老害

 町内会長(田舎の行政区長職)も2年目に入った。私の場合は自給300円程度の役場の臨時職員みたいなことは、前にも書いたことがある。
 とにかく忙しいのには参ってしまった。
 150世帯、500名ほどが担当範囲である。
 もともとトラブルの多い地域とはされていたが大変である。各戸いずれも何がしかの問題を抱えながら生活している。すべて順調な家庭などというのは世の中には有り得ないのだろう。

 一人の老人に手を焼いている。90歳を超えている。認知症というわけではない。わずかにマダラなのかもしれない。この人は自分の過去を誇りたくてしょうがないのである。それなりの叙勲も受けた。だが多少良識に欠けているところがある。誰もまともにこの老人の話を聞こうとはしない。この方はいらだっているのである。

 区長さんやと我が家にやってくる。小生も、いささかもてあましぎみなので、あなたは、今の私くらいで亡くなっていれば、もう17回忌と言われてもおかしくない歳まで生きたのですよ、泰然自若たるべきですと言うと、いやオレは百まで生きるんだと頑張るのである。

 老害とされる方々は多い。有名なのは大新聞社のトップに納まる人であることは、よく知られている。組織内にいると、こういう人には逆らえない。実績があるからである。

 セブンイレブンの会長が辞任することになった。日本にコンビニ文化を築いた人である。NHKでは「驚くべき理由」という形容詞をつけたニュースを流した。女性問題か?と一瞬思ったものであるが、その理由は人事案件を役員会で否決されたからというのである。それなら我々からすると、当たり前のことで驚くべき理由ということではない。NHKの感覚が若干ずれていると思ったものである。
 83歳の会長さんと、91歳の大株主さんが対立した。老々対決でもある。
 今後の経営方針をめぐることでもあるので、お歳とはいえ堂々たるものだ。とても老害などとは申し上げられない。わが町内のご老人と比べると大変な格差がある。それまでの生きざまの違いでもあろう。小生なども若い人からみると、すでに老害をさらけ出している区長なのかもしれない。(しばらくぶりの更新でした)

[PR]
# by watari41 | 2016-04-12 21:28 | Comments(2)

石の医師

 世の中には珍しい人がたくさんいるが、これほどまでに不思議な方にはお目にかかったことがない。
 「石の医師」とはダジャレみたいだが、「自然界の石」が病んでいるのか、健康なのかをわかるというのである。病んでいれば、それを治してあげられるというのだから驚くしかない。
 目撃した方によると、病んだ石に手を触れることで、色がわずかに変ったというのである。
 大事な「石」のメンテナンスも引き受けているそうだ。

 仙台にお住まいの女性である。彼女の出生からの経歴が興味深い。ベトナム戦争でサイゴン陥落の直前に生まれたというのである。その両親と幼児は間一髪で国外に出たというのである。
 父親は日本人でJICAの職員として駐在していた、母親がベトナム王族の血を引く末裔だというのである。大正の末に生まれた父と、ベトナム人の母親はすでに死亡している。
 私は彼女にお目にかかった時に一つだけ質問してみた。隕石でもその状態がわかるのですかと問うたら、「地球外」のものについてはわからないのですと答えていた。

 鉱物である「石」に生命があるとは考えられない。これは精霊の世界である。
 最初からまともに取り合わない人が殆どであろう。しかし小生は未だ何事にも興味を抱いている。アニミズムがよく知られている。万物に霊魂ありと考える未開のジャングルで原住民やシャーマンを調査研究した英国の人類学者がいた。
 「原始文化」にそれが見られるというのである。
 日本の八百万の神々も、昔から自然現象そのものを崇めていた。似たようなものである。
 石をご神体とする神様だって存在するのだと思う。
 
 現代人は余計な知恵がついてしまった。率直に信じる心が無くなってしまったらしい。
 非科学的だと言われようとも、現代社会にきちんと存在している。

 かつて、梅原猛さんは日本人には縄文の気風が今も存在すると言って物議をかもしたことがあったように記憶している。「梅原日本学」ともいうべき独特の存在感を示す人でもあるが、今回の石の話で去来した。

[PR]
# by watari41 | 2016-03-27 13:46 | Comments(0)

清原選手と麻薬

 50億円ともされる清原選手の個人資産が麻薬によって巻上げられた。
 超有名人の一大スキャンダルなので、大きな騒ぎとなったが、隠れて麻薬に手をだしている人も結構いるとされる。それほど魅惑的なもののようだ。
現役時代の記録も怪しくなっている。
 ロシアのドーピング問題も国家をあげたものであった。それほどに麻薬とは威力があるが恐ろしく、危険極まりないものだ。過去のソ連・ロシアの金メダルの評価も変わってこよう。別の意味で、世界史の裏面は麻薬の歴史だったともされる。一万年近く前の遺跡からさえ出土しているとか。

 近代史に於いては、1840年に起きた清国(中国)と英国のアヘン戦争は、中国の富を吸い上げるべく、英国が中国に麻薬をバラマキ、その輸入を中国が禁止しようとしたことで勃発した戦争である。産業革命に成功している近代兵器のイギリスは勝ちまくり、中国人をアヘン漬けにしたのである。紳士の国イギリスは、自国内の麻薬を禁止しながら武力で他国に売りつけている。
 莫大な富が中国からさらわれた。

 さらに残った富を奪うかのように、清国にとどめを刺したのが日清戦争である。莫大な賠償金を得た。強大な清国も滅亡寸前となった。
 日本は麻薬の教訓を痛いほど知り尽くしたと言われる。有名人の麻薬犯罪をかくも大々的に報道されるのは、そのような意味合いがあるからなのだろう。

 麻薬原材料の栽培は、最もお金になる農業と言われる。戦乱後のアフガニスタンでも、その栽培は止まらなかった。中米諸国でも高収入を得られるとして、なかなか絶滅できないでいる。麻薬をなくすのは、人類永遠の課題なのかもしれない。

[PR]
# by watari41 | 2016-03-21 12:28 | Comments(0)

台湾の恩返し

 シャープが台湾の企業であるホンハイに買収されることになった。
 このことを相撲の恩返しということばにたとえてみた。

 かつては、関西家電3社としてサンヨウー、パナソニック、と並び隆盛を誇ったのが、つい先日のような気がしている。
 サンヨーが消えて、パナソニックが傾き、いままたシャープもブランド名のみを残して、無くなってしまうとは考えてもみなかったことである。
 「優秀な技術力のある」という枕言葉がついた会社である。
 経営に失敗すると、いずれもこんな運命をたどる。企業戦略を誤ったとされるが、市場占有率の高いものに経営資源の全力を投入するのが常道であり、シャープは液晶に賭ける道を歩んだ。それがアダとなったのだから、通常の考え方では対応できない事業環境となったのである。
 パナソニックもプラズマディスプレイに賭けたがこれまた大失敗した。企業にはまだ立ち直る余力が残っていた。
 関西ではないが、ソニーもおかしくなりかけた。心配される東芝には復元力があるのだろうかと思っている。
 台湾は、明治の日清戦争以来、日本が植民地支配をしたところであるが、殖産新興と勤勉な日本人を見習い、台湾の多くの方々は、日本に対する尊敬と恩恵を感じているとされる。
 3.11大震災では、200億円を超える義捐金をいただき、我が町も、その一部を頂戴し、体育館に台湾義捐金支給所という大きな看板が出て、多くの人が受け取った。

 シャープを買収するホンハイの社長は、従業員十名程度の会社から年間売上数兆円の会社へと成長させた、まるで松下幸之助さんのような方である。

 かつて台湾総統であった李登輝さんは、日本人の凄さを知っている方で、日本よ自信を持ちなさいといわれる。
 ホンハイの社長は、経営の中味は当然異なることになるのだろうが、日産のゴーンさんの如くシャープを復活させる力があると信じたいものだ。

[PR]
# by watari41 | 2016-03-13 16:16 | Comments(0)

あの日から5年(3.11)

 月日は早いというべきなのか、遅いというべきなのかわからない。
 私は大変に長く長く感じている。
 仮設で過ごしている方々も同様のことではないだろうか。
 
 莫大な復興投資があった。津波のこなかった街中には、沿岸部からの住宅ラッシュが続いた。復興住宅とは別に、多少余裕のあった方々は、無理をしてでも近代的な家を空き地を求めて建設している。

 復興予算が減ずるに従い、関係者の転入も少なくなり、転出者との出入りがゼロに近くなっている。自然減の分だけ、人口減少するというのが町の直近の状況である。毎月の広報紙の数字を見ているとそんな感じを受ける。
 人口3万人の町で、毎月の出生が15人、死亡が30人なので、全国平均と同等の推移だろうとみている。
 沿岸部と街中を持つ町としては妥当な歩みなのであろう。
 震災での死者が3百人。壊滅した集落の人口が3千人。津波の浸水率は全町面積の50%だった。被害金額が2千億円。こんな数字が頭にある。

 個人的にも、ずいぶんと動いた気がする。柄にもなくボランティアもした。
 今も、海を見ると怖いという人は多い。九死に一生を得た人などは特にそのようだ。
 海岸に住んでいた知人夫妻は、家もろともに流され破壊された。彼の方は直ぐに見つかり遺体安置所に運ばれたのだが、駆けつけた弟は、兄の顔が誰かもわからないほどに膨れ上がり変形していたので、見分けられず、しばらくはそのままに据え置かれた。安置所の係官が遺体を移動させようと動かしたところ、名前の書かれた物入れがズボンのポケットから除いたので、再び弟が呼ばれた。間違いないとなったのが一カ月ほど過ぎてからだ。奥さんは頭のない遺体で発見された。ネックレスが特殊なものだったので本人と確認された。
 自宅跡は、雑草が生い繁り何もかもがわからなくなった。5年の歳月とはそういうことでもある。3.11の町主催の合同慰霊祭によばれている。ご冥福を祈るのみである。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-03-05 15:14 | Comments(5)
 20年ほど前のことだった。
 仙台の自然史博物館に人体の血管標本の特別展があった。3名の初老男子標本である。
 名前の記載もあった。中国人ではなかったかと思う。死に際して標本となることを納得した人物のものであるという。
 顔そのものは生前の姿であったが、全身の臓物が抜き取られ、心臓と血管のみを残したものである。細かいところまで見事に再現してある。標本は立ち姿であった。皮膚の部分は透明化され、網の目の如き動脈は赤く、静脈は青だった。
 実際の人間であるから、長く見ていると気持ちが悪くなるようだった。
 人間の血管の全長は10万kmにも達するというのだから驚くしかない。もちろん、その95%は毛細血管が占める。

 大動脈の断面構造は3層で守られている。細動脈は2層、毛細血管は内膜のみの一層で内皮細胞そのものとされる。その内側血管の血流に接する内皮表面にグリコカリックスと呼ばれるものの存在は知られていたが、電子顕微鏡によって、その姿が撮影された。北里大学の東条さんという先生である。繊毛の如き誠に細かいものであるが、重要な役目をもっているようだ。
 太い冠動脈にももちろん存在し、これが欠落すると血流は内膜の表面で乱流となり、内膜が損傷し、3層の壁内に血液が侵入して解離性大動脈りゅうの原因になるとも考えられる。

 こんな話を聞いたのは、先日の講演会で、長寿で名高い長野県の上田市を拠点に全国的な栄養士活動をされている中村さんという女史でる。震災前にも人間の食物にかんする栄養上の講義を受けたことがある。

 健診では、血液検査がなされるが、これは食習慣の結果の表示であるとともに、これからは血管の状態もどういうことになっているかの情報も解析対象になってゆのだろう。
 大阪駅前で大事故となった、運転者の解離性動脈も何らかの予兆が見つかる時代がくるのであろう。
 栄養と病気、血管の状況など多面的なつながりが研究されることだろう。
 人に話を理解してもらい、印象に残るようにするのは、なかなか難しい。中村女史はその目標に向かって努力されている。数年前に比べると著しくわかりやすく、魅力的な話をしていただけたものと思っている。

 

[PR]
# by watari41 | 2016-02-27 23:13 | Comments(0)

ミクロとマクロ

 灯油の価格がどんどん下がっている。我々にとっては想わぬ僥倖である。昨年の半値に近い。ガソリンも下がり、恩恵を受けている日本人は何千万人もいるはずだ。

 しかし、日本経済なかんずく世界経済にとっては、きわめてまずいことだとされる。
 個人の利益と国家なり企業の利益とが、相反しているのが現在の状況なのである。かつては全体(マクロ)がよくなれば個人(ミクロ)も良くなるものとされてきた。高度経済成長時代にはそんなことが、実現できていたような気がしている。
 そんなことが現在でも通用するという前提で、アベノミクスも策定されているようだ。全体をまず良くしましょう。そうすれば個人にも恩恵が回ってくるはずですと。
 だが、現実の社会情勢を分析すれば、石油の例を持ち出すまでもなく、かつての時代とは大きく様変わりをしてしまったのである。
 そんなことを筆者などが言うまでも無く、政府首脳をはじめ誰だってわかっていたはずなのだが、どうして現在の混乱ともいうべき状況を止められないのだろう。

 我々は物価が下がる事は、すべからく良いことだと思っている。それはミクロ的な考えでしかないと言われているのだ。マクロ経済的には、物価上昇率が2%でないとダメとされる。そうでないと日本経済が成り立たないとされる。

 どの辺りから、ミクロとマクロが合致しないようになったのだろうか。おそらくはバブル時代が分岐点だったのだろう。それまでは誰もが将来への希望を持っていた。だが、これは極めて稀な時期だったのかもしれない。

 人類の歴史をみれば、ミクロとマクロの合致などは有り得なかったと言えるのだろう。
 戦前は特にそんな時代だった。国威発揚が優先された、その国民がそんなに貧しいとはと驚かれたらしい。現代の北朝鮮如きである。
 今も国民の5%程度の人に富が集中しているとされる。いつの時代、どんな体制でもそんなパーセンテージだったのだと思う。見果てぬ夢をみながら、高度成長という今になると良き時代を懐かしんでいるのである。

 

[PR]
# by watari41 | 2016-02-18 18:42 | Comments(0)

古事記のこと(終)

 高天原(たかまがはら)は、80歳以上の方々にとっては懐かしい言葉であると思う、
 古事記の原点でもある。
 江戸時代から研究されていた。その所在地の候補は全国各地にまたがる。宮崎県が最も有名であるのは誰でもが知っている。茨城県がこれまた有力な候補地であることを、江戸の学者である新井白石が唱えた。当時は、まるで邪馬台国論争の如きものがあったのだと考えられる。
 現代に至ると、神話上の話を取り上げる事、そもそもがナンセンスだというのが有力になっている。
 しかし、トロイの神話の実在を信じたシュリーマンが、そこを発掘して世紀の大発見をしたこともあり、一概に日本神話も否定するのは当たらない。
 我々時代の戦後教科書にも、江戸時代に本居宣長が古事記を本格的に研究したと記されている。現代古事記研究の出発点にもなっている。

 天皇を神格化し、その権威を高めるために、戦前には神話も史実も取り混ぜて教えられた。
 高天原におわした八百万の神々の頂点に立つ天照大神の5代目子孫が神武天皇であり、従ってその皇孫たる天皇は神の子であると広く信じ込まされた。
 そのために古事記はきわめて都合よく出来ていたのである。
 敗戦後に天皇は、人間宣言をされ人々は、そういうものから開放されたのである。
 おおかたの人にとっては、そんなことは百も承知のはずなのだが、その権威には誰もさからう事などできず、うまく利用されたのである。
 戦後の日本占領にマッカーサー元帥が最も腐心したのが、天皇の権威を如何に無力化するかということだったとされる。終戦直後の歴代内閣が、それでも日本の元首が天皇であることを疑っていなかったからである。吉田茂さんにしてしかりである。臣茂と言ってはばからなかった。英国駐在などが長く、当時は最も進歩的日本人だったはずである。

 そんなこともあり、古事記に記されている沢山の神々が消え去ったわけではない。古い神社は古事記にあるいずれかの神を祭神としている。我が町の延喜式神社などは3神の名前が書いてある。長い伝統が消え去ることなどはない。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-02-11 17:06 | Comments(0)

古事記のこと(3)

 伊勢神宮の「ご神体」は、三種の神器のひとつ「鏡」である。
 20年毎の式年遷宮で、この鏡も移される。ご神体のなくなった建物は取り壊され、一見して更地になったかの如く見えるのである。
 しかしながら、ご神体の鏡が置かれる柱は、その位置が固定され、地中の定点に据え付けられる。考えてみれば、そうでなければおかしいのだ。

 神代の昔から、柱は極めて重要なものだ。現代でも諏訪神社の「御柱祭」が有名だ。何故なのか人間は柱に夢中になる。
 柱は天空への象徴でもある。出雲大社では48mの神殿が実存した。
 3500年前の縄文時代末期の三内丸山遺跡では、高さ20mに達しただろうという柱の根本部分が発掘された。使用目的が不明だということで、上部に屋根はかけられず、ぽつねんと6本の柱が復元されている。物見のためだという可能性も否定しきれないが、講師の小野先生は、神殿に間違いないとおっしゃる。
 だと、するならば神様の時代は弥生時代に始まると考えていたが、さらに1500年も遡ることになる。

 新興宗教という域を過ぎているのだろうが、天理教でも教祖の後継ぎを「真柱」と呼んでいる。今や危機にある電機メーカーのシャープも天理に、主力工場や研究所があった時代に出張した記憶がある。
 個人の家でも床柱には特にこだわる一家の大黒柱という表現もあったが、今や家族全員が働く時代である。
 今の住宅は、構造上のポイントが柱ではなく壁でもたせる建築方式である。
 五重塔は中心の柱で支えている。
 住宅も消耗品となっている現代社会は、柱とは縁が遠くなってしまったが。我々の心中には存在している。それが古事記のこころでもあるのだろう。
[PR]
# by watari41 | 2016-02-06 21:40 | Comments(0)

古事記のこと(2)

 戦後70年、戦争責任を最も強く感じられておられるのが、今上平成天皇であられるようだ。
 昭和天皇の命により、戦いが始まり、その命により終わった。
 実行責任者は、別にいたとしても、最高責任者であったことには変わりがない。アジアで一千万人もの人々が命を落としたのである。その息子たる現天皇が慰霊の旅を続けているのは、当然ともいえることであるが、日本人としては誰しも頭の下がる思いでいるにちがいない。

 古事記によれば、天皇は神の子孫とされてきた。明治以降その教育は徹底したものとなったのである。神の命令には逆らうわけにはいかない。時の政府や軍国主義者は、これを巧みに利用した。昭和天皇は戦後まもなく人間宣言をされた。これまた当然のことではあったが、GHQの意表をつくものでもあったようだ。

 戦後に小学校に入った筆者などは、稗田阿礼が記憶していたことを、太安万侶が記録したものとして教えられた。神がかり的なものはなくなり単なる神話であると古事記を捉えた。

 これを学術的に研究する人などもおり、上記の人物なども架空の人間で、後世における偽作ではないのかと言われたこともあるが、太安万侶の墓が見つかり、古代に実在した人物であることが判明した。古事記中味の信ぴょう性は別として、きちんとしたものであることが認識されたのである。

 長年に渡り日本人に受け継がれてきており、国家が壊滅状態の時にも、神道は守られてきている。戦争責任について言えば、時の軍部と政府にあることは間違いない。もちろん自決してその責任を全うした方々も多い。

 しかし、戦時中の大臣が如何に文官とはいえ、責任の一端はあったはずなのに、後の岸首相の如く罪を問われることなく返り咲いた人もいたし、広田外相の如く、東京軍裁判によって死刑となった方もいた。

 有形・無形にかかわらず、古事記が軍国主義者にとって都合のよかったことは確かである。
 正しい古事記というのも正確にはわからないのだろうが、本来のあるべき姿の一端を聞いたものと思っている。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-01-31 23:04 | Comments(0)

古事記のこと(1)

 日本神話より、ギリシャ神話の方が詳しいという方も多いはずだ。
 何とも恥ずかしいことである。

 先日、名取市にて「古事記・大祓」の講演会があることを知人より聞いて出席した。
 講演者は、小野善一郎さん。湯島天満宮の宮司さんで、この分野の第一人者であるようだ。
神社本庁に属する全国八万の神社が午前9時に一斉に「大祓詞」を神前に唱えているというのだから驚くことだ。

 戦後、マッカーサーのGHQによる占領改革で、古事記などは、皇室崇拝・軍国主義の源として徹底的に嫌われたが、米国人の中にも良識派がいたのである。これを教育するのは禁止するが、「神話」としては認めるとなったのである。神話とは古来から長い年月をかけてつちかわれたその文明のシンボルなのであると主張したのだから立派なものだ。(これは講演内容ではなく筆者が別の本から得ている)

 講演を聞いていると、なるほどと思うところが沢山ある。
 人間の穢れを取り除くのが御祓いだというのは誰でも知っている。その「穢れ」が我々の考えているものと全くことなる。罪ということではないのである。
 人間は、誰しも目には見えない薄い衣にくるまれている。それを取り除く儀式が御祓いなのだと言う。嘘いつわりのない真の姿を神様の前にさらけ出すというのである。これは一生に一度ではなく、次々と衣が湧いてくるものだとおっしゃる。従って衣に包まれた状態では悪事も働いてしまうということなのだろう。常に神様の前に真の姿をさらけだしなさい。ということだと解釈した。

 「大祓詞」は、よく読んでみると実に面白いといっては失礼になるが興味深い。我ら世代の日本人ならよくわかる。文字数もそんなに多くない「般若心経」の3倍程度なのである。般若心経の如く多面にわたる解釈が可能でもない。講演者は、日本人なら、この2つくらいは暗記しておくべきだとおっしゃる。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-01-26 14:11 | Comments(0)