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余日録


by watari41

永仁の壺(4)

 (永仁)という年号は、鎌倉時代に普通にある年号に過ぎないが、これに「壺」という文字が付くと意味ありげにみえる。

 どんな年号を使ってもよかったのだろうが、永仁を選んだところに唐九郎のセンスが感じられる。おかしなことに偽作事件以来、陶芸家として世間にその声望は高まる一方であった。当時のメディアのセンセショーナルな取り上げ方があったのだろうと思う。

 私なども、その盛名に押されて「唐九郎陶芸展」を見に行ったことがあった。もちろん見てもわかるものではない。こういうものを作るのかと思った程度だった。

 先日、NHKの「ゆうどき」に作家の五木寛之さんが出演していた。親鸞の著者としても知られる。興味深いことをおっしゃっていた。結局のところ人類社会、悪人が栄華を誇ることになるんですと。以後の言葉はなかったが、私なりに解釈すると、それ故に地球上では人間が繁栄をしているんだと。(それも限界にきているが)
 五木さんは、親鸞の歎異抄にある悪人正機説を意識して言われているのだろう。悪人こそ阿弥陀様に救われなければならないと。さらに突っ込むとわけがわからなくなるから止めておく。
 私などは、仏様は殺生を禁じているのに、人間は魚をはじめ全ての生き物を殺して食べている。人類は皆なが救われなければならないとの解釈に到達したのだが、いかがなものかと思っている。
 その人間界でも、悪人と言われる者が勝ち残っていく。五木さんは、そんなことを言わんとしているのだと勝手に解釈している。一見して善人とされる人にも偽善家もおり、そんな人も得てして勝ち残っている。仏様はそんな人も見てますよと親鸞は言ってるのだ。 

 唐九郎は、こんな基準でいうと偽善家もしくは悪人なのである。彼は結局のところ現世では勝ち残った。死して阿弥陀仏に救われるという有難いことになったのだろう。
(次回はこの項の最終)

by watari41 | 2014-11-03 21:03 | Comments(0)