志賀博士は、赤痢菌の発見のみならず、「郷土史」の分野でも大きな足跡を残されている。(郷土史愛好者の一人である私には興味深い)
昭和10年、博士が66歳の時に「戊辰記事」を個人で発刊されている。
内容は、実父である佐藤信が仙台藩の大番士で若年寄御物書を務め、明治維新時の戊辰戦争にも相馬口に出陣されている。当時の記録やさらには現代で言う「聞き書き」みたいなことをされており、当時各方面で参戦したご自身を含め14名の方々から、それぞれに当時の思い出や当人の持っている記録などを書き写し膨大な原稿を所持していて、維新後の伊達家当主である邦宗公よりも出版を勧められていたが、果たせずに明治38年に実父は亡くなってしまう。
博士は志賀家に養子に出たとはいえ、父親がやり残したことを果たそうとしたのである。博士は最後の公職であった京城大学総長(現在の韓国ソウル)を終えると日本に帰国し父親の膨大な史料に取り組んだのである。
博士は前書きで実父は、文武の道に励み、居常厳格、武士の鍛練に怠らずとあり、尊敬すべき父親だったのである。その父が丹精込めたものを世に出すのは子の勤めだとしている。
しかし維新当時より、かなりの年月を経ており今更世に出す益はあろうかと思うが幕末時の忠誠心や人心の機微などは後世に伝える価値がると考えられたのだ。
「聞き書き」は明治20年前後のものが多い。話す方々は天保年間に生まれた人たちで、戊辰戦争当時は30才前後である。父親も天保8年生まれで31歳であった。
本は、前編100頁と後編124頁とに分けて編纂されている。前編は伊達家公文書関連のもので、後編は「聞き書き」で父親自身が編纂されている。これを10巻の史料として邦宗公に提出した時に出版も勧められたのであろう。
後に邦宗公はご自身で伊達家の各種資料を出版されているが、これはそのうちの一つでもあろう。
後編は、14名の方々の聞き取りと各々の保管する記録文書である。
私が読んで面白かったのは、当時の藩士にも要領が良くて、下級藩士の中には恩を仇で返すようなことをして、尚且つ適当なことを重役に上申して作戦を誤らせ敗戦の一因を作ったような人が、維新後に県会議長や銀行頭取になっているのをみると憤慨に耐えないと言っていることだ。明治20年頃の聞き取りだが、この男はその後、貴族院の勅撰議員になっている。賊軍とされた仙台藩のそれも下級武士が考えられないことである。(博士が出版した時点では当然そんなことも知っていただろう)
太平洋戦争でも同じような軍人がいたと聞いているが、何時の世も変わらない。
現在、私が手にしている本書は平成17年に復刻したもので、昭和十年に博士が最初に出版されたものを、そのまま博士の次男である亮さんが中心となり復刻部数200部を34万円で印刷された中の一冊である。面白いのは博士自筆の書き込みが随所にあることだ。博士自身が所有していたものをそのまま復刻印刷したのである。
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by watari41
| 2023-02-03 14:21
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