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余日録


by watari41

永仁の壺(3)

 「壺」の製作者は、唐九郎の長男なのである。長男は第二次大戦前に父と共に作陶に励んでいたが、やがて出征することになった。父の唐九郎は、万一の場合の形見に残しておこうと思ったのだろう。2個の同じような形をした出来の良い壺を大事にしまいこんだ。長男は戦死することなく無事に帰国した。

 唐九郎はしまいこんだことも忘れていたらしいが、10年ほど過ぎてその壺がひょっこり出てきた。原色の「陶器辞典」編纂の時にその壺が古陶磁として表紙を飾ったのである。写真でもあり、長男もその時は気がつかなかったようだ。

 さらに唐九郎は、目利きとされる人や骨董収集家をも利用する。長男創作の2個の壺のうち一個を鳥取県の金持ちに古陶磁だと言って高額で買い取ってもらうのである。
 そんなことも小山さんの耳に入って来て、もう一個の方もぜひ日本に残しておきたいものだとの気持ちがさらに大きくなって重文指定に至るのである。

 「重要文化財」に指定された翌年の昭和36年にその展示会が、東京のデパートで開催され、それを見た長男はこれは俺の作品だ、間違いないと申し出たのである。しかしこんな年号を入れた覚えはないとも主張した。その時、唐九郎はパリに行っていた。どういうことなんだよオヤジと問い合わせを出した。唐九郎は窮してしまったという。
 彼は、この重文指定を利用して、もっと壮大なる演出を計画していたようなのだ。セガレも馬鹿なことを言ってくれたものだと嘆いていたらしい。やがて唐九郎は全ては私のやったことですと表明した。だが、これは思いもかけぬ絶大な効果をもたらしたのである。重文級の陶作ができる男として、ありがた過ぎる評価をいただいた。超一流作陶家になってしまったのである。

 年号の謎は、唐九郎自身が長男の壺に書き込んだのである。
 文化財保護委員会で審議の際に、古文字の専門家が、永仁2年(1294年)に、こんな字体は有り得ないと拒否したが、陶磁専門の小山さんが押し切ったのだという。
 小山さん自身も文字のところの釉薬の流れ方がおかしいなとは感じていたらしいのだが。後の祭りだった。



Commented by ようこ at 2014-10-30 22:18 x
小説や映画になりそうな事件でしたね。
パチパチ!

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Commented by watari41 at 2014-10-31 06:58
すでに何本かなっているはずだとおもいます。村松さんの書かれた、この著作も立派な小説だと思うのです。
ようこさんに拍手を受けたのでもう少し続けます。
by watari41 | 2014-10-30 17:08 | Comments(2)