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余日録


by watari41

アメリカの戦い(1)

 アメリカ国民が、他国と戦争・闘うのは嫌だとしていた時代がある。
 国内戦である南北戦争が終わってから、第二次世界大戦が始まるまでのおよそ75年間、米国は他国と闘うべきではないという概念をもっていた。これをモンロー主義などとも言っていた。(1898年の米・西戦争を唯一例外とした)

 日本では日清・日露戦争、ヨーロッパでは第一次世界大戦があったがアメリカは兵を出していない。1939年ドイツが進撃を開始して第二次大戦が始まった。破竹の勢いでソ連に攻め込み、イギリスもドイツの戦力の前に風前の灯となっていた。時のチャーチル首相はアメリカに援軍を求めたが、米国世論はこれを許さない。
 アメリカの戦い(1)_a0021554_16461386.png 米国政府は困っていたのである。ルーズベルト大統領の下に国務長官を経て実質的には大戦を指揮することになる「スティムソン」が陸軍長官になっていた。
 彼のもとには、欧州から亡命してきたアインシュタインなど、名だたる物理学者がドイツが原子爆弾を持つ前にアメリカが開発すべきだとの進言をしていたのである。政治家でその重要性を認識してものは、当時ほとんどいなかったとされる。
 そのなかでスティムソンは「兵器を超えた意味を持つもの」と理解したのである。大統領の了解を得て、陸軍予算のなかから秘密裏に膨大な「マンハッタン計画」の費用を捻出したのである。当然ながら議会にはかけられていない。
 
 丁度、そんな頃に1941年12月8日に日本の真珠湾奇襲攻撃があった。スチムソンは日記に、その時の感想を「安堵」したともらしている。これでアメリカ国民も立ち上がると思ったのである。
 当時は、アメリカの戦争準備も十分でなかったので、ゼロ戦をはじめ日本の戦果は大いに上がっていた。米国も一時は西海岸への上陸も覚悟したようだ。しかしミッドウエイ海戦に勝利してからは、日本の攻撃は一段落と、ヨーロッパ戦線に集中できるようになった。

 後に史上最大の作戦と言われたフランスノルマンディ海岸への上陸を42年にスチムソンが提案し、ルーズベルト大統領が連合国会議に諮ったが、どういうわけかチャーチル首相が反対した。結局は2年遅れの44年にその作戦が実行された。

by watari41 | 2014-09-27 17:04 | Comments(0)