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余日録


by watari41

消したい記憶

 人は認知症にならぬよう願望し、いろんな努力をする。簡単な足し算や音読が良いと言われればそれを行う。
 しかし、忘れたい、消したい記憶もある。すべての記憶がなくなり自分が誰であるかもわからなくなったとき、もう人間ではないのかもしれない。それでも生き続けるのが現代である。
 認知症はは病気であり、その原因と対策もやがては明らかとなるであろう。記憶はできるだけ保ちたい一方で、人間の本性は忘却にあるのかもしれないと思うことがある。

 三島由紀夫の代表作「豊饒の海」(全4巻)を読んだことを思い出した。これは人間にとって記憶喪失とは如何なることかをテーマにしたのではなかろうかと、最後の部分を読み終えた時に感じたことを回想している。
 作者は転生をモチーフとした。明治時代の華族の恋愛物語が第一巻の「春の雪」である。主人公の男子は相手の女子を想いながらもわざと無視し、女子はやむなく皇族と結婚するが、男子は想いを捨てきれず関係を迫り妊娠させてしまう。中絶後に女子は門跡尼寺に出家する。男子はその後20歳にして亡くなってしまう。
 男子の友人が以後の2,3,4巻にも登場し、男子の生まれ変わりではないかと思われる少年と遭遇するが、いずれも20歳を前にして亡くなってしまう。80歳となった友人は、最後に門跡尼寺を訪ねる。邂逅を期待したが、貴方はどなたでしたかと言われ、全ての話しに「何のことでっしゃろ」と訊ねられて終わる。友人が60年間にみた少年達と自分の人生は何だったのだろうと欄外に問いかけているようだ。尼にとっては消したい記憶そのものであったのだろう。
 
 40年も昔に読んだことであるが、三島はこの最後を書き終えると、翌日自衛隊に乱入し割腹した。昭和45年のことだった。この自殺は文学的帰結なのか、右翼としての慷慨なのか今も謎とされている。

 明治維新の立役者である岩倉具視の暗躍はよく知られている。自分は墓場まで持っていかねばならぬ記憶が沢山あると言っていたそうだ。
 誰にでも、話すことのできぬ、消したい記憶のひとつやふたつはあるだろう。認知症を喜ぶべき人も多いのかも知れないと思ったりしている。

 
Commented by schmidt at 2010-10-08 11:52 x
「豊饒の海」は読んだことがありません。三島の作品で読んだのは数えるほどです。独特の精神性の高さ(?)についていくのがしんどいんです。いつの日かタッチするときがあるかなあ。
Commented by watari41 at 2010-10-08 15:30
三島由紀夫はああいう最期を遂げた為に、精神の異常性が指摘されてもいますが、作品を読んだ範囲では、そんなことを感じませんでした。schmidt さんコメントをありがとうございます。
by watari41 | 2010-10-07 17:08 | Comments(2)