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余日録


by watari41

同窓会(4)

 岩国城でブログをいっぷく。観光協会の写真を拝借する。どことなく仙台の広瀬川と青葉城の関係に似ている。錦帯橋を渡り城内に入って案内板を読んだら面白いことが書いてあった。「要害」という文字である。奇妙なことに宮城県のわが町も「要害」の文字で揺れている。岩国の場合はその経緯が面白い。
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 岩国城主、吉川氏は毛利氏の一族である。関が原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元は、大阪城に入ったので、関が原で毛利軍の指揮を取ったのは吉川広家である。しかし毛利軍は一歩も動かなかった。家康と吉川氏の密約があったとされる。戦後に吉川氏は毛利本家から反発を受ける。徳川幕府は岩国を藩として認めるが、毛利氏はこれを許さず属領だと主張する。そのうちに一国一城令がでて、萩に毛利氏の城があるので、岩国城は取り壊された。そして「要害」と呼ぶようになったのである。平成になってから昔の「城」を再建した。錦帯橋から見える位置に少し移動した。

 わが町の場合は、2万4千石であるが、仙台伊達家の完全な属領である。昔から町の人々はお城とは読んでいたが、江戸時代には仙台藩の「要害」だったのである。数年前に大きな看板が掲げられた「亘理要害」とある。郷土史会の重鎮の方がこれを決めた。しかし商店街から大きな反感を買った。どうして自らへりくだる必要があるのかというのだ。要害は江戸時代の呼び名であり、それからもう140年も過ぎている。こだわる必要はもはやないというのだ。観光価値を損なうようなことは止めてほしいというクレームなのである。「城」の方が格が一段上なのである。決着はついていない。

 仙台青葉城でも呼び名ではないが、似たような話があった。城の櫓(ヤグラ)を再建しようというのであった。観光価値を高めるべく、街中から見える位置が選ばれた。しかし史実からは数mずれている。歴史会からは猛反発を受けた。観光面からすると史実の位置では見えにくい。結局、時の仙台市長は再建を断念した。史実を歪めることはできないということだった。何とも真面目なことである。

 そこからすると官軍側は自由奔放に見える。岩国は観光に徹した。それでよかったのだろう。錦帯橋からお城が見える。史実と異なることは登ればわかるそうだ。
 東北人は概して保守的だといわれるが、それはそれで美徳なのだと思っている。いささか脱線してしまった。(岩国城内家老宅前にて)
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Commented by カメチャン at 2010-11-19 22:27 x
全く同じものを見てこのように深く思いをめぐらされるのはすごいですね。小生なんかは全く何も感じていない。歴史に興味のある人は史跡などを観光してみても見方や深さが全く違いますね。恐れ入りました。体育会系ではあきませんですね。しかし時間をかけてゆっくりと散策気分で観光することは楽しいことですね。また鈴木さんどこかに行きましょうね
Commented by watari41 at 2010-11-20 09:56 x
 今度は仙台をゆっくりとご案内致しましょう。別に深く見ているわけではありません。大きな歴史の舞台となった人が住んでいたので、興味を持っただけです。いろんな戦国ドラマでやっているので、知らずのうちに頭に入っています。カメチャン今回の旅行では大変にお世話になりました。こんなことを書けるのもカメチャン、ダイチャンのお陰です。コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2010-11-19 20:37 | Comments(2)