郷土の歴史(3)

 安永年間(1770年頃)の人口記録がある。純農村のとなり村であるが「男」1178名に対して「女」860名で、女性が極端に少ない。現代の人口常識みたいになっている、女性が男性に対して若干多いということとは全く逆でありその差は大きい。この村は10ケ所の小さな集落に分かれているが、いずれも男性人口が女性を上回っているのである。
 そのとなりの半農半漁の村では、「男」564名、「女」464名である。かなり不自然な数字である。
 江戸時代は、その全期間を通じて人口は3千万人ほどで一定していたというが、男女のバランスは大きく崩れていたのではないかと思う。
 悲惨な話ではあるが、当時は出産時に間引きが行われていたといわれるが、この数字をみると、それが実際であったことと思わざるを得ない。女性がその犠牲になっていたのである。
 この両村も昭和の合併で、今では同じ町内であるが独特のちがいは残っている。
 「安永の書き上げ」といって仙台藩は領内に当時の各地のことを詳しく記録しておくように命じ、それを提出させた。そのために各種の事柄が現在まで正確に伝わっている。またそのことからいろんな類推もできる。
 いつの時代によらず、正確な記録を残しておくことは大切である。
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# by watari41 | 2004-07-15 09:01 | Comments(0)

郷土の歴史(2)

 明治維新の時に、わが町から3千人もの人たちが北海道に新天地を求めて移住した。戊辰戦争で伊達仙台藩は賊軍となり、その支藩であった2万石余を有する、この城下の侍達も身の振り方を決めなければならなかった。その時に殿様をはじめとして、家中は挙げて北海道の原野を開拓する道を選んだのである。
 百姓となって農業をやるなら、このあたりには当時はまだまだ未開の原野みたいなところはたくさんあったはずである。何故だろうという疑問があった。北海道に移住した藩はいくつかあるが、これほど大掛かりなものはない。
 その解答がみつかったと思ったのは、移住した人の子孫の書いた本にあった。最大の理由は「士族」の身分を保証するということにあったようだ。当時にあっては武士の誇りは何物にもかえがたかったようだ。
 艱難辛苦の末に開拓が成功して、現在の伊達市が生まれた。だが士族の称号は明治の中期にはなくなってしまっているようだ。
 移住した人たちは、郷里に限りない愛着をいだいているという。わが町の私よりやや上の年代の方であるが、昭和20年代に仙台の高校野球部が札幌に遠征したことがあったそうだが、Kさんという珍しい苗字だったこともあるのだが、一人の関係者が近づいてきて、郷里の方ではないのかと尋ねられたそうで、そうですと言ったところ大変に懐かしがられ、いろいろと様子を聞かれたとか。
 しかし、この人は移住者の子か孫のはずだが、ふる里の話を子供の時から繰り返し聞かせられていたのであろう思う。
 
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# by watari41 | 2004-07-13 13:09 | Comments(2)

郷土の歴史(1)

 わが町に「三十三間堂遺跡」というのがあります。小高い山地に整然と並んだ礎石群があり、江戸時代には仏教関連施設のものと考えられたようで、このように名づけられたそうです。しかしこれを物語る文献資料などは一切無くて長年の間、謎の遺跡とされてきました。大正時代から学術調査がされてきましたが、なかなかわからなかったのが、昭和も末になってようやく明らかになりました。
 9世紀頃の役所の跡だったというのです。当時は多賀城に陸奥国府が置かれ要所に郡衙(グンガ)と呼ばれる出先機関があったようです。その中でも最大規模のものだったようです。敷地は10万坪以上の広大さで、礎石群から数百メートル離れた雑木林に政務を司どった正殿の柱穴などがあって確定されたということです。礎石群の用途はそこに倉庫が建っており、税として集めた米倉だったというのです。
 何らかの史料でも残っておれば、このようにてこずることはなかったのでしょうが、書いたものが無いというのは、いろんな憶測をよんで勝手な想像を膨らませてしまいます。平家に関係したものだとか数々の伝説も生んでいたようで、歴史的事実がどかに吹っ飛びそうなこともあったようです。
 この場所は平地から、かなり急坂をを登ったところにあるので、何故こんな不便な高台に思ったのですが、この少し前に仙台平野に貞観の巨大津波がきて、多賀城も被害を受けたことからの教訓かと推測した。
 現在は昔からの名前も残して「「三十三間堂官衙遺跡」との標識が立っている。
 
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# by watari41 | 2004-07-12 15:03 | Comments(8)

聖書のこと

 昭和30年代半ば、20才を過ぎた頃に「聖書」に関心を持ったことがあって、一冊購入した。少し目を通しただけでさらに読んでみようという気は起こらず、捨てるわけにもいかないだろうと、そのまま本当のお蔵入りをさせてしまった。
 ある時、その蔵の整理をする機会があって書籍類を眺めていたら、大正末期に発行された「旧約聖書」がでてきた。ほとんど傷んではいなかった。おそらくは父が購入して、あまり読むこともなく、蔵に入れてしまったのではなかろうかと思う。
 さらに驚いたことには、明治初期に発行された「旧約聖書」もあったことだ。これには祖父の名前が書いてあり、友人からもらったとある。明治30年頃のようだ。この本が発行された頃はまだ禁教の名残があったのだろうか、外側がすべて黒く塗りつぶされている。表裏の表紙、そして側面までもが黒い。当時は人に見られることもはばかられたのだろうか。何人もの手を経て祖父のもとにきたようで、それなりには汚れている。しかし祖父もまた熱心に読んだとは思われない。いろんな祖父の書き物が残っているが、これに触れたものはない。
 父祖3代、同じような年代の時に同じようなことに興味をそそられたことがわかり、おもわずおかしくなったことがあった。
 この回想記もいずれお蔵入りさせておこうかと思う。
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# by watari41 | 2004-07-11 10:06 | Comments(2)

同時代の人々

 在職当時のこと、同じような内容の特許が日本と外国とから、ほんの数日のちがいで出願されているのを目の当たりにして驚いたことがありました。
 洋の東西を問わず、同じ時代には似たようなことを考えている人が多いのだと思います。17世紀から18世紀にかけて西洋で数学が大いに興った頃、日本では「和算」という形で大発展をとげていたのも面白いことです。有名な関孝和という人は、円周率を小数点以下10桁近くまで求めていたといわれ、後に続いた人たちはそれをさらに発展させて、西洋との差はほとんどなかったといわれているようです。
 思想面でも同時期に、西洋では専制君主の圧制に耐えかねた人々の間から自由への思想が芽生えて、フランス革命へとつながっていきますが、日本でもやはり同じ頃に秋田の安藤昌益という人が幕藩の搾取を体験してこれでは人々が救われないと、自由を求めた「自然真営論」を書いているのは注目されます。しかし当時の強固な幕府の体制を揺るがすようなエネルギーにはならなかったようです。
 ごく最近では、昔の山岳信仰を物語る熊野地方一帯が世界遺産に指定されましたが、熊野参詣のピークは千年前の平安時代だったそうでラッシュといってもいいような状況だったとか。丁度同じ頃には西洋でも聖地巡礼が盛んだったという話が最近の中央紙のコラムにありましたが、前々から頭にあったことがらと一致することでしたの今回、ここに書いてみました。
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# by watari41 | 2004-07-09 15:29 | Comments(2)

回想健康法

 7月6日の河北新報朝刊に、お年寄りに「回想法」を、という記事が出ておりました。水沢でそのシンポジュームがあったというのです。回想法は若い日の思い出を呼び起こし語り合うことで元気を取り戻す健康法だというのです。高齢者がもつ力を生かしていくのも回想法であるそうだ。高齢者の介護予防策にもなるようだ。水沢市には「語りと回想研究会」というものまであるという。
 私のブログの表題である「回想」はそんなことまで考えたものではなかったが、この記事を読むと同感するところが多い。そんな年でもないのに人の顔は憶えているのに名前がなかなか出てこないことがある。数日前のことを思い出せないなどなど。頭の老化現象は進んでいるようだ。
 その前日の7月5日の記事に、読み書きと簡単な計算が記憶力を向上させるとのことが記載されていた。今話題の研究でもあるようだ。
 脳をたえず使っていると前頭機能が向上して若返るのだという。そんな難しいことをするのではなくて、簡単な計算でいいそうだ。脳の健康が増進するのだという。
 回想法も似たようなものなのだろう。昔のことを正確に思い出すのは案外と難しいことなのかもしれない。記憶をたどることで脳の活性化が計られるのではないのかと思う。
 新聞を読んで意を強くしたものである。
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# by watari41 | 2004-07-07 21:14 | Comments(3)

磁石の思い出(5)

 磁石には、神秘的な要素の他に実際に目に見えるパワーがあります。鉄板などを持ち上げる本当の力です。途切れることのないエネルギーに昔から人々は、磁石を使って永久機関を作れるのではないかと考えていました。しかし物理的にこのようなものは存在しないと証明されております。
 今も夢想家といわれるたぐいの人たちは大勢いて、本気になって取り組んでいる人もいます。永久機関が出来たといっては、特許を申請しても特許庁はこれを、ありえないことだとして受け付けないのです。
 強力きわまりない磁石をみては、何とかなりそうだと思う人がいてもおかしくはないような気がします。しかしいくら強くても静的なエネルギーなので、外から何らかの別のエネルギーが加わらないことには永続する運動にはなりません。
 このあたりのことがよくわからない人たちがいて、在職中もいろんな相談があったのですが、理解してもらうのに苦労したものです。
 ただ磁石が強力になったお陰で、小さな電池でも強い回転が起こせるようになって、携帯電話で着信を伝える振動は、極く小さなモーターを楕円回転させることで振動となるというように多くの利点があります。
 最後にまたオカルト的なことになりますが、自動車のガソリン燃費が磁石を使うことで良くなったなどの話もありますが、これもまた説明のつけようがなく、眉にツバをつけたくなるのですが本気で宣伝されているようです。
 磁石のことも長くなりましたので、これで終わろうと思います。
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# by watari41 | 2004-07-06 15:00 | Comments(0)

磁石の思い出(4)

 20世紀の終わり頃から磁気応用製品が次々となくなっていきました。というよりも次の世代の製品にとって変られてしまったのです。映像を記録したVTRテープがDVDに、その前には録音の磁気テープがCD、MDなどに切り替えられています。一時は華やかだったテレホンカードも、携帯電話の登場であっというまに消えてしまいました。これらはいずれも磁石の細かい粉末をテープなどに貼り付けたもので、そこにいろいろな情報を記録できたのです。忘れてましたがフロッピーディスクもそうでした。20年くらいの製品寿命だったと思います。テレホンカードの製造を手伝ったのがつい昨日のことのように思いおこされます。
 最も古い思い出は、昭和30年代のコンピュータメモリーです。小さなメモリーコアをたくさん並べて、縦、横、斜めに細い銅線で編むのです。1個ごとに「1,0」の情報を書き込んで計算をさせるのですが、今の世の中からみるとまるで石器時代のコンピュータみたいだという人もおります。
 現在は、優れた半導体技術に我々シニアはただただ驚嘆するばかりですが、いずれはこれらも博物館に入るのだろうと思うのです。
 いろんな経緯はあるにしても磁石はまだまだ死んではいないのです。地球に磁気があるかぎり新たな磁気製品がまだまだ生まれる可能性は残っていると言う人は多いのです。
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# by watari41 | 2004-07-04 12:00 | Comments(4)

磁石の思い出(3)

 地球は大きな磁石ですが、人間の脳からも非常に微弱ですが磁気を発していることが確認されております。
 地球磁気の源は、内部が巨大な発電機のようになっているためと考えられ、時間と共に変動しております。数百万年に一度はN極とS極が逆転してしまう、大変動も起こります。このときに多くの生物が死滅するともいわれております。地球磁気の発生は地球が生きているからで、火星や月には磁気がありません。
 人間の脳からの磁気は、地球磁気の数万分の一の大きさなので、通常は地球上での正確な測定ができません。そこで特殊な金属を用いて、地球磁気の影響をなくした空間を作り上げるのですが、私もその仕事に携わったことがありました。その中に脳磁計を備えて研究機関の方々が、測定をしておりました。病気の前兆現象などに応用できないかとのことなのですが、現在に至るも顕著な成果をあげるまでにはなっていないようです。
 磁気の人体への応用としては一足先にMRIなど、地球磁気の数万倍もの強い磁気を浴びせて人体の断面写真を作成して、医学の進歩に多大な貢献をしております。磁石によって神経痛が治ったとかのオカルト的な話は枚挙にいとまがなく、これらを真剣に研究している人にも会ったことがありますが、現象論でしかなくそこからの進歩発展ということはないようです。
 地道な科学的研究の積み重ねこそが、未来への発展につながっていくようです。
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# by watari41 | 2004-07-03 10:20 | Comments(2)

磁石の思い出(2)

 科学的な根拠ははっきりしていないのですが、現代人も磁石には不思議な力が宿っているのではないかと考えている人が多いようです。
 磁気ネックレスやピップエレキバンなど大流行したものです。肩こりなどに効果があるとはいってもそれは人の感覚であって科学的な裏づけがあるわけではないのです。血液中のヘモクロビンの鉄分に作用してなどと最もらしい理屈をつけたものもありますが、きちんと解明されているわけではないのです。要はつけた人が効いたと思えばいいのでして、病は気からなどということもあって、本人がそれで良くなったと感じれば磁石の神様も満足するのではないでしょうか。いささか無責任なのですが、いずれきちんとした解明がなされるものと考えております。
それにしてもエレキバンは、テープの劣化がそのまま磁石の寿命として捨てられてしまっておりますが、もったいないことなのですが製造者としてはありがたいことなのです。
 もう一つ話ですが、鮭が生まれた川に帰ることとか、渡り鳥が間違えずに元のところに戻って行けるのも、地球の磁気によるものと考えられているのですが、まだはっきりとはしておりません。磁気だけですと変動もあり、そんなに正確な方位を出せるものかと思うのですが、最近の研究では磁気によるある種の化学変化が起ってそれで位置を確認できるのだという話が出ておりましたが、これもいずれは解明されるものだと思っているのですが、近代科学は次々といろんな事象を解き明かしておりますがそれに比べると磁気の解明はかなり遅れているように感じております。
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# by watari41 | 2004-06-29 17:40 | Comments(5)

磁石の思い出(1)

 戦後強くなったものは「靴下と○○」といわれたものですが、磁石も強力になりました。最新のものですと鉄板に吸い付いたものを指先の力で引き離すのは容易なことではありません。
 大正時代の初めに鉄の神様ともいわれた本多光太郎さんが、鉄、ニッケル、コバルトなどを組み合わせて、世界に先駆けて強い磁石を発明したのが、工業的な磁石の先駆けでした。それ以来、いろんな改良や開発があって、現在のものは鉄にネオジュウムという希土類元素を加えたもので、すごい強力なものです。
 30年近く前のことになりますが、一世を風靡したウオークマンが出来るときのことでした。耳の中に収まる高性能のスピーカーを作らなければならないが、そのためには今までにない小型で強力な磁石が必要だといわれました。この頃はコバルトにサマリュームというこれも希土類元素を加えたものが最強の磁石でした。この磁石がなければウオークマンの出現はずっと遅れたことでしょう。
 もう一つの思いでは、韓国でのオリンピックの少し前に出張してソウルでタクシーに乗った時のことです。スピードメーターが驚いたことに40kmから80kmの間を揺れ動いているのです。中間の60kmがその時の速度だったのでしょう。メーターの中心に磁石があり速度に応じて動くのですが、お粗末な磁石をつかったのでしょうか、うまく作動しなかったようです。現在ではもちろんそんなことはなく、強力な磁石は性能も向上させピタリと指示して動かない速度計になっているのはいうまでもありません。
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# by watari41 | 2004-06-28 20:00 | Comments(5)