古い民家

 江戸時代に建てられた古い民家が、文化財として宮城県の各地で保存されております。角田市の高蔵寺に保存されている民家が子供の頃の記憶と重なり懐かしさがつのりました。土間にカマドまではどこにでもありますが、ムシロやコモを作る器具が土間にありました。ワラを何本かづつ手に取って並べ細い縄で編んでいくのです。はたおり機械などに比べてはるかに単純で、子供でも出来るものでした。小さな木の棒に細い縄を予め巻きつけたものを数十個つくり、やや大きな木の台の所定の位置にセットしておき、これで一つずつワラを締め上げ織っていくのです。私も近くの農家から借りてきてやったことがありました。出来上がったものを2つに折って両端をとじるとカマスになります。

 日本人は何百年もこんなことをやってきたのだろうと思うのです。それがある時点で1950年頃に姿を消してしまうという断絶ができてしまったのです。ムシロやカマスなどは使わなくなったのですから、当然といえばそれまでですが、これらのことを知っている最後の年代が私たちであるとすると寂しいことです。

 同様のことは方言にも言えることで、標準語に慣らされたある世代以下では、昔の言葉が全くわからないようです。これを書き留めたりして保存しようとの動きがありますが、日常会話として使わなくなった言語を保存しておいても、農用具などとはちがい後の世代の人達にとってはどんな意味があるのだろうかと考えてしまいます。
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# by watari41 | 2004-06-04 16:03 | Comments(2)

四季

 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」 川端康成がノーベル賞を受賞したとき「美しい日本の私」と題して記念講演した時の冒頭の部分です。8百年昔の道元禅師の作ということですが、日本短歌史上最高傑作の一つだそうです。この道に疎い私などでもすんなりと頭に入ってくる句の一つです。日本の四季のすばらしさを古来からいろんな歌人が詠いついできており、川端文学もそんな中から生まれたものだと言いたかったようです。

 花が咲いて良い季節が訪れたと思い、夏が到来して暑さを心配し、ススキを見ては秋を感じ、初雪が降っては今年の冬はどんなだろうと、正月のみならず、一年のサイクルといいますか、昨年の様を思い出し一年が過ぎたことを少なくとも年に4回は感じさせられます。砂漠地帯や寒冷地、熱帯地方ではこうはいいかないでしょう。

 3.4.5月は春だといわれるように月からもその季節を連想するのですが、自然界のうつろいとは若干のズレがあると、その道の専門家が50年ほど前に話していたことを子供心にも記憶があってなるほどと思ったことがあります。旧暦だと月と季節はピタリと一致するが、新暦に変ってから多少おかしくなってしまったということです。正月前後に特にそのことを感ずると言ってました。そのときは仙台では1ケ月くらいずらすと、季節と月は合うような感じがしておりましたが、今では新暦に合わせたものの考で何もおかしくは感じられませんが、明治生まれの人々は当時はいろんな戸惑いがあったのだろうと思ったものです。

 昭和40頃までは、竹駒神社へ旧暦正月の元旦参りに、貸切列車で東北各地から多くの人がきており、駅の空いている線路にそれらの列車が何本も停まっていたのを見ながら通勤していたものでした。田舎では農作業から正月のサイクルがそのようになっていたのでしょう。現在は機械化の影響もあって5月初が田植え時期で50年前からみると、丁度1ケ月早まってますので暦が昔に戻されたような感じがするのです。
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# by watari41 | 2004-05-30 20:57 | Comments(2)

地球の温暖化(2)

 昭和20年代、子供の頃ですが冬の寒さは厳しかったように思いました。町内の大きな池には厚さ30センチもの氷が張って滑って遊んだものです。しかし大正、明治の頃はもっと寒かったといわれます。いつが寒さのピークだったのでしょうか。おそらくは江戸時代の中頃ではなかったかと思います。大飢饉があり真夏でも綿入れを着たとか福島県の相馬藩では1800年頃に70センチの大雪が積もったなどの記録もあるようです。そのあたりを境にして徐々に暖かくなってきて現在を迎えているのではないのかと思っています。これは数百年単位の小さなサイクルなのだろうと思いますが大きなサイクルはまた別の気候変動を起こすようで、これらが絡み合って気象が成り立っているのだと思います。

 温暖化して海面が上昇すると最も困るのは、海岸近くに住んでいる人で、如何にもこれから大厄災が起こるかのように言われておりますが、自然の大きなサイクルの一環ではないのかと考えるのです。海上わずか数メートルの島々に住んでいる人々は大変ですが、そんなに昔から住み着いていたのではないのだろうと思います。二酸化炭素ガスの影響がなくとも、いずれ海中に没するのではなかろうかと思うのです。

 子供の頃に庭に池を作ろうと思って、土を掘ったら1メートルほどで砂地になってしまい、水が湧き出して驚いたことがありましたが、その時の記憶が基になったのですが、このあたりが陸地になり人間が住み始めたのもそんな遠いことではないのだと理解したものです。

 私は寒さに弱いので温暖化は歓迎なのですが、世界中に住む諸々の人達のことを考えると複雑なことです。
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# by watari41 | 2004-05-29 16:50 | Comments(0)

地球の温暖化(1)

 海岸より約5km、この町の小高い所に大きな貝塚があります。およそ4千年前のものだそうです。貝塚は海岸の近くにあるものでしょうから、その当時には海岸線はずっと内陸部まで入り込んでいたことになります。ということは、当時はかなり暖かな気候だったということになるはずです。それから寒冷化が進んで海岸線が後退したと考えてよさそうです。

 現在は寒冷化のピークが終わって、温暖化に向うサイクルの途中なのではないのかと思っています。これは数千年サイクルのもので、数万年サイクルだと氷河期などもある大掛かりな気象変動になるのでしょう。

 地球の温暖化は二酸化炭素ガスが原因であり、これを減らさなければならないと叫ばれておりますが、それだけではなくて大きな温暖化のサイクルに入っていることが関係しているのではないかと勝手に考えているところです。ガスの影響も少しはあるのでしょうが、全てをこのせいにするのはおかしいように感じている気象感覚人です。

 青森の三内丸山遺跡も、ある時期から人が住めなくなったのは寒冷化のために、食物が採れなくなってしまったことによるといわれてまして、当然のことながら気象の変動に大きく左右されたようです。当時はやはり海岸線が遺跡のそばまで迫っていたらしいです。

 現在は陸地であるにもかかわらず、「島」という地名がたくさんあります。愛島、笠島、小豆島などなど、これらはかつては海岸線が奥地まで侵入していた時代の名残を示すものだと思っています。近くの貝塚を見るたびにこんなことを考えてしまいます。
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# by watari41 | 2004-05-28 14:20 | Comments(0)

金属は遥かに(5)

 「博物館行き」という言葉にあまりよいイメージはありません。役目の終わった過去の遺物の行き着く先ですが、「博物館」そのものが遺物になってしまうとなると穏やかではありません。

 仙台の青葉山の奥まったところに「金属博物館」がありました。私もその道でメシを食わせてもらった一人として退職後に見学に行ってきました。展示物は私らの世代でも涙の出るような品々でした。しかしあまりに閑散としているので聞いたところ、年間入場者は千人くらいとのことで、一日当たりわずか数名でしかありません。世の人々の関心がなくなってしまったのでしょう。これでは大掛かりな施設を維持していくことはできないわけです。今年に入って閉鎖されたと聞きました。展示物のいくつかは他の施設に移されたようです。

 石器時代が終わって、ここ3千年くらいは青銅から始まる金属の時代であったはずで、まだまだその役目が終わったとは言いきれないのですが、時代は先を見て動いているかのようです。

 千年ほど前には鉄は貴重なもののようでした。当時の製鉄所の跡が時々発掘されますが、大変な苦労をしてわずかばかりの鉄を得ていたようです。農機具に武器にとこれを支配するものは富を得たのだろうと思います。

 ひるがえって現在は、IT社会の根幹を支配するウインドウズのビルゲイツさんのところに、世界中の富が集まってくるような時代になったと思います。個人資産5兆円とかで天文学的数字ですが、ますます膨らむようです。

 金属の話もこのあたりでいったん中断しようと思います。
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# by watari41 | 2004-05-27 10:37 | Comments(4)

金属は遥かに(4)

 金属というと多くの方々は「金属疲労」という言葉を思い浮かべるようです。金属が疲れるというのもおかしな話ですが、日本人は疲労が好きなようで制度疲労とかいろんな場合に使うようです。

 事故があったりすると調査の結果は金属疲労が原因だったなどのことを聞くことがあります。金属の内部に欠陥があると疲労が蓄積する原因となるようです。その昔電話機のダイヤルバネが切れるという事故が時々ありましたが、欠陥が大きくて早く疲れを起こしてしまったのでしょう。

 長い間、金属に係ってきたのでテレビで何気ない番組を見ていても瞬間的に閃いたりすることがあります。有名なタイタニック号の真実というドキュメンタリーがありました。衝突した氷山というのはごく小さなもので衝撃もたいしたことではなかったそうなのですが、船腹に亀裂が入ってしまったのが原因だということでした、処女航海だったので金属疲労ということは有り得ないのですが、当時の鉄はまだ不純物が多かったので低い温度での脆性といいますが、もろさが出てしまい亀裂が生じたのではなかったのかと思ったものでした。現在の鉄だったらそんなことはなかろうにと、この歴史に残る悲劇を見ながら思ったものでした。

 最近、原子力発電所があまり動いていないのですが、原因はシュラウドと呼ばれる銅の容器の溶接部分に亀裂が見つかったということで、昨年来からこの程度は大丈夫だから動かそうとかいろんな話が出ていますが、不思議に思うのは金属溶接の専門家の話がさっぱりなくて、政治的判断で決められてしまっているように感じられてなりません。事は純粋に技術的問題であるはずです。
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# by watari41 | 2004-05-26 15:36 | Comments(0)

金属は遥かに(3)

 私はどちらかというとエレクトロニクスに関係した、かなり特殊な金属を扱っていたので一般的には「金属は遥かに」は、言い過ぎでして、自動車などはまだまだ金属のかたまりです。しかし全体の重さに占める金属の割合は昔に比べるとかなり低くなってきているようです。

 かつて鉄は強さの象徴みたいなところがありましたが、最近は炭素繊維など軽くて強いものがどんどん出てきているので、この分野でもいささか影が薄くなりつつあります。鉄の塊りだった蒸気機関車が典型的なものでした。力強さとたくましから、引退したとはいえ根強いSLファンがいて、時々運転されては話題をよんでますが、それこそたまにだからよいのでして、電化が遅れていた常磐線では昭和40年代にも常時運転されていたのですが、ばい煙で真っ黒になり、夏でも窓を開けられない状態で、トンネルの多いところでは大変でした。
 早くなくなってくれればと思っていたのですが、無くなってしまうと郷愁が出てくるのだから不思議なものです。

 戦後間もなくの頃ですが、子供の小遣い稼ぎに金属拾いをした経験があります。鉄屑が一貫目当たりいくらということだったと思います。特にアカガネと呼んでいた銅のくずが貴重だったらしく最も高く売れたものです。
当時は町のいろんなところに金属片がころがっていました。
 鉄鋼会社が景気のよい頃に、テレビであなたが鉄と触れたのはいつのころでしたかなどという回想的なコマーシャルを流してましたが、私たちの年代からやや下の方々にまでしか通用しないものだろうなと思ったものでした。
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# by watari41 | 2004-05-25 12:33 | Comments(14)

金属は遥かに(1)

 40年間、いろんな金属に触れてきました。
1960年代の電話機はずっしりと重いものでした。外側のプラスッチクを一皮剥くと中味は、当時としては最先端の金属がぎっしりでした。

 ベルを鳴らす磁石、音声を伝える受話器にはコバルトと鉄の合金を使い、如何に音質を向上させるかなどの工夫をしていたものです。
これらは今や薄っぺらなセラミックス1枚が担っているのです。

 携帯の時代になって、信じがたいほどに電話機は軽くなってしまいました。
金属はアンテナだけになってしまったようです。

 20年ほど前からでしょうか、金属はダサイということが若者たちの間で言われはじめたようです。いち早く反応したのが学校教育で学生が集まらないからと、材料工学などという名前に変更してしまいました。

 時計も金属のバネで動いていました。時間が狂うのはバネの強さが周囲の温度によって微妙に変化するのも一因です。私は触れませんでしたが鉄、コバルト、ニッケルなどの調整によって狂いをゼロにする挑戦がなされたものです。
今や水晶によるクオーツ時計は、狂いなど考えられなくなりました。

 金属は時代を担いながらも、私の現役中から次々と歴史の彼方へと消え去り、やがては跡かたもなくなるのではと思う今日この頃です。
時代の流れとはいえ、寂寥感というか無常を感じています。


金属は遥かに(2)

 DVDには、ほとんど金属が使われていない。その前のVTR時代には、まだ私の関係した金属の名残があった。
 VTRから音声信号を呼び出したり、書き込んだりする「磁気ヘッド」である。これは、モリブデン、ニッケル、鉄などを混ぜ合わせて造った金属なのだ。
 金属はアナログ時代のものだったのかもしれない。レコードの蓄音機の先端にも、雑音を拾わないようにとシールド性能をもった金属でレコード針の周囲を覆っていたのである。
 デジタル時代で、金属の役割は終えたのかもしれない。CD、MDから光へと移り、金属はアナログと共に懐かしの彼方へと去ったのかもしれない。
 1970年代末までは、電気機関車の速度を変えたり、エレバータを所定の位置に止めるなどの制御機器にも金属は活躍していた「磁気増幅器」という、ニッケルと鉄から造る金属を扱っていた。こんなことを知っている人も少なくなってしまった。
 これらの機能は、今や半導体が担っている。現代は半導体万能の時代なのかもしれない。発光ダイオードなども半導体だ。光の分野に革命をもたらしている。

 物騒な話ではあるが、前述の「磁気増幅器」は、第二次大戦の末期にドイツが作ったV2ミサイルロケットの制御のために開発されたのだという。戦後はこれを作った人たちがアメリカで人工衛星や月ロケットを作っている。
 このため、私も関係したこれらの金属は、ある時期まで戦略物資の指定を受け、対共産圏輸出統制(ココム)で厳しく監視されていたのも懐かしい思い出である。
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# by watari41 | 2004-05-22 20:16 | Comments(1)

自己紹介

 「老人は過去を想い、若者は未来を語る」

 誰が言ったことかはわかりませんが、印象に残る言葉です。
1941年生まれなので、そんな歳ではないのですが今年(2004)に大病(前立腺癌)
を患って以来、昔のことが妙に去来するようになりました。

 私は、いっぱしの金属技術者のつもりでした。
とはいってもそんなにカタイものではありません。40年前に入った会社がいろいろな金属製品を造っていたので、門前の小僧ではないのですが知らずのうちに覚えさせられました。

 昭和30年代から40年代にかけては金属の全盛時代でした。
「鉄は国家なり」と大言壮語した鉄鋼会社の社長がいたくらいです。
だが今や見るも無残で、多くのものが博物館でしか見られなくなってしまいました。

 入社した頃は真空管に使うニッケルを扱ってました。それこそ当時の電子工業の花形製品でしたが、まもなくトランジスタにとって変られてしまいます。
今も趣味で使っている人はいるのでしょうが、過去の遺物です。
これから、この欄でこんなことを書こうと思っています。

 藤沢周平の名作に「三屋清左衛門残日録」がありますが、隠居した主人公が武家社会と係りながらも趣味を持ち、家のためにも働くという理想的な余生が書いてありますが、これにあやかりたいと思い「余日録」としました。
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# by watari41 | 2004-05-21 15:55 | Comments(4)