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余日録


by watari41

アメリカの戦い(2)

 1942年、アメリカの原爆開発が佳境に入った頃、陸軍の使途不明金が多すぎると、これを調べ始めたのが、後に大統領となり広島・長崎への投下を決断することになるのトルーマン上院議員なのだから興味深い。この時にスティムソンは、トルーマン氏に直接電話をして、私の責任で全てを掌握して進めていることなのでと話したところ、調査を中止したということである。

 1943年、原爆が完成していないのに、最初の投下をドイツではなく日本と決めているのである。爆発の威力がどの程度なのか半信半疑だったこともあり、木造家屋の東京が第一候補だったのである。ドイツでもし不発弾となると、開発者の手にわたり開明されることを恐れたのだともいう。一般的には人種問題があったとされているが、著者の中沢さんによると、記録にはそういう記載が一切なく、多少の疑念もあると書いている。
 それはそうとして原爆の完成前にドイツが降伏してしまった。日本しか残っていない。その東京が45年3月の大空襲により壊滅した。現場の判断だがスティムソンはがっかりしたと記している。無傷で残っている大都市は第一候補に京都、第二候補に広島となった。
 京都に落とす事には、スティムソンも反対し、ルーズベルト、そして終戦間際に大統領となるトルーマンの了解も取り付けた。戦争に勝ってもアメリカは歴史的汚名を被るだろうことを理解していたのである。彼は戦前に2度来日しており、京都にも立ち寄っている。

 では広島に投下することにためらいはなかったのだろうかということになる。大いに苦悩したと記されているが、最後には手段を選ばずということだったのだろう。日本の玉砕戦法などに大いに苦戦しているとの認識で、原爆やソ連の参戦があっても、日本を降伏させられるか自信が無いとしていた。

 スティムソンは早めに降伏させる条件として天皇制を存続させるという項目をいれれば、強硬派も納得するとわかっていたようで、ルーズベルト大統領には進言しているが、同盟国であるスターリンは当然ながら、無条件降伏しか認めない。ソ連は参戦したかったのである。
 7/Eに最後の機会があり、ここで日本が降伏していれば、原爆投下もなかったし、ソ連も参戦できず60万人の日本人シベリア抑留の無かったし、北方領土問題だって出てこなかった。

by watari41 | 2014-10-02 17:38 | Comments(0)