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余日録


by watari41

執念

 罪なき人が犯罪者に仕立て上げられ、無罪を得るまで半世紀を要してしまうということがある。
 これからお話しようとしているのは、これとは逆に本来は人命救助の「英雄」だった人が他人にとって替わられ、それは自分なのだと証明するために60年間も活動を続けている、今年90歳のご老人のことである。ご町内に住んでいる。

 昭和29年のことだからだいぶ昔のことになる。阿武隈川の渡し船がひっくり返った。定員10名程度の小舟に26名を乗せて、ほろ酔い加減の船頭があやつっていたのである。もちろん当時でも橋はあったのだが、工事中で自動車もきわめて少ない時代なので、車は大きく迂回し、人々は渡し船を利用していた。
 強風の引き起こす波に煽られて転覆したのである。折よく堤防道路に通りかかったその人は、ロープを体に巻きつけて、転覆船まで泳ぎ着き、船べりにつかまっている人諸共に、駆けつけてきた地元消防団の人達と一緒になって船を引き寄せたというのである。
 それでも、老人や幼児など数名の死亡者がでたが、大半の方は助かった。
 その救助に当たった男は、事態を見届け終わると名も告げず自宅に帰ってしまったのである。

 当然ながら、誰が助けてくれたんだろうということになった。2日後くらいになって、その船に乗客として乗っていた22歳の保安隊の男が救助者として大きく地元紙に掲載された。警察からも表彰を受けた。保安隊の男は北海道で勤務していて休暇で実家に帰り、その船に乗り合わせていた。誰ともわからない救助者に警察としても都合がよかったにちがいない。

 ところが、地元消防団は独自に捜索していて、隣町に住んでいる川に飛び込んだ男を知っている人がいたというのである。消防団副団長がやってきて、表彰したいからと自宅まで来たそうなのである。だが、それからいくら待っても何ら音沙汰が無いというのである。当のご本人も忘れかけていたようだ。
 それこそ半世紀も過ぎてから、過去の事を調べようとしたのである。時すでに遅かったのである。
 類推するに、当時、消防団が警察に行った時には、もう救助者を決定したから余計な動きをしないでくれといわれたのであろう。自衛隊の前身でもある保安隊は当時はあまり人気がなくて、機会があれば取り上げてほしいとの要望が警察にもあったのだろう。

 90歳の男は年数をかけて調べ上げた冊子を渡してくれた。すさまじい執念である。内に秘めた善行としてあの世にゆけばという人もいるが、それはそれで価値あることだ。
 

by watari41 | 2015-05-06 16:37 | Comments(0)