晩年(3)

 子供の頃、謡曲を唸っている大人をみては、なんと退屈なことをしているんだろう、何が楽しいのだろうかと思ったことがありました。それを理解できるようになったのはずっと後年になってからです。物事にはその年齢にならないとわからないということが多くあるようです。
 昔は、時代の変化がほとんどなかったでしょうから、年寄りからみると、子供たちのやっていることは自分もかつては経験したことで安心して眺めていたのでしょうが、ここにきて若い人の行動、生活スタイルが我々の時とは全く異なっているように思えます。特に音楽については到底理解できないことが多い。なぜあんな歌に熱狂して騒いでいるのか、どこがいいのか不思議である。
 かつては、大人になれば理解できたということがあったが、今から若返ることはできないので、永遠にわからないことなのだろう。

 時代の断絶というのは大げさな表現なのかもしれないが、めまぐるしく変化する現代にあっては、このようなことはやむを得ないことなのかもしれない。これも前向きに考えれば、我々の世代はこれからも生ずるであろう新しい変化の波を見ることができるので、幸せなことであるのかもしれない。

 差しあたっては、デジタル社会がどんな変貌をとげていくのかが楽しみである。
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# by watari41 | 2004-06-11 15:09 | Comments(0)

晩年(2)

 人生には4つの段階があるという。
1.自分を中心に考えた人生       2.家族を中心に考えた人生
3.企業社会を中心にした人生      4.歴史をかえりみる人生

 これも前述の本からの引用である。若年から壮年そして3.の終わりが定年であるという。4.の意味はお世話になった故人や祖父母などの先祖を偲び、冥福を祈るというもので、昔なら頭を丸めて出家をしたり、霊場めぐりなどを人生の締めくくりとしておこなう人が多かった。
現在でも通用することで、面白い見方だと思う。仙台シニアネットでは、4.についてもっと積極的であり、「高齢者を長い人生経験と豊かな知識をもった社会の貴重な人材、人的資源としてとらえ、その活力を生かして新たな豊齢社会をきずく」を目的としており、上記の人生4段階にさらに一つが加わるようにも思う。

 ただ、いずれは歴史をかえりみる必要があり、どの時点だろうかということになる。私は、やや早いことながら、我が家の辿ってきた明治以来百数十年の記録書類などの整理にとりかかっているのですが、達筆な昔の文章を読むのは骨がおれます。逆に私は字が下手で、後の人が読むのに困るだろうと思っていたところ、ワープロができたお陰でどれだけ救われたかわからない。
 
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# by watari41 | 2004-06-09 20:46 | Comments(0)

晩年(1)

 「一人の友」「一冊の本」「一人の女」「一本の酒」「一軒の家」そして「一つの歌」、晩年という言葉に浮かんでくるのはこれらの語だ。自分の人生ではそれらのものを掴みえたであろうか。これは1939年生まれの作家、保坂正康さんの著書「晩年の研究」に出てくる一節である。
 私は晩年というにはまだほど遠いような気がしているが、上記は心引かれるフレーズである。70、80代になって人生を振り返った時に、これらのことを語れるようにしたいものだと思う。

 シニアライフとは何かということになるが、「晩年とは人生の終末を意味するものではなく、人生の新たな段階で何かを求めつつある姿をさす」これも上記の本に書いてある語句だが、まだまだ何かが出来る年代であるようだ。昔の人達の「余生」とか「隠居」という概念は現代ではなくなってしまい、活動しながらの晩年を過ごすということが一般的となった。

 シニアネットは「夕日は沈まず」が出発点になっている。大人と子供の違いは単にお金を稼ぐか、稼がないかの差異しかないと極論する人もいるが、壮年と晩年の違いも仕事でお金を得られるか、そうでないかのことではないのかとも思う。損得を抜きにしてやれることがたくさんあるような気がしている。

 
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# by watari41 | 2004-06-07 19:54 | Comments(2)

精神力(2)

 かつて日本に留学中の高校生による日本語弁論大会が面白かった。日本の文化を裏側から覗いて風刺されているようで興味が深かった。スポーツのクラブ活動に関したものだったが、本来は生徒の楽しみとしてあるべきなのに、日本の高校生は少しも楽しそうではなく、悲壮感さえ漂わせながら先生からは「根性」を叩き込まれている。西欧人には、どうしても理解できないことの一つだということです。テクニックよりも精神力を重視していると写ったようです。個人が重視されるべきなのに母校の名誉にかけてなどというのもおかしなことと思ったようです。

 オリンピックでも今は、一人一人がおおらかに伸び伸びとやっていて、言いたいことを喋っていますが、30年前くらいまでは「日の丸」を背負っているという認識が強く出ていて、負けたら日本には帰れないなどと発言していて、選手も気の毒なものだと思ったことがありましたが、今やそんな呪縛も解けて個人の名誉のためにやるんだという欧米流になってきており良いことだと思っています。

 「精神一統何事かなさざらん」という言葉に代表されるように、昔から何事につけ「精神力」が重要視され「大和魂」など、あまりにも行き過ぎて第二次大戦で米軍の本土上陸があれば竹槍で戦うなど無茶苦茶なことが検討されたと聞いて驚いたものですが、戦前の精神力重視を戦後も20年くらいは引きずったように思いました。
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# by watari41 | 2004-06-06 20:49 | Comments(0)

精神力(1)

 何年前のことだったでしょうか、巨人軍にクロマティという選手がいました。彼の帰国後の回想記に「野球とベースボールは違うものである」というフレーズがあり、異なことを言うものだと思って読み進めたら野球には「投げる、打つ、走る」の他に「野球道」というものがあって、彼はそれに戸惑ってしまったということです。野球の「道をきわめる」ということを日本の選手達が考えているというように見えたらしいのです。
 監督も試合に負けるのは単に打てない、打たれただけではなくて、監督自身の修養が足りないためもあるというような自分を責めているような印象を持ったということです。王監督にそのことを強く感じたという。如何にも日本人好みの話で、王さんの人気の由来もこんなところにあるのかとも思う。

 そういえば「一球入魂」とか、精神力を強調するような言葉がいくつかあって、単なる技量の向上だけでは駄目であるというようなことが昔はよく言われたものです。しかし今や大リーグでの日本選手の活躍や日本でも外国人選手が増えたことなど、こんな日本特有の精神力も急速にどこかにいってしまったようです。本来の国際化というのは、こんなことなのだろうかとも思ったりしてます。

 クロマティの回想は、米国人作家に彼が話した内容をその作家なりに解釈して書いたのだろうとは思いますが、日本の一面をよく捉えているものと感じたものでした。

 
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# by watari41 | 2004-06-05 17:44 | Comments(2)

古い民家

 江戸時代に建てられた古い民家が、文化財として宮城県の各地で保存されております。角田市の高蔵寺に保存されている民家が子供の頃の記憶と重なり懐かしさがつのりました。土間にカマドまではどこにでもありますが、ムシロやコモを作る器具が土間にありました。ワラを何本かづつ手に取って並べ細い縄で編んでいくのです。はたおり機械などに比べてはるかに単純で、子供でも出来るものでした。小さな木の棒に細い縄を予め巻きつけたものを数十個つくり、やや大きな木の台の所定の位置にセットしておき、これで一つずつワラを締め上げ織っていくのです。私も近くの農家から借りてきてやったことがありました。出来上がったものを2つに折って両端をとじるとカマスになります。

 日本人は何百年もこんなことをやってきたのだろうと思うのです。それがある時点で1950年頃に姿を消してしまうという断絶ができてしまったのです。ムシロやカマスなどは使わなくなったのですから、当然といえばそれまでですが、これらのことを知っている最後の年代が私たちであるとすると寂しいことです。

 同様のことは方言にも言えることで、標準語に慣らされたある世代以下では、昔の言葉が全くわからないようです。これを書き留めたりして保存しようとの動きがありますが、日常会話として使わなくなった言語を保存しておいても、農用具などとはちがい後の世代の人達にとってはどんな意味があるのだろうかと考えてしまいます。
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# by watari41 | 2004-06-04 16:03 | Comments(2)

四季

 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」 川端康成がノーベル賞を受賞したとき「美しい日本の私」と題して記念講演した時の冒頭の部分です。8百年昔の道元禅師の作ということですが、日本短歌史上最高傑作の一つだそうです。この道に疎い私などでもすんなりと頭に入ってくる句の一つです。日本の四季のすばらしさを古来からいろんな歌人が詠いついできており、川端文学もそんな中から生まれたものだと言いたかったようです。

 花が咲いて良い季節が訪れたと思い、夏が到来して暑さを心配し、ススキを見ては秋を感じ、初雪が降っては今年の冬はどんなだろうと、正月のみならず、一年のサイクルといいますか、昨年の様を思い出し一年が過ぎたことを少なくとも年に4回は感じさせられます。砂漠地帯や寒冷地、熱帯地方ではこうはいいかないでしょう。

 3.4.5月は春だといわれるように月からもその季節を連想するのですが、自然界のうつろいとは若干のズレがあると、その道の専門家が50年ほど前に話していたことを子供心にも記憶があってなるほどと思ったことがあります。旧暦だと月と季節はピタリと一致するが、新暦に変ってから多少おかしくなってしまったということです。正月前後に特にそのことを感ずると言ってました。そのときは仙台では1ケ月くらいずらすと、季節と月は合うような感じがしておりましたが、今では新暦に合わせたものの考で何もおかしくは感じられませんが、明治生まれの人々は当時はいろんな戸惑いがあったのだろうと思ったものです。

 昭和40頃までは、竹駒神社へ旧暦正月の元旦参りに、貸切列車で東北各地から多くの人がきており、駅の空いている線路にそれらの列車が何本も停まっていたのを見ながら通勤していたものでした。田舎では農作業から正月のサイクルがそのようになっていたのでしょう。現在は機械化の影響もあって5月初が田植え時期で50年前からみると、丁度1ケ月早まってますので暦が昔に戻されたような感じがするのです。
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# by watari41 | 2004-05-30 20:57 | Comments(2)

地球の温暖化(2)

 昭和20年代、子供の頃ですが冬の寒さは厳しかったように思いました。町内の大きな池には厚さ30センチもの氷が張って滑って遊んだものです。しかし大正、明治の頃はもっと寒かったといわれます。いつが寒さのピークだったのでしょうか。おそらくは江戸時代の中頃ではなかったかと思います。大飢饉があり真夏でも綿入れを着たとか福島県の相馬藩では1800年頃に70センチの大雪が積もったなどの記録もあるようです。そのあたりを境にして徐々に暖かくなってきて現在を迎えているのではないのかと思っています。これは数百年単位の小さなサイクルなのだろうと思いますが大きなサイクルはまた別の気候変動を起こすようで、これらが絡み合って気象が成り立っているのだと思います。

 温暖化して海面が上昇すると最も困るのは、海岸近くに住んでいる人で、如何にもこれから大厄災が起こるかのように言われておりますが、自然の大きなサイクルの一環ではないのかと考えるのです。海上わずか数メートルの島々に住んでいる人々は大変ですが、そんなに昔から住み着いていたのではないのだろうと思います。二酸化炭素ガスの影響がなくとも、いずれ海中に没するのではなかろうかと思うのです。

 子供の頃に庭に池を作ろうと思って、土を掘ったら1メートルほどで砂地になってしまい、水が湧き出して驚いたことがありましたが、その時の記憶が基になったのですが、このあたりが陸地になり人間が住み始めたのもそんな遠いことではないのだと理解したものです。

 私は寒さに弱いので温暖化は歓迎なのですが、世界中に住む諸々の人達のことを考えると複雑なことです。
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# by watari41 | 2004-05-29 16:50 | Comments(0)

地球の温暖化(1)

 海岸より約5km、この町の小高い所に大きな貝塚があります。およそ4千年前のものだそうです。貝塚は海岸の近くにあるものでしょうから、その当時には海岸線はずっと内陸部まで入り込んでいたことになります。ということは、当時はかなり暖かな気候だったということになるはずです。それから寒冷化が進んで海岸線が後退したと考えてよさそうです。

 現在は寒冷化のピークが終わって、温暖化に向うサイクルの途中なのではないのかと思っています。これは数千年サイクルのもので、数万年サイクルだと氷河期などもある大掛かりな気象変動になるのでしょう。

 地球の温暖化は二酸化炭素ガスが原因であり、これを減らさなければならないと叫ばれておりますが、それだけではなくて大きな温暖化のサイクルに入っていることが関係しているのではないかと勝手に考えているところです。ガスの影響も少しはあるのでしょうが、全てをこのせいにするのはおかしいように感じている気象感覚人です。

 青森の三内丸山遺跡も、ある時期から人が住めなくなったのは寒冷化のために、食物が採れなくなってしまったことによるといわれてまして、当然のことながら気象の変動に大きく左右されたようです。当時はやはり海岸線が遺跡のそばまで迫っていたらしいです。

 現在は陸地であるにもかかわらず、「島」という地名がたくさんあります。愛島、笠島、小豆島などなど、これらはかつては海岸線が奥地まで侵入していた時代の名残を示すものだと思っています。近くの貝塚を見るたびにこんなことを考えてしまいます。
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# by watari41 | 2004-05-28 14:20 | Comments(0)

金属は遥かに(5)

 「博物館行き」という言葉にあまりよいイメージはありません。役目の終わった過去の遺物の行き着く先ですが、「博物館」そのものが遺物になってしまうとなると穏やかではありません。

 仙台の青葉山の奥まったところに「金属博物館」がありました。私もその道でメシを食わせてもらった一人として退職後に見学に行ってきました。展示物は私らの世代でも涙の出るような品々でした。しかしあまりに閑散としているので聞いたところ、年間入場者は千人くらいとのことで、一日当たりわずか数名でしかありません。世の人々の関心がなくなってしまったのでしょう。これでは大掛かりな施設を維持していくことはできないわけです。今年に入って閉鎖されたと聞きました。展示物のいくつかは他の施設に移されたようです。

 石器時代が終わって、ここ3千年くらいは青銅から始まる金属の時代であったはずで、まだまだその役目が終わったとは言いきれないのですが、時代は先を見て動いているかのようです。

 千年ほど前には鉄は貴重なもののようでした。当時の製鉄所の跡が時々発掘されますが、大変な苦労をしてわずかばかりの鉄を得ていたようです。農機具に武器にとこれを支配するものは富を得たのだろうと思います。

 ひるがえって現在は、IT社会の根幹を支配するウインドウズのビルゲイツさんのところに、世界中の富が集まってくるような時代になったと思います。個人資産5兆円とかで天文学的数字ですが、ますます膨らむようです。

 金属の話もこのあたりでいったん中断しようと思います。
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# by watari41 | 2004-05-27 10:37 | Comments(4)

金属は遥かに(4)

 金属というと多くの方々は「金属疲労」という言葉を思い浮かべるようです。金属が疲れるというのもおかしな話ですが、日本人は疲労が好きなようで制度疲労とかいろんな場合に使うようです。

 事故があったりすると調査の結果は金属疲労が原因だったなどのことを聞くことがあります。金属の内部に欠陥があると疲労が蓄積する原因となるようです。その昔電話機のダイヤルバネが切れるという事故が時々ありましたが、欠陥が大きくて早く疲れを起こしてしまったのでしょう。

 長い間、金属に係ってきたのでテレビで何気ない番組を見ていても瞬間的に閃いたりすることがあります。有名なタイタニック号の真実というドキュメンタリーがありました。衝突した氷山というのはごく小さなもので衝撃もたいしたことではなかったそうなのですが、船腹に亀裂が入ってしまったのが原因だということでした、処女航海だったので金属疲労ということは有り得ないのですが、当時の鉄はまだ不純物が多かったので低い温度での脆性といいますが、もろさが出てしまい亀裂が生じたのではなかったのかと思ったものでした。現在の鉄だったらそんなことはなかろうにと、この歴史に残る悲劇を見ながら思ったものでした。

 最近、原子力発電所があまり動いていないのですが、原因はシュラウドと呼ばれる銅の容器の溶接部分に亀裂が見つかったということで、昨年来からこの程度は大丈夫だから動かそうとかいろんな話が出ていますが、不思議に思うのは金属溶接の専門家の話がさっぱりなくて、政治的判断で決められてしまっているように感じられてなりません。事は純粋に技術的問題であるはずです。
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# by watari41 | 2004-05-26 15:36 | Comments(0)