09月 04日
仙台市博物館で奈良「興福寺展」が開かれている。国宝の仏像などが多数やってきた。昨年は唐招提寺展があり、鑑真和上像などの国宝を見学した。仙台に居ながらにして「大和古寺巡礼」ができるようだ。便利な時代に生きている。
40年も前にこれらの寺々を巡る機会があり、諸像を見ているのだが記憶が薄くなっている。時を経て再び見られようとは幸運なことである。
「古寺巡礼」といえば、和辻哲郎さんの本が有名だ。日本文化の根源を西洋芸術との違いから見事に解いたもので古都を巡るバイブルのようなものだった。その後、土門拳さんが様々な角度から写真に記録されたものが出身地である山形県酒田市の記念館に残る。その撮影技術は国宝の姿を余すところなく見事に伝えている。
源平の合戦では「義経」の活躍のみが光っているが、この時に平家側では奈良の焼き討ちをしたのである。興福寺をはじめとした、古くからの貴重な寺々が失われた。
現在の興福寺にある国宝の数々は、その多くが鎌倉時代初期の復興によるものだが、運慶などの優れた彫刻家が輩出したので、それらの傑作を見られるのは一面の幸運でもある。
焼け残った国宝の仏頭も展示されていた。源平時代から5百年も遡るものだが、その優美な顔は奈良時代の雰囲気を伝えているような感じがする。
現代に生きる我々は、多かれ少なかれ連綿と続くこの時代からの歴史遺産を受け取りながらも、少しづつ変質させながらやってきているのだと思う。
昔のものを直接見ることは、意識するとしないとにかかわらず、その時代にかえり現在の脳にインプットされている事柄と対比され、さらにまた新たな考えが湧いてくるというようなことで、現代に生きていることの意味を問うことなのだろうと思っている。
(これから3日間、わが郷土研究会一行は先祖を同じくする姉妹都市の、北海道伊達市を訪ねることになっている。私は初めてなのでどんなところか楽しみである。)
40年も前にこれらの寺々を巡る機会があり、諸像を見ているのだが記憶が薄くなっている。時を経て再び見られようとは幸運なことである。
「古寺巡礼」といえば、和辻哲郎さんの本が有名だ。日本文化の根源を西洋芸術との違いから見事に解いたもので古都を巡るバイブルのようなものだった。その後、土門拳さんが様々な角度から写真に記録されたものが出身地である山形県酒田市の記念館に残る。その撮影技術は国宝の姿を余すところなく見事に伝えている。
源平の合戦では「義経」の活躍のみが光っているが、この時に平家側では奈良の焼き討ちをしたのである。興福寺をはじめとした、古くからの貴重な寺々が失われた。
現在の興福寺にある国宝の数々は、その多くが鎌倉時代初期の復興によるものだが、運慶などの優れた彫刻家が輩出したので、それらの傑作を見られるのは一面の幸運でもある。
焼け残った国宝の仏頭も展示されていた。源平時代から5百年も遡るものだが、その優美な顔は奈良時代の雰囲気を伝えているような感じがする。
現代に生きる我々は、多かれ少なかれ連綿と続くこの時代からの歴史遺産を受け取りながらも、少しづつ変質させながらやってきているのだと思う。
昔のものを直接見ることは、意識するとしないとにかかわらず、その時代にかえり現在の脳にインプットされている事柄と対比され、さらにまた新たな考えが湧いてくるというようなことで、現代に生きていることの意味を問うことなのだろうと思っている。
(これから3日間、わが郷土研究会一行は先祖を同じくする姉妹都市の、北海道伊達市を訪ねることになっている。私は初めてなのでどんなところか楽しみである。)
by watari41
| 2005-09-04 09:12
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