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余日録


by watari41

生き残りました

 恐怖とか、死ぬなどという領域を超えて、天地がひっくりかえるかと思ったものでした。強烈な余震での地面の揺れは、なんとも不気味で地球最後の日を体感するような感じでした。我が家は津波からは少し離れてましたが、海岸地帯から逃げ延びた人たちが体育館にあふれ少ない水と食料に困窮しており、私も町内会への水対策です。落ち着いたら、また書き足します。

 津波は海岸より4kmほどのところで、小川を逆流して1mほど押し上げて、鯉を放出しておりました。50cmほどもある見事なコイが泥にまみれて路上に白目を開けて横たわってました。そこから先は今も立ち入り禁止です。

 自衛隊・警察をはじめ多くの救助チームが、わが町に来てくれました。中部地方の名前を多くみかけました。愛知県師団通信隊(正確な名前を失念いたしました)など。

 異常事態は脳をもおかしくしてしまうようです。16日現在も尚水道は停止したままで、我々は地下水をくみ上げて配給しております。あるとき、防災無線放送(巨大なスピーカーです)より、水道の試験送水を始めますという声を聞いたのです(幻の声だったのです)。いつまでも水がでないので、役場の係長にネジコンダところ、そんな状態ではないし、放送などするわけがないと言われたのです。私はその時に聞いたように、錯乱していたのでしょう。

 千年に一度の津波だったのかもしれません。869年、貞観年間のことですが、巨大津波の痕跡が地中に海岸の砂が堆積層として残っているのです。その研究が盛んになってきたのですが、まさか我々の世代がそれを再度体験するとは思ってもみなかったことです。

 今や現代社会の中枢にもなってしまった原子力発電所まで破壊しています。このあたりまでも放射能がくるかもしれません。今日の新聞は配達されませんでした。小雨でしたので、販売店は空からの汚染を心配したのだとか。かつての放射能雨を回想する出来事です。
 郵便もいつ配達が再開されるかわからないということです。
Commented by カメチャン at 2011-03-15 16:27 x
良かったですね  皆さんすごく心配していました。何回も171災害伝言板ダイヤルで情報を確認しました。テレビに何回も亘理町の津波の映像が流れていましたので本当に心配していました。でも良かったですね。今自治区会の義捐金集めの文を考えていたところです。住民の皆さんもこの未曾有の災害の苦しみを少しでも共有するのにどうしたらよいかという話が一杯出てきています。同じ日本人の同胞として、いてもたってもおれないのが皆さんの気持ちでしょう。福島原発も大変な状況ですね。これから各種情報が入手可能となることでしょうが、皆さんのリーダーとして頑張って下さい。何か必要なものがあれば遠慮なしにお申し付けくださいね。まだ寒いですから風邪をひかないようにご注意ください
Commented by ようこ at 2011-03-15 21:43 x
良かった!!海の近くだと伺っていたのでとても心配していました。無事でなによりでした。
疲労で倒れても、お医者さんは重症患者で手がいっぱいですので、お互い無理をしないで、乗り越えましょう。
Commented by クオリア at 2011-03-16 07:54 x
良かった!亘理も被害が大きいときいていましたので心配していました。よかったですね。
ご自愛ください。
Commented by moai at 2011-03-16 16:23 x
まさかブログ投稿できる状態とは思ってなかったのですが、お知らせいただいてほっとしております。ほんとによかったですね。こちらからは何も手助けできません、心ばかりの義捐金で応援するしかありません。
watariさんには郵便など届く状態でしょうか。もし届くのであればお知らせください。
Commented by watari41 at 2011-03-16 18:29 x
みなさん、ありがとうございます。
続きを書くことで返信と致します。
Commented by michiko at 2011-03-17 14:30 x
ご無事でよかった!!
亘理、山元、相馬など海岸に近いので津波での被害がおおきかったのですよね。 千年に一度の地震に遭遇したのですね。 各地の避難所にいらっしゃる方々への物資輸送が
少しでも早くスムースにと祈っているところです。
Commented by imaizumi at 2011-03-17 17:03 x
 先日、鈴木さんの温顔に接したばかりでした。亘理に初めて行ったことなど喋ったように記憶してます。
 これは他人の受け売りですが仙台の自衛隊霞の目飛行場の附近にある浪分神社は1611年の慶長大津波で1700人が死んだ大惨事のためこの名がついた、とのことです。
Commented by watari41 at 2011-03-17 17:48 x
護岸や高速道路の堰堤が上陸した津波のエネルギーを弱めているとも言われますが、すべてのものを破壊する様は、想像を絶するものがあります。
浪分神社のことも読んだことがありました。貞観津波とどちらが大きかったのでしょうか。平安初期はまだ多賀城に政庁があった時代なので、記録の正確さが勝るようなのです。
亘理の浜通り一帯に多くの人が住むようになったのは、慶長年間以後のことになるのですね。コメントをいただきありがとうございました。
Commented by だんどりぃ〜の at 2011-03-20 08:38 x
飯沼勇義さんの著書を改めて読み直しています。貞観津波を始め、明治三陸、昭和三陸とまさに今回と同じ惨状が繰り返されてきたようですが、政治家、学者を含めてほとんど全ての人間が学習していなかったようですね。飯沼さんが提案された海岸沿いの建築物は実現しませんでしたが、今回は皮肉にも東部自動車道路がその役割を果たしたそうです。自動車道の西側に住んでいる私の友人の何人かは被災を免れました。しかし、自動車道の西側に住んでいる方々には逆に作用したようです。飯沼さんの研究は素晴らしいもので、真実に迫る研究者のアプローチの仕方について大いに考えさせられます。飯沼さんはご存命であれば80歳、市や県に陳情書を出された平成6年当時のご住所は、今回の地震で大きな被害を受けた蒲生です。気掛かりです。「仙台平野の歴史津波」を発行した地元の出版社宝文堂は、数々の名著を世に出していましたが、残念なことに既に廃業しています。私は仙台が好きです。数年前に立ち上げたブログは現在休眠状態ですが、4月からはリニューアルしようと思っています。またコメントさせてください。
Commented by watari41 at 2011-03-21 10:23
常磐高速道路は、もっと海岸を通すべきだと提唱していた、先見の明ある方もいたのです。
残念ながら、山元町からは大きく山側にそれてしまいます。JR常磐線も大きく捻じ曲がってしまい復旧にはかなりの月日がかかりそうです。またそこで幼稚園児のおおきな不幸がおこりました。
飯沼勇義さん、今から思うとたいした方でした。私のお向かいさんの一学年下だったとかいうことで、宝文堂から購入して、暗記するほどに読みました。その時の知事は浅野さんでしたね。建白書みたいなものを提出したんですね。もちろん妄想と思われてしまったのでしょうね。
それでも常磐高速道路効果は、国土地理院の航空写真でよくわかりますね。いつくるかわからぬ災害にそなえるというのは難しいことですね。だんどりーのさんコメントをありがとうございました。
Commented by Schmidt at 2011-03-23 11:41 x
クオリアさんのコメントみて安心。どうしたかと思っていました。
by watari41 | 2011-03-15 15:12 | Comments(11)