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余日録


by watari41

珍しい人

 昭和10年生まれの男がいる。小学校を4年までした行ってないんですと言う。そんな馬鹿なと思った。義務教育のはずなのに何故?
 その男は、昭和20年の終戦の時に夏休み中だった。当時の国民学校が普通の小学校へ転換する時に、名簿から名前が抜け落ちてしまったというのだ。
 学校からの呼び出しがかからないことを幸いに子沢山の貧しかった親は、手間取りというか作男に出してしまったのである。(この辺りの大農家では作業人員を補うために、他者を住み込みで雇っていることが多かった)
 今の世の中なら大問題となっているはずだが、当時は戦後のドサクサにまぎれて、誰も詮索する人などもいなかったようだ。

 雇主は、あまりに子供なので気の毒がり、最初は農作業ではなく幼児の子守をもっぱらやらせてもらったそうだ。

 戦後の農家の動力源は現在のようにあまり電力はなかったので、もっぱら発動機を使っていたのである。ダダダーという勇ましい音を発して結構な馬力があった。軽油を使っていたと思う。脱穀機を動かすなど昭和30年ころ私も使用したことがある。
 頑丈な構造なのだが、結構故障したものである。その男は、修理にきた当時のエンジニアの手元を良くみていた。ここが大半の故障の原因かと点火プラグの分解修理を覚えてしまったというのである。

 当時の農家では、発動機が故障してしまうとそのまま畑に投げておいたものである。それを見つけては、男は直してあげるといい、結構な小遣い稼ぎになったようだ。80%くらいは直ったそうだ。動かなくなるとまた呼ばれると言う具合だったらしい。

 生活の知恵を身に着けるのが早かったのだ。年に一度程度は顔を合わせることがある。ヒ孫にも恵まれ、わけが分からなくなるほどに酔っぱらうのである。これもひとつの人生だ。

 現代社会で、こんな生活の知恵を身に着けようとすれば、何があるのだろうかなどと考えたりしている。


by watari41 | 2014-06-30 10:24 | Comments(0)