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余日録


by watari41

生きたお金

 大震災で壊滅的な打撃を受けた宮城県亘理町荒浜地区に2軒の豪商があった。武者屋さんと江戸屋さんである。
 津波被害で今や見る影もなくなってしまったが、江戸時代に荒浜湊は米の一大集積地であり、海運業が盛んだった。巨万の富を得た商家は今に続く大富豪でもあった。

 明治から昭和初期にかけての膨大なコレクションが両家にあることは知られていたが、我々が目にすることはなかった。
 今次震災は、これらのものものみこんでしまったが、貴重な品々なので関係者によってレスキューされた。
 数万点にもおよぶこれらの品々は、丁寧に処理され分類された。
 昭和13年に52歳で死去した江戸屋当主は、同時代に生きて当時より有名であった、竹久夢二・岸田劉生や斉藤茂吉など、近代日本を代表する芸術家とも親交があり、その方々の肉筆書や絵があった。今になってみると実に貴重なコレクションである。この他に夏目漱石・芥川龍之介・柳原白蓮・坪内逍遥の肉筆書類など、こんな田舎にいて直接お目にかかっれるとは思ってもみなかった。
 金銭的価値も莫大であろうが、歴史的な価値も高く、実に有効なお金の使い方をしていたものである。資料館の関係者も良い仕事に恵まれた。
 わずか百円の入館料を支払い見学してきたが、これほどの至福感に包まれたことはかつて経験したことがない。昔流に表現すれば「良い眼福を得た」ということになる。

 武者屋さんは、武田信玄の武将であった土屋家の子孫で甲斐国より流れてきて、この地に落ち着いた。「落ち武者」からとった苗字なのだろう。江戸時代に仙台藩の有名絵師であった菅井梅関・東東洋・・など10名の画家が逗留した記念として、一幅の掛け軸にそれぞれが猫の絵を描いている図が面白い。

 現代の江戸屋さん当主は、私などと変わらない年代の方だが、お前は一生、就職などしなくとも食える分はあるだろうから好きなことをやれと親から言われて、当時出来たばかりの原子核工学科に学んだということを聞いた。世に人は様々である。

Commented by ようこ at 2015-02-27 21:41 x
watariさんが、亘理町の歴史を綴られ、武者家さんと江戸屋さんも喜んでいらっしゃることでしょう。
Commented by watari41 at 2015-02-28 17:40
 こんなことを郷土史会員である当町の千名に近い人々の知るところなのですが、外部への発信が意外と少ないのです。ようこさんコメントをありがとうございます。
by watari41 | 2015-02-26 17:44 | Comments(2)