知事と原発

 新潟県知事の3選が確実だとされていた泉田知事が、突如として出馬を取りやめたのは、自らに身の危険を感じたからということだ。

 世界最大の柏崎原発再稼働に当たって、福島事故の検証が不十分だとして認めなかった。平身低頭する東電社長が気の毒に見えたくらいである。

 福島原発では震災時の大事故以前に、東電がMOX燃料を使ったプルサーマルを実施したいと要請していたが、時の福島県知事の佐藤栄佐久知事がガンとして拒否していた。5選もされた知事だが、その末期には、作り上げられた増収賄事件のようだが、起訴されてその政治生命を絶たれた。
 筆者などとは同年代で若い頃から知事だった。既に原発は稼働中だったが、小事故の発生する度に、適当なことを言われて誤魔化されていたそうだ。東電の言う事は信用できないと、プルサーマルの時に専門家に聞いたら、あんな危険なものはないと言われ、頑強に拒否したようだ。
 その知事の同級生だったという男が、縁があって我が町の住宅地に住むようになり、私が所属するサークルに入ってきた。何の取柄もありませんが、かつて福島県知事と机を並べていたのが自慢なのですなどと言っていた。

 鹿児島県知事の三反園さんが、再稼働した原発を熊本地震があったので、一時停止して緊急点検してはどうかと再三申し入れたが、九電は聞く耳を持たなかった。稼働中の原発を停止させる権限は知事にはないようだ。

 少し前までなら、業者による多額の袖の下が通用した時代があったが、今や議員の政活費にもメスが入っている。
 再び闇の勢力に頼ってしまう時代となったかのようだ。
 新潟県知事には、幸いにして泉田さんが先導したプロジェクトの問題が、新潟新聞に大きく取り上げられた。これ幸いと思ったのだろう。

 かつてロッキード事件の時に、掘田検事が日本には底知れない闇の世界があると言っていたように記憶しているが、原発マネーも流れ込んでいるのであろう。



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# by watari41 | 2016-10-03 15:26 | Comments(2)

立ちション

 何とも尾籠(ビロウ)な話で恐縮だが、電車の運転手がダイヤを守るためとはいえ、線路に立ちションしているところを見とがめられた。何度もやっていると言うのだから、介護用オシメが恥ずかしければ、それなりの容器を用意しておくべきなのだろう。

 今を去る50年も昔のことになるが、石巻発仙台行きの電車がなかなか発車しない。そのうちにアナウンスがあった。只今運転手が昼食中なのでしばらくお待ち下さい、というのである。乗客は唖然とした。動労が強かった時代のことである。仙台まで一時間半ほど我慢が出来ないのかという時代雰囲気だったように思う。

 立ちションが、軽犯罪の象徴みたいに言われた時代が懐かしい。小生なども入社の頃は、酔った勢いで、どこの家の塀かわからないところで、みんなでやれば怖くないみたいなことだった。酒に寛容な時代があったのだ。実際に立ちションで検挙された人はいないのではなかろうか。

 プロ野球の選手で盗塁王の歴代記録を大幅に破った福本選手だったと思う。国民栄誉賞の話が持ち上がった。本人は断った。そんなものをいただいたら、その辺で立ちションも出来なくなってしまうよというコメントが忘れられない。

 今年のイグノーベル賞は、天の橋立などで知られる「股のぞき」を研究した日本人に与えられた。学術的なものであるが、テレビでタケシさんが、昔の女性の立ちションスタイルではないのかと言ってたが、若い方々にはわからないだろう。これまた半世紀も昔のことだが、モンペ姿で農作業をしていた恥も外聞もなくなった高齢のご婦人が、モンペをヒョイトまくり上げて、裾が濡れないように上半身を折り曲げて確認しながら田畑にシャーシャーと自らの肥料をまいていたものだ。タケシさんの年代でも記憶にあるのだろう。

 人類誕生以来の生理現象に、電車の運転手ではないが高度文明社会の現代も困窮している。たまたま9月24日に我が町で高齢者医療講演会があり、参考資料として「トイレが近くて困ってませんか」という男女別での冊子が同封されていた。URLも掲載されてた。
http://www.hainyou.com/

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# by watari41 | 2016-09-26 20:25 | Comments(0)

伏魔殿東京都

 何十年も前に東京都役所の奇々怪々さを評論家が表現した言葉だったが、豊洲市場移転問題で石原さんが発言したので驚いた。当事者でありその頂点に立っていた人が言うべきことではない。何と無責任な人であろうと誰しも感じたことであろう。在職中には派手なパフォーマンスを好んだ。言いたいことを言って一部の方々には評価されてもいたが、今回の問題で、豊洲の地下と同様に彼の脳内も空洞なのだとわかられてしまった。晩節を汚したようだ。

 確実なのは、今回の結果がどういうふうに転ぼうと、土建屋さんの仕事が確実に何百億円か出て来るということであろう。

 組織の中にいると、絶えずトップの動向が気にされる。石原さんも素人だとみずからおっしゃられているが、しかし空洞化の意思を持っていると認識されてしまったのだろう。それを悪用されてしまったのが今回の事件を単純化した構図なのであろう。

 私も在職中に、素人の社長が突拍子もないことを言い出すので、それは駄目なんですと言ってもきかないのである。ダメにした現物を持参してはじめて納得するのである。

 私の従兄で、30代で会社を立ち上げ苦労の末に一部上場企業にした男がいる。彼は阪神の熱烈なファンであった。会社が大きくなるにつれて、阪神ファンに鞍替えする人が多くなったと苦笑いしていたものだ。大組織となるに従い追従者がでてくる。

 明治時代にご近所の先祖で、萱場さんという当初は地元役場に勤務したが、あまりに優れた男だったので進められて東京都に転職し局長へと栄進する。それを頼って何名かの若者が東京都に就職した。その中の一人に私の親戚がいて東京に住み着いた。晩年になってから実家の葬儀で帰省した時に聞いた話では、仕事とは業者と酒を飲むことだったと言われる。仕事というほどのことはない。
 酒が飲めたから、東京都役所での仕事も勤まったんですよとおっしゃる。
 伏魔殿と言われはじめた頃である。

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# by watari41 | 2016-09-18 11:57 | Comments(1)

死ぬ力

 「生きる力」とか「悩む力」はあっても「死ぬ力」の本は無いのだと思っていた。念の為に検索してみたらあったので驚いた。
 今年の2月に発刊されている。著者は私と同じ年代の方である。講談社の編集者から頼まれて書いたのだという。まだ読んではいないが、今や「余生」というのがないと言われる。
 大半の人が、退職後も元気で長生きしている。超高齢化で、第二、第三の人生を送っている。昔は余生と称して趣味などに打ち込み10年ほどで亡くなる方が多かった。
 今や死ぬまで生き抜くことが要求される時代である。
 当然ながら、そんな長寿社会がくることは昔からわかっていたらしく、生涯学習だとか、若い人には変化に対応できる生き方などが盛んに唱えられたことを思い出す。

 面白いことに、お寺さんから「生きる力」という冊子が発行されている。私は全国に3千寺あるとされる、真言宗智山派の我が町末寺の檀家である。総本山は京都の智積院で、そこが季刊誌として発刊している。内容は仏教入門といったようなものである。
 いずれ死ぬ方々であるお客さんに、仏様とはこういうものですよと説いて、精一杯生きて下さいと言われているようなものだ。

 「死ぬ力」とは、裏を返せば「生きる力」でもある。人生に「余り」というのは無いのであろう。私も退職後15年余、目の前のことに追われて一日を終わる。40年も在職した会社の事も忘れかけている。

 このブログも始める時には「余日録」と気取ってみたのだが、現実はそんな余裕もない。後期高齢者だが見かけだけは若いらしい。
 そういえば、やり残していることは、まだまだあるみたいだ。

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# by watari41 | 2016-09-10 17:31 | Comments(0)

統計の異常

 ゼロ歳から100歳までの百人がいると、平均して年間に1人が亡くなる。
 日本人の年間死者数は130万人、人口が1億2千6百万なので統計的に合致した数字である。
 我が町の人口は3万人、年間に300人が亡くなる。統計とは母数が大きくなると大概にして合ってくるものだ。

 何故、こんな数字を考えたのかというと、私が管轄する町内会の人口が約400人なので、年間に4名が亡くなってもおかしくはないのだが、私が町内会長(田舎では行政区長)に就いてから1年半であるが、この間は死者ゼロで過ごしてきている。何とも有り難いことである。ちなみに、過去20年ほどを遡って調べたら、平均しては年間に死者4名であるから、統計上はおかしくない。最大で年間8名という年があった。だがゼロという年はなかったのである。

 年令構成が、若い人に偏った地域などでは、死者が出ないことは珍しくないが、私の地域では満遍なく分布している。日本全体と同様に高齢者の部分が膨らんでいる。

 我が町の敬老会式典は、今年は9月17日に開催される。高齢者人数が多すぎるので、77歳、88歳、99歳の節目になった方々にのみ、招待状が出され体育館にお呼ばれする。
 私の管轄する町内会では9名の方々が相当し、役場からの招待状を手渡した。

 節目から節目までは11年ある。皆さん次回の招待まで長生きをしてほしいものだ。
 町内会も死亡ゼロが2年間続けば、統計上は99%有り得ないことが起きたことになる。3年も続けば奇跡だとなろう。そんなことを願っている。
 科学の発達していない時代なら、それこそ教祖様に祭り上げられてもおかしくない。




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# by watari41 | 2016-09-04 15:39 | Comments(0)

(続々)戦後71年

 アメリカのバイデン副大統領が「日本国憲法は我々が書いた」というような発言をした。
 トランプさんへの批判演説中に出た言葉であるが問題化した。
 だが今や、そんなことは言われなくても日本人なら誰でも承知している。

 当時のマッカーサーも、日本が独立したら直ぐにでも改定するだろうと考えていたのである。まさかこんな長期間に渡り持ちこたえるなんて、それこそ想定外のことであったろう。

 その原点は、マッカーサーの日本教育改革にあったと考えている。予期せざる効果を得てしまったのである。時の首相、吉田茂さんさえもすっかりマッカーサー信奉者となってしまっていたので、昭和26年の平和条約締結時も、そんな考えは全くなかったにちがいない。

 その後に憲法改正を阻止し続けた政治勢力は、日本社会党等で常に三分の一以上の議席を確保していた。戦後に教育を受けた世代が有権者になっていた。

 そのような政治状況のなかで、日本はあたかも未だアメリカの占領下にあるかの如き状態が続いて現在に至ったことも確かである。そんなこんなのうちに自民党などもいつのまにか4分の3を超えた。
 しからば、新しい憲法を持てるかということになるが、事はそう簡単にはいかない。
 戦後の長い期間の間に、アメリカの世界戦略の一環としてすっかり組み込まれてしまっているので、ジタバタしたところで何ともならないからである。同様な境遇の韓国大統領が中国に擦り寄ってみたが、どうなるものではないことがわかった。

 日本人の戦争に対する考え方は極端にちがう。実際に第一線で戦った人、目の前で戦友を亡くした人、家族を亡くした人、空襲を経験した人など悲惨な目にあった人は当然ながら2度と戦争をしてはならないという信念を抱いている。
 これに対して、政治家や軍の幹部などは必ずしもそうではない。日本を再度強国にしたい。中曽根元首相などは典型的な人だった。戦後日本への考え方が、かくも異なるのである。
 敗戦の責任を感じて、隠棲し清貧に終生したのは宮城県出身の井上成実海軍大将のみであるとされる。その一方で戦後に栄華を極めた軍人も数多い。

 検討中とされる新憲法案が国民投票で可となることは「バイデンさん」の発言などがあっても当分の間はないであろう。

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# by watari41 | 2016-08-30 15:18 | Comments(0)

(続)戦後71年

 日本敗戦から6年間、占領軍マッカーサーが全権を握り、現在に続く戦後日本に決定的な影響を与えていった。
 1972年に発刊された宮城県出身の政治学者袖井 林二郎さんの「マッカーサーの二千日」という著作が大変な話題になった。私も読んだ。2015年には文庫本ともなっている。
 発刊当時は、日・米で公開されている文書のみが調査対象のようだった。

 その後に当時は極秘とされていた日本占領軍とアメリカ政府との往復文書が、すでに秘匿期限を切れていたが、公文書館の地下に埃をかぶったダンボール箱に大量にあったのだという。それを関西の人であるがスタンホード大の留学生だった西鋭夫さんが見つけた。研究成果を1998年に「国破れてマッカーサー」として中央公論に発表し、2005年には文庫本となった。

 生々しい話がたくさんあるが、特に教育改革について、文部省や政府高官が「教育勅語」からの転換に、日本人関係者には戦前からの考え方が染み込んでいて、陰に陽に抵抗というか反対をしたのであるが、占領軍はそれらの人物を排除して「民主的」とされる教育体制を作り上げ、私などが小・中学校で習ったようなこととなったのである。

 この結果「日本人の誇り」みたいなものも、徹底的に破壊しようというもくろみもあり、これにも成功しているのである。

 日本歴史を嫌ったのである。神話を交えたことを歴史として教育したことが戦争につながったという認識が占領軍にあったのだ。「神国日本」がいけなかったというのである。

 歴史軽視の教育が、数年前に明るみに出た。入試に関連の無い歴史を省いた高校教育だった。慌てて補習授業などをしていたニュースが記憶に新しい。歴史を軽視せよ、とまではマッカーサーは言っていないはずだが、過剰反応があったのだ。

 我々は終戦後に一夜にして、人々の価値観が転換したように思っているが、そんな人もいたのだろうが、全てがそのようなことではなかった。従えない教員には、辞職勧告が出され大量の教員が辞めたとされる。現在だって戦前に回帰しようという方々はいる。
 終戦後の数年間は、現代歴史の暗闇とされる。何があったのかを確たるものとしていただきたいものだ。

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# by watari41 | 2016-08-22 20:28 | Comments(0)

戦後71年

 既に人間の一生に匹敵する時間を経過しているが、今も戦争の事実はこうでしたという記録や真実の発見が続いている。
 先日のNHKで、米国大統領になったばかりのトルーマンが、原爆投下を言いつくろうとして演説草稿にはなかった。「これで米兵50万人の命を救った」というアドリブが独り歩きをして、今なお原爆投下の正当性として多くの米国人は信じているのである。

 1941年の真珠湾攻撃をルーズベルト大統領が知っていたのか否かという議論が何十年か続いてきたことを記憶している。
 今になってみると、そんなレベルの話ではなく、日本の暗号は全て解読されており、日本政府、軍隊の動きは筒抜けだったのである。
 当時のアメリカ国民には厭戦気分が横溢しており、日本との同盟関係にあるドイツと戦い、苦戦していたイギリスのチャーチル首相から、アメリカ大統領へ参戦の催促を繰り返し受けていた。
 ルーズベルト大統領としては、アメリカ国民の厭戦気分を劇的に変化させうる戦略を練っていたのである。
 当時、日中戦争を拡大させていた日本への石油供給停止を通告した。困った日本は米国への戦いを挑むしかなくなった。奇襲攻撃することも筒抜けだった。
 さらに、アメリカにある大使館が宣戦布告の公式文書にするのに手間取り、真珠湾への攻撃時間の後になった。「だまし討ち」とする宣伝効果に使われた。
 当然ながら、アメリカ政府はその暗号電報を解読しており、日本大使館からの連絡を待っている状態にあった。事務処理に手間取った日本は、敵国米国に思わざる宣伝材料を与えてしまったことになる。
 米国民には憎し日本の感情が沸き立った。ルーズベルト大統領が演説しそれを煽ったのである。劇場型政治家の先駆けを成すものだった。
 念がいったことに、ハワイ軍司令官のキンメル将軍を職務怠慢で軍法会議にかけたのである。将軍からすれば何故教えてくれなかのかということになるが、ハワイの軍艦を守るのは司令官にありといわれればぐうの音がでない。
 ルーズベルト大統領は稀代の政治家だったということになる。


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# by watari41 | 2016-08-15 12:55 | Comments(0)

後期高齢者

 75歳になるといろんなことが変わる。良いこともあれば悪いこともある。
役場よりの通知をいただいた。
 良いことから書くとしよう。国民健康保険税が大幅に安くなるみたいだ。大都市だと所得に比例して決まるが、田舎町ではそんなことでは皆さんが少額になってしまうので、たくさん徴税されるようになっている。最高限度額が54万円だった。
 後期高齢者になると県単位で一本化されるので、限度額は19万円というお知らせである。
 実現されれば嬉しいことである。

 やっかいなのは、運転免許証の更新に、めんどうな講習があったり、認知症のテストみたいなものまである。各種の検査データは老化が確実に進んでいることを示している。
 数日前に受けてきた。
 ペーパーテストは何とか合格。しかし以下は惨憺たる数字だった。
 動体視力が30km/Hで、何と0.2しかない。
 暗がりから、瞳孔が周囲の明るさに慣れるまでに61秒間。若い人なら10秒程度らしい。おまけに上下の視野がかなり狭くなっている。教習官は信号機を見落とす可能性が大変に大きくなっておりますとおっしゃる。実際の運転では、真っすぐに走っているつもりなのでしょうが、蛇行しているのですと。
 暗に免許証を返上してはいかがでしょうかと言っているのである。
 しかし、田舎町では運転免許なしには生活が困難である。
 注意するしかないが、集中力も落ちて来ておりますと追加の警告までいただく。
 これまでは5年間の更新だったが、これからは3年間となる。

 よく、鈴木さんはお若いですねなどとおだてられて、その気になっているが、とんでもないことである。シルバー健康診断などの数字とは、これまた異なる実態が現実である。

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# by watari41 | 2016-08-07 21:15 | Comments(2)

セミの声

 8月を目前にして仙台はやっと梅雨が明けた。
 雑木林の如き我が屋敷にはセミの声がうるさい。地中で7年を暮らし、死期を悟ると地上に出て7日ほどの生殖活動をしてそのままに果ててしまう。我々人間からみると、何とはかない一生かと思うが、昆虫とはそんなものである。

 そんなセミに最大の文学的賛辞を与えたのは、日本人なら誰でも知っている
     『閑さや岩に染みいる蝉の声』 芭蕉である

 うるさいと思って聞いている小生などからみると不思議なものだが、きちんとした物理的解説があるのだから驚いてしまう。
 山寺は凝灰岩で出来ている。表面に凹凸があるのはもちろん、音が共鳴するような微妙な穴が至る所にある。芭蕉は極めて運の良い時期に訪れている。だからと言って常人がそれを聞いて、一句が出てくるようなことは有り得ない。芭蕉なればこそである。
 おそらくは、岩に反響しあい、吸収され、穴で共鳴する得も言われぬ鳴き声を聞いたにちがいない。
 山形出身の歌人、斉藤茂吉はセミが単数だったか複数だったのかを議論したというのだからこれまた面白い話である。だがその結論は暦にあった。現在に直すと7月13日だった。にいにいセミだった。その年は梅雨が早く明けたか、空梅雨だったのだろう。

 同じくと言っては語弊があるが山形県出身の小説家、藤沢周平の最高傑作に「蝉しぐれ」がある。その題名を決めるのに、芭蕉の一句が頭にあったのは間違いないだとうと考えている。セミ様々である。
 明日もまた我が家のセミしぐれを聞くことになる。
 ツクツクボウシを一瞬聞いたのだが、本格的にこれを聞くのは秋近しとなる日になるはずだ。虫の声も一緒に聞こえてくるだろう。東北の秋は早い。2016、今年はどうだろうか。

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# by watari41 | 2016-07-30 21:57 | Comments(0)

千話

 やや不正確なカウントながら、このブログも一区切りの千話を迎える。
 2004年5月に始まっているので12年間である。
 きっかけは、退職後に入会させてもらった「シニアネット仙台」で、同会の立ち上げ人でもある当時のハンドル名shumidさんから、パソコンでこんなこともできるのですよと紹介していただいたのが最初である。
 それなら私にも出来そうだと軽い気持ちで始まった。こんなに長く続くとは思わなかった。
 口の悪い後輩は、よくも下らない話を延々とやってますねと、その通りなのかもしれない。
 ただ個人的には、大概のことは3日坊主みたいに終わる小生にしては、何らの社会的意義もないことだが、晩年に至りよくやったということだろう。
 土俵を無料で提供してもらっているexite社には感謝申し上げるしかない。途中でプログラム変更などで、当初の頃の写真や動画で失われたものもあるが、テキストは残っている。一人相撲を取っているようなものだ。振り返れば間違いや、勘違いも多くあるが、そのままに残しておくとしよう。
 本来ならジャンル別にきちんと整理しておくべきなのだろうが、これまた生来の適当さでバラバラである。世界中に公開されているはずだが、読んでいる人などは当然ながら極めて少ない。時の話題などになるとおびただしい数の訪問を受けるが、普段は静寂そのものである。

 在職中や退職後のあれこれが詰まっている。全てを吐き出してしまった感もあるが、まだ若干の何がしかが残っているのかもしれない。
 後期高齢者のいろんな書類な来ている。健康保険料が大幅に安くなるので、これは長生きした甲斐があったのかもしれない。まもなく高齢者運転講習の2回目が来る。脳のMRIはそれなりに白質化が進んでますと診断された。町内の区長職も一年半、それなりにトラブルも収まってきた。これだけは年の功というべきなのだろう。

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# by watari41 | 2016-07-21 20:56 | Comments(2)