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余日録


by watari41

(終)韓国の悲劇

 船は時に転覆することがあり、航空機もまた墜落する。空の安全対策は神経質である。救命道具の付け方とか、くどいほどに説明されるが、船の方はやや手が抜かれている。
 しかし、大型船舶が通常の海流程度で沈んでしまうのは異常な出来事である。
 船長だけではなく、一連の韓国海運当局の状況は常軌を逸しているとしか思えない。近代化を急ぐあまり、いろんなところに穴が開いてしまっているようだ。不都合すぎる事実が次々とでてきている。

 韓国悲劇の発端は1950年(昭和25)から3年間の朝鮮戦争にある。日本は逆にこの戦争特需が奇跡的経済発展の基になったのであるから、恨まれても仕方がない。

 1945年の日本敗戦時に、ソ連が38度線近くまで攻め込んできて、朝鮮半島が南北に分断されたのがもともとの原因なのである。日本は北方4島を騒いでいるが、朝鮮では国家が分断されている。しかもそれが原因で5年後に再度の内乱ともいうべき、戦争が起きて疲弊してしまうのであるから気の毒というより他はない。

 それでも韓国は、後に漢江の奇跡とも言われる経済成長を遂げて、近代国家の仲間入りをしたかに見えたのだが、大統領そして末端まで浸透するにはさらにもう一世代を要するのかもしれない。

 かつての全斗煥大統領は独裁的ではあったがオリンピック招致など多大な功績があったとされる。しかし一族の不正蓄財はとどまるところをしらず、現在もなお追及の手が延びている。法治国家なのである。

 デビ夫人は、超高価な宝石類をテレビで並べ立て自慢するのを苦々しく眺めているが、本来ならインドネシア政府が没収してしかるべきなのである。

 だが、韓国は国家の道筋が未だ定まらないのが最大の悲劇でもある。かつて金大中大統領は北朝鮮に太陽政策を掲げたが、利用されただけで何らの効果も生まなかったことは誰もが理解している。
 試行錯誤や、今回の如き悲劇が韓国の近代化をより促進してくれることを期待している。
 


 

# by watari41 | 2014-05-16 11:43 | Comments(0)

(3)韓国の悲劇

 私が最初に韓国に出かけたのは1981年(昭和56年)のことである。在職した会社の金属材料の市場調査みたいなことだった。一週間ほど各地を回った。
 当時は朴大統領暗殺事件(現大統領の父親)の数年後で、全斗煥氏がクーデターによって大統領に就任していたが、夜間外出禁止令は解除されず、ソウルのホテルで真っ暗な街を眺めていた。
 通訳は安重根の一族であることを誇りにしていた小さな商社を経営している人だった。しかし当時の韓国は日本語がどこでも通じた。会社幹部は英語と共に日本語の出来ることが必須だったのである。
 日本からの輸入材料や部品がないと当時の韓国産業は成り立たなかった。
 だが、韓国軍事研究所では英語しか通じなかった。なぜなら日本には軍隊が無いわけだし、従って軍事技術もないのだから、日本語は不必要なのであると理解した。では何故訪問したかと言うと、安氏が日本からこんな人が来ていると紹介していたのである。最先端の電子金属材料の話を聞きたいということだった。

 サムソン本社も訪問した。当時から大会社であったが現在の如き世界的巨大企業に成長するなどとは考えてもみなかった。当時はまだブラウン管式のテレビ製造に四苦八苦しており、当時のナショナルから技術導入したなどということを聞いた。
 その後の発展は周知の如くであり、あまりの急速な発展に人材が追い付いてこなかったようである。しかもグローバルな常識に欠けているのではないかと気が付いたようなのである。
 最近、話題になったのはそのサムソンが入社試験問題に世界史を予備試験のようなことで取り込んだということである。韓国人の教育や世界観が偏っているのではないのかと気付いたように思えるのだ。
 ギリシャ・ローマ時代から現代へとつながる普遍的とさえいえる世界史観が企業人としての基礎的素養なのだと遅まきながら認識せざるを得なかったのだろうと考えている。
 

# by watari41 | 2014-05-11 10:05 | Comments(2)

(続)韓国の悲劇

 朴大統領には指導力が無いと非難の矢面に立たされている。何も韓国に限ったことではない。日本の管首相だって原発事故の時に同様なことだったと思う。しかし日本ではそんなにも叩かれたわけではなかった。

 朴大統領も就任後に人の顔色だけを見ている官僚が多すぎると発言しているが、韓国の悪弊をよくご存じなのだろう。当然ながら日本にだってそんな人はいるわけだが、その比率が圧倒的に少ないようだ。
 3.11で日本人の規律正しさが褒められたが、皆が皆というわけではない、不届きな輩も結構いたのである。しかし少なかったので目立たなかった。
 フェリー事故では、韓国当局や乗り組み員のあまりの異常さや倫理観のなさが浮き出てしまった。

 朴大統領は歴史認識が問題だとしているが、これは日韓併合時代の1945年までの35年間の近代史を指している。現代に近い出来事なので持ち出しやすいのであろう。

 (続)韓国の悲劇_a0021554_20583735.png日本人は朝鮮半島の歴史を知らな過ぎると指摘される。
 戦後の韓国大統領が職を辞めた後に、次々と逮捕されたり自殺したりと不祥事が続いているのも、権力にたどり着いた一族がその利権をあさりまくるという李王朝5百年の習性が浸み込んでしまっているからだと言われる。

 朝鮮李王朝で最後の権力を握ったのは閔姫の一族だった。日本では明治時代の中期である。閔姫は時の王である高宗とその父親などと対立した。閔姫には倫理観など全くなかったと酷評されている。
 閔姫の最後は日本の三浦朝鮮大使が指示して宮廷を襲撃して女官などを皆殺しにした。新撰組の生き残りである大鳥圭介がそれを実行した。明治政府が黙認したのである。
 当時、閔姫は清国を頼り、高宗側はロシアを頼った。高宗はロシア大使館で政務をとったとされる。やがては日露戦争へと突き進むことになる序章の出来事だった。書籍の紹介みたいなことになってしまった。
# by watari41 | 2014-05-06 20:44 | Comments(0)

韓国の悲劇

 日本だと自虐史観と言われてしまうが、韓国の新聞もとうとう自らは三流国家だという表現を使わざるを得なくなった。
 我先にと難を逃れる船長達、自分が良ければ全て良しという人は、日本でも一世代前までには結構いたように思うが、現代社会にだっていないわけではない。

 今から14年も前の(平成12年)に、今回のフェリー事故の船員行動を暗示するかのような小冊子が出ている。「韓国堕落の2000年史」詳伝社 著者:崔基鍋

 一口に李王朝500年と言われるが、その堕落した王朝史が、現在の北朝鮮そして韓国を物語っているという。絶対権力を握った王は、極貧の一般庶民の生活などはどうでもよく、宮廷内の讒言によって王の一族を粛清したりするのは当たり前のことだった。
 最近の北朝鮮における金主席叔父の張氏に絡む突然の処刑事件を見ると、なるほどと思ってしまう。
 韓国は民主化され近代国家を装ってはいるが、本質的には李王朝の残骸をひきづっているのだという。

 その昔の新羅とか、高麗の時代は、朝鮮半島を支配した国家が尊厳をもって統治ていたという話だ。日本人の知らない朝鮮の歴史が書いてある冊子である。

 しかし李王朝の元祖である将軍が、祖国を裏切り中国の明王朝のバックを得て朝鮮半島を支配するようになってから、民族としてすっかりおかしくなってしまったのであるとおっしゃる。

 韓国人は江戸幕府の祖である徳川家康を知らない人などいないが、現代日本人には李王朝の祖である李成柱という人を知っている人などマレである。

 NHKの韓国ドラマ「トンイ」という人気番組がある。李王朝19代目の粛王時代の物語りで日本でいうと元禄時代のことである。ドラマも面白いが、実話の方がもっとドロドロとしたものである。粛王の気まぐれによっておびただしい犠牲者がでてくる。

 本来なら日本の兄貴分の国家なのであるが、早く立ち直ってほしいものである。

# by watari41 | 2014-04-30 17:36 | Comments(0)

(終)小保方ノート

 メモ張 → 雑記帳 → ノート
 しいて、順番をつけるとすれば、こんなんことになるのだろうか。一時的な記録から、着想などを落書きするもの、そして正確に書いてしばらくは保管しておくものとなりそうだ。一冊のノートで全てを行う時もある。
 篤農家と言われる方々は、実に几帳面な作業記録と、天候や作物の出来具合を毎年記録して翌年に役立てることをしたものだ。農業大賞を受けるような方の記録は実にしっかりしたものである。現代でいえば研究ノートにも匹敵するものであろう。

 最近では野球の野村ノートが有名になった。日本で野球理論を最初に打ち立てた人ということになりそうだ。解説を聞いていても理にかなったことを言っている。頭の整理に役だっているのだろう。

 またまた50年も前の話になるが、粉末金属の実験をしていた人が、時々とんでもない優れた性能のものが得られるということで、ノートを調べていくと晴れていて風の強い日のものだったという。三段論法みたいだが、晴れると昔のことなので窓を開ける、そうすると、風にあおられた土埃が舞い込む、そのなかに有効な成分があるだろうと気が付くつまでには相当な時間を要したそうだが、当時では立派な発明品をものにした。

 小保方さんのノートは、おそらくは雑記帳程度のものだったのかもしれない、何とも残念なことをしたものだ。いずれの時にか名誉回復されんことを願っている。




# by watari41 | 2014-04-24 14:08 | Comments(4)