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香港デモ

 結局は、香港デモも武力鎮圧されてしまうのではないのかと見ていたが、一部は成功しつつある。現場ニュースが国際的に同時放送される都市部において、さすがの中国も手荒なことはできない。
 帝国主義による植民地時代は終わったが、今度は社会主義国家による同様なことが起こるだろうと心配されている。

 中国の領土内のこととはいえ、一国二制度という約束は簡単には破棄できいないはずだ。台湾併合にも影響がおよぶ。
 かつてのイギリスは、インドなどの植民地で何百万人という虐殺をしてきたが、植民地香港は例外的な存在だった。イギリスににとっては誇るべきものだったはずだ。民主主義とされるものがあった。21世紀への変わり目のころ、イギリスから中国の租借地。香港の返還があった。99年間イギリスが借用していたものである。その頃に筆者は香港に長期出張をしたことがある。活気に溢れた街で、景勝の地なども結構あった。百万ドルの夜景を眺めたりしていた。

 かつては、帝国主義の蹂躙から人民を救うということで、社会主義が発展したのだと思うが、今や逆みたいなことになってしまった。
 毛沢東は中国統一に至るまで、何千万人規模の殺戮をしたといわれるが、文化大革命ではそれを上回る規模の人が殺されたらしい。チベットの併合もそういうことのようだ。ダライラマの要求する「高度な自治権」などはとても認めそうにない。

 今の中国は軍備拡張に熱心で、かつて日本に攻め込まれたようなことを無くす防衛権だというが、その領域をはるかに超えている。
 さらには、アフリカや東南アジアなどの低開発国に対して、莫大な貸出をしている。者金返済ができないとみるや、その国の港を租借地としたりして、100年前のイギリスと同様なことをやりはじめている。

 独裁的な権力ができてしまうと、かつてのヒトラーみたいなことにもなりかねない。歴史はその解決手段が常に戦争だったことを教えている。デモで解決できるならそれにこしたことはない。

# by watari41 | 2019-09-07 12:26 | Comments(0)

日本と朝鮮

 韓国と日本がおかしなことになっている。
「協定破棄」の祝砲の如く北朝鮮はミサイルを打ち上げた。日韓関係というのは昔から微妙だった。日本は明治以降から朝鮮国を征服の対象とみてきたきらいがある。西郷隆盛の征韓論が有名である。当時、行き場を失った武士階級の救済手段として朝鮮進出を主張したが、西欧を見学してきた盟友でもある大久保利通らのまだ時期が早いという反対にあって、薩摩で内乱をおこして敗れてしまう。西郷の没後20年ほどして日本は朝鮮に武力進出する。賊人だった西郷は名誉回復して上野に銅像が立つことになった。

 結局は、明治38年に韓国を併合した。昭和20年まで植民地としたのである。現在の文大統領は、そのことを日本に反省してほしいと要求しているのである。戦後74年をすぎて、もはや歴史的決着がついているのだが歯車を逆に回そうとしているから摩擦がおきて当然といえば当然のことといえる。
 終戦後間もなく初代韓国大統領となる李承晩氏は、日本海に勝手にラインを引いて韓国領だと主張して日本漁船を拿捕していた。徹底した反日主義者として国民教育を実施した。日本占領時代は全てが悪だったというのである。筆者世代は当時の新聞を読んでいるので、李承晩怖しの印象をいだいたこともある。文大統領はそんな時代に教育を受けたのだろう。例えるのはおかしいのかもしれないが日本の軍国少年みたいなものなのかもしれない。

 おまけに、かつての日本が北朝鮮を理想国家であるとの宣伝に乗せられて多数の日本人妻を送りこんでしまったが、現在の韓国には未だにそういうおもいの人がかなりいるようだ。大統領もそんな一人なのかもしれない。
 韓国の世論は、李承晩時代の教育が大きく影響しているとされるが、徹底した反日者が半分でその他半分とされる。大統領が変わると前大統領は刑務所に送られるが、国論が未だに統一されていない。文大統領も辞めたら北朝鮮にでも亡命するしかないかもしれない。
 いずれにしても、いつまでもイガミ合うわけにはゆかないだろう。幸い今の日本は強大な軍事力を保持していない。いつの世の中にも征韓論的な人がいる。

 イザベラバードさんという、イギリスの探検家であり紀行作家でもあった女性が、勇敢にも明治15年頃に日本、朝鮮、中国を旅行している。日本人には賛否両論併記だが、李朝末期だった韓国人には手厳しく、この民族は専制君主がいないことには収まらないとしている。清王朝末期の中国人評も厳しく、汚職を当たり前のこととしていると記している。130年も前に冷静な目でみられている。                               

# by watari41 | 2019-08-24 21:57 | Comments(0)

終戦記念日

 第二次大戦において、日本は万に一つも勝ち目はなかったのであろうが、途中での「講和」というのはあり得たのかもしれない。
 そもそも、開戦の当初から勝ちきるのは難しいと判断していたのだと思う。真珠湾の大勝がいけなかった。勝てるかもしれないと思い込んでしまった。ソロモン海戦あたりが潮どきだったのだろう。アメリカが応じた可能性もある。そんな資料が発見されるかもしれない。

 どなたか名参謀がいて、天皇が判断すれば出来た可能性がわずかにあった。
 戦死者の8割以上は終戦前の一年間であるとされているから、大半の方々は生き残ったはずだ。本土空襲もなかったし、原爆もなく、満州での悲劇やシベリアでの過酷な状況もなかったはずだ。北方領土問題もなかった。安倍さんの憲法問題だってあり得ない。

 日本の有能な人物が死亡して、機転のきく人たちが生き残ったともされるが、戦後の復興は残念ながらそんな方々の手になるものだ。
 「仮定」の話は禁物だが、「講和」がなったとして現在の日本はあり得たのだろうかということになる。
 戦前の日本は貧しかった。海外に活路を見出すしかなかったも事実であろう。李氏朝鮮の末期や清王朝の末期がひどかったがために、日本侵略の余地があった。しかし、これが拡大して欧米の権益とぶつかるようになると全面開戦か否かとなる。

 天皇は開戦を拒否すれば、私を廃嫡して他の皇族を立てて実行するだろうとの感想をもらしている。当時の雰囲気はそういうことであったろう。しかし負け続けるにつけ天皇の権威は増大していったはずである。かろうじて本土決戦は免れたものの、その前のご聖断があってもよかったのではなかろうか。陸軍と海軍の対立を利用して2.26事件を解決に導いたともされる。しかし戦争となってからは、両軍ともに引けなくなってしまった。

 仮に途中講和があったとしても、多くの人は生き残るものの、諸外国より敵視され続け、ソ連の如く軍事大国化することはあっても、国内の貧しさは変わらなかったと思うのである。歴史の必然としてすべてが「灰燼」に帰するしかなかったのかと思うとむなしくなる。


# by watari41 | 2019-08-16 17:16 | Comments(0)

女傑

 今年90歳になる知り合いのご夫人がいる。彼女の人生経験が凄い。
 他町から昭和25年頃に嫁に来た。父親が決めてたことで、見合いは彼女の家でしたそうだが、結婚式ではじめて我が町の嫁ぎ先の家に入ったのだというから驚く。何もわからずにやってきましたというのである。当時は結婚式をその家でやるのが常だった。

 相手のことを見合いの時に、うだつの上がらない教師だと思ったそうだ。当時は教員の社会的地位は現在のように高くはなく給料も低かった。断ろうとしたが、そんなことはできないと怒られて嫁にきたそうである。お姑さんが健在だったので、旦那さんは給料をすべてその母親にやってしまうので小遣いにも事欠き実家よりお金をもらってくる有様であったという。嫁してきたご本人は、そこが農家でもあり、山持ちでもあったので、百姓仕事とか山林の下草刈りなど、何でもこなしたそうだ。

 やがて嫁ぎ先の義両親も亡くなり、彼女は実権を握ることになるが、旦那は相変わらずの平凡な教師だったので、これを教頭に押し上げようと世情にもたけて来た彼女はありとあらゆる手段を使ったのだそうだ。いろんな根回しをしたようだ。それらが功を奏して定年の頃には校長にまでなった。
 すべては、私が仕組んだことですとおっしゃる。当のご本人はそんなことはつゆ知らず、退職金をご婦人には一切渡さずに、一人で使い切ってしまったというのだからこれまた驚くしかない。当時でも二千万円は超えていたはずだ。

 そんな人だったのでボケルのも早い。70歳頃にはもうおかしくなりはじめたのだと言う。ホームセンターのレジに立つ孫娘のような人にラブレターを書いて渡したのだという。当然のことながらその店長から奥様にそのことが伝えられた。あまりにも恥ずかしくてしばらくは他言できなかったそうである。
 ご主人は大酒飲みでもあったので、やがて肝臓を悪くして70代の半ばにして亡くなってしまう。彼女は子供たちもそれぞれに独立しているので、旦那の遺族年金となるが、校長まで押し上げたのでそれ相応のものとなり、結局は彼女に戻ってきた。

 内助の功などという領域を通り越して女傑とも呼ぶべきだ。今もなおシャンシャンとして自宅周りの仕事に精を出している。あと10年の百歳は間違いなく大丈夫だろう。

# by watari41 | 2019-08-09 23:12 | Comments(0)

ディープインパクト

 史上最強の名馬といわれ、生涯500億円を稼いだとされるディ-プインパクト。だがあっさり安楽死という殺され方をした。
 レース中に骨折した馬なども即座に安楽死させられる。人間は勝手なものである。動けなくなった馬に点滴するとか救命装置をつけて天寿を全うさせられないのだろうか。競馬の先進地であるイギリスも同様なのだろうか。動物愛護にうるさい国である。どんな扱いをしているのか気になるところである。
 北海道の牧場でどんな葬られ方をしているのだろうか。大きな穴を掘って埋めるだけなのだろうか。名馬なのだからどんな墓をつくってもらえるのか。
 犬・猫のペットの方がまだましな扱いを受けているようだ。死ぬまで丁寧に扱ってもらえるし無名でも墓がある。

 名馬の安楽死扱いに誰も問題を提起しない。精子を作れなくなった時点が寿命とされている。
 昆虫の中には、交尾を終えて一生の役割を終えたと死ぬものがある。人間がコントロールできない世界である。馬は動物である。

 かつての岩手県に南部曲屋という馬と同居する形態の家があった。馬は働き手の一員だった。死んだ場合にはどうしていたのだろうか。解体して食べていたのだろうか。そうは考えられない。家族の一員として心が通っていただろうし、江戸時代は四足を食べずということだった。「馬頭観世音」の石碑が至るところみられる。その供養にも気を使っていた。

 現代社会で、その生涯を全うできる牛・馬は、はたしているのだろうかと思うことがある。現代人は居酒屋で馬肉・馬刺し・さくら肉などを食べる。若い馬で将来性のないものが潰されているらしい。

 世界最高の競馬レースとされる凱旋門賞を偶然にもラジオで聞いた。外国でも一番人気だったようだがおしくも2着だった。
 人間にとって価値ある賞だが、馬にはどうでもいいことだ。「馬に小判」なのだ。

# by watari41 | 2019-08-03 12:49 | Comments(0)

18歳の壁

 2019年夏の甲子園、岩手県大船渡高校の佐々木投手が異様な注目をあびた。
 監督は地方大会の決勝戦で投げさせなかった。これは大英断だったと私は考えている。現代社会は甲子園の高校野球にあまりにも価値を置きすぎている。全国大会になるとNHKは朝から晩まで総合テレビで放送してくれる。これほど宣伝効果のあるものはない。
 地方の私立高校経営者にとってはたまらない魅力なのにちがいない。
 今年も宮城県は仙台育英高校である。かつてこの学校の経営者はとんでもない悪辣なことをやってのけ、それを書き出した教員の本が仙台のベストセラーになったことがあった。もう記憶にある人も少ないかも知れない。学校経営を支えているのは4000人もの名もなき高校生の月謝である。野球は悪評をすっかり消し去ってくれた。

 優秀な投手になると連投につぐ連投となる。これで潰れなかった人もいるが、過去の実績では確率50%程度のようだ。耐え抜いたのは、松坂とか(楽天→ヤンキー)の田中投手がいるが、日本ハムハンカチ王子の斎藤投手は潰れた。楽天の安楽投手も潰れかかっている。ヤクルトへ入団した仙台育英の佐藤ゆきのり投手も楽天で再起をかけているが半分潰れたようなものだ。秋田金足高校の吉田投手はどうなのか気になるところである。

 甲子園をここまで盛り上げてしまったのは誰なのであろうか。NHKにも一因があるのだろう。高校野球を極限までの「商品価値」に高めてしまった。地方の無名高校はその下支え役をやっている。まるでオリンピック精神の如く参加することに意義がある状態になってしまった。別な意味で、くたばれNHKなのかもしれない。今度の選挙で我が町では500票も入った。全国では一議席に達した。驚いた。

 高校生にとっては最も価値ある大会なのは確かだが、天才的なピッチャーがそこで一生を棒に振るような、悪く言うと愚挙にかける必要などは全くない。大船渡は公立高校ゆえに監督はそういう決断ができたのであろう。

 高校野球は心身を鍛える教育の一環であるとされているが、田舎の高校野球レベルの話でしかなくなった。高校野球を勝たせるノウハウを掴んだ監督は、全国各地から高額で引き抜かれている。

 最終的には誰もが狙うプロ野球があり、大リーガーの夢がある。佐々木投手にはその可能性が残った。これもおそらくは確率50%くらいはあるのかもしれない。生涯の数百億円を甲子園の土に埋もれさせるのはもったいない。

# by watari41 | 2019-07-28 17:34 | Comments(0)

選挙結果

 東北地方は4勝2敗だった。福島・青森県以外の1人区の4県で激戦ながら野党側が勝った。
 150年前の戊辰戦争を思い起こすのは大げさかもしれないが、官軍は長州の「安部総大将」をはじめ「菅参謀総長」などがやってきたが、仙台藩はこれを撃破したことになる。東北の入口である福島県の白河関は破られたが、仙台・山形・秋田・盛岡では持ちこたえたのである。

 江戸時代は、岩手県の奥州市(水沢・花巻)までは、62万石仙台藩内であった。岩手県というのはいつも面白い。今回は平野さんという人が、自民党から立候補したが、以前は民主党で当選して初代復興大臣だった。戦国時代でいうなら寝返ったのである。本人としては今度は与党の立場で政治家をやりたいというが、これでは虫がよすぎる。最初の開票速報で郡部が開き3万票もの差をつけた。ところが当確が出てこない。盛岡や奥州市で逆転されるとみられていたのである。

 宮城県も知名度抜群の愛知さんに対して、筆者など郡部ではまったく名前を聞いたことがない人だった。愛知さんの祖父は抜群に優秀な官僚と言われ、大蔵大臣となり首相も近いとされていたが急死した。選挙に出るときに県南地域では愛知会という組織が発足して圧倒的な人気を誇ったのである。そのメンバーは明治末期から大正初期生まれの人が中心で、現存している人はもはやいない。
 二代目の愛知さんはお婿さんだったが、選挙には義父の名残があり強かった。
 大蔵大臣だった愛知さんの父親は東北大教授の物理学者でアインシュタインが仙台で講演したときに通訳をしたことで知られていた。
 そんなことで今回の選挙も県南地域で愛知さんは圧倒的な差をつけるだろうと見られていたが、僅差でしかなかった。

 アベノミクスとされる経済政策は、わかりやくいうと大量に紙幣を印刷して市場に供給するということだが、一部の方々は大いに潤っているが、東北地方には、なんらの恩恵も届いていない。
 宮城県で勝利した、石垣さんはそのあたりを訴えて成功したとされる。
 それにしても、なんという投票率の低さであろうか。政治教育の低さが大きな原因とされている。新聞・テレビではわからない政治、経済の実態を日本人はよく知る必要があるとされる。国の借金とか海外への経済強力とか、実像のわからないことが多い。

# by watari41 | 2019-07-23 12:30 | Comments(0)

2019選挙公報

 はなはだ不謹慎なことながら、今回の選挙公報には驚いたと同時に興味を持った。
 「NHKをぶっ壊す」「安楽死を考えよう」という文字が躍っている。
 本来は政策で競うのが「選挙」なのであるが、何度やっても同じような結果になる。投票率はどんどん下がっていく。民主主義とはいうものの、事実上は一党独裁と同じようなことになっている。それを支えているのがNHKであり、平均寿命の伸びた老人なのであろう。
 かつて、「自民党をぶっ壊す」と言って大勝利を得た小泉さんがいた。今回はこの党が皮肉にもNHKの補強材になるのだろうか。
 与党は政権の安定が何より大事というが、ずっと昔に金丸幹事長が同じような言葉を発していた。安定が過ぎると逆に「不安定」になるというのが世の常識でもある。現在の日本は不安定になってきているのかもしれない。
 かつての日本ビクターという会社はビデオのVHSで勝利して、特許料で将来ともに盤石だといわれたものだが、そのあたりからおかしくなってきたのだと思う。敗れたソニーは危機感に目覚めて現在は立場が逆転している。技術の進歩が独占的な安定を許さなくなったのである。政党に変化はあるが、進化はないようだ。
 野党が政権を取ると悪夢であるとか、だらしないとか言われるが、何事も経験を積まねばならない。しかし時の権力者がそれを手放すことはあり得ず、現代社会では情報規制がそれを維持する有力手段である。中国では政権に都合の悪い情報は「ぶった切る」という乱暴な手段をとっているが、日本では自主規制という忖度がまかり通る。NHKの取材力は特集番組などをみていると大変なものだといつも感心するが、加計・森友学園の時も核心的な情報を掴んでいたのだろうが、報道はされていない。写真を示すのみでそれとなく視聴者は理解してほしいと言っているようだった。
 
 「安楽死」も昔ながらの課題である。NHKがその番組を組んで大きな反響を呼んだ。しかし特殊な事例でもあった。人生百年時代を迎えると、人間にとって切実な課題となるのかもしれない。将来を暗示することになるのだろうか。
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# by watari41 | 2019-07-13 17:52 | Comments(0)

 参議院選挙が始まった。選挙に多大な影響を及ぼすが「風」である。今回はどんな風が吹くのか吹かないのか。
 風は自然のものではない。「人間」が吹かせる。それに有権者がなびいてゆく。
 その風が吹いていることを、我々はテレビを見て、新聞を見て知るのである。
 政党や党首、候補者自身が吹かせることもあるが、メディアが「風源」になることもある。時の権力者はそれを極端に嫌うことは言うまでもなく、官房長官は風をメディアが吹かせないように、各政党を平等に報道するようにと釘を刺す。メディアも権力者に気をつかう。従って昔のような意外な番狂わせがなくなってしまった。

 「風」とは呼ぶものの、投票行動に結びつくものを、そのように名付けたに過ぎない。こんな現象を何と名づけてもかまわないのであるが「風」が最もふさわしいのであろう。風評の一つなのである。
 自然の風に対して日本人は世界中で最も敏感であるとされる。風を使う単語が100以上もあるようだ。春夏秋冬にそのまま「風」を付けたものから「ヤマセ」「ノワケ」・・・・など、おそらくは農耕民族の特性からくるものや、文学上の必要上から作られたものなど沢山の風が出て来て、日本文化ともいうべきものが作られている。東風(こち)吹かば・・・。など何とも優雅である。
 比喩として使われる「風」もある。憲法問題で与党政党間に「すきま風」が吹いているなど、言い得て妙な「風」もある。

 風格のある人という表現、風体のよくない人など、風で人間を表してしまうこともできる。
 風邪という病気も得体のしれないものだ。「邪」という風が持ってきたことを示すもので、これまた言い得て妙である。

 家風というのもある。その家に住む人の行動を規制する。「風」の付く表現は何かと便利である。
 風になびくというのは、強者に従うということにも通じる。
 おかしな風が吹いたという選挙結果に期待したい。

# by watari41 | 2019-07-07 18:10 | Comments(2)

数字の力

 年金だけで生活出来ない事は誰もがわかっていた。それが2千万円だと聞いて多くの人がパニックった。数字は怖い。
 トランプ大統領が安部首相に、令和への改元はアメリカンフットボールと比較してどのくらい大変なことなのかと聞いた。おそらくは2倍とか3倍という数字を期待したのであろう。だが首相は比較にならいくらい重要だと答えた。それしか答えようがなかったであろう。ところが通訳が気をきかした。100倍大変なことだと言ったら大統領は驚きながらも納得したようだ。一万倍とか無限大だとピンとこない。ましてや文学的表現である文字ではわからない。

 我々は具体的な数字をあまり使いたくない。近日中とか数日以内とかで一時逃れすることもある。近い将来だとかで、できるだけ数字を避ける。相手もあまり突っ込まないことが多い。なあなあ社会であると言われる由縁でもある。政治の場では特にそうだ。
 ところが、小泉内閣の時に厚生大臣が100年安心の制度ができたと大見えをきったことが記憶に新しい。これには誰しも怪しいと感じたはずだ。そんな遠い将来のことはホゴになるに決まっている。

 話題が変わるが、今年の楽天イーグスは好調だ。球場には連日2万6千人もの観客が入る。宮城県の人口が230万人なので1%以上、つまり100人に1人は球場へ足を運んでいることになる。しかも大半は仙台の方々であろうから、市民の3%近くが野球見物していることになる。日本一になった時のパレードには21万人。これはテレビで野球観戦している人数だと思った。

 最近の野球解説はち密で非常に科学的になってきているのだが、どの解説者も試合の「流れ」という言葉を頻繁に使う。たしかにそのように動いているような試合が多いと感じるが、この流れとは一体何なんであろうかといつも疑問に思っている。流れをたぐりよせたいとか、AIの時代にこのような話がまかり通っていることが不思議である。そのうちに将棋・囲碁の如く何百万もの試合を分析してAIが数字で出してくれるものなのかもしれないと思っている。

 前回ブログで、香港デモも天安門の如く鎮圧されるのかと思っていたが、2百万人という人口の20%の力は大きい。現状を維持できそうだ。

# by watari41 | 2019-06-22 15:39 | Comments(0)

居眠り

 一般職員の居眠りがこれほどに社会問題化したことはなかったろう。眠ってはならない時に目をつむってしまった。睡魔に襲われたのだという。
 イージスアショアという兵器のいいかげんさを、これほどにPRできたものはなかただろう。
 6000億円の品物をアメリカから購入しなければならないという課題が先にあったようだ。
 兵器の性能とか設置場所などは別問題みたいのようだった。本来ならこれほど高価なものを購入するのだから、担当者を現地に派遣して実地検分するのが当然であろう。東京にいてインターネット上で検証したのだというのだから驚くしかない。

 一度ケチがついたものは、最後の最後までケチがつくという見本みたいな出来ごとだと思っている。仕事中に居眠りがでるのは誰しも経験している。何も今回の彼だけではない。

 私などは田舎の町会長という役柄、葬儀などの時には、一番前の席すなわちお経を唱える住職のすぐ後ろに座る。はじまると直に眠くなる。コックリコックリとしてしまうが、場所柄だれも咎める人はいない。わけのわからないものを聞いて眠くなるのは当然のことだからである。西欧人には最も不思議な光景に見えることだろう。
 日本人の我々だって、おかしなことだと思っているのだが、AI時代の今日でもこんな慣習がなくなる迄にはあと100年くらいはかかりそうだと感じている。

 「春は眠くなる。猫はネズミを捕るのを忘れ・・」という有名な一節がある。睡魔に襲われるのは、仕事を忘れてしまいたいという潜在的な欲求が具現化したものなのか。職員が居眠りしようがしまいが、それに住民が怒ろうが事は淡々と進んでしまうのが現在の日本でもある。
 100万人のデモを起こしても実力で鎮圧され、法律が制定される「香港」と何ら変わるところがないのが残念である。日本全体が居眠り状態とされても仕方がない。

# by watari41 | 2019-06-13 16:23 | Comments(0)