トランプリスク

 とても尋常な方だとは思えないアメリカ大統領が登場した。
 君子豹変ということもあるが、その逆をいっている。当選したら途端に普通の人になったように見える。
 選挙演説は半ば公約みたいなものだろうと思うが、票を取るためなら何をしゃべってもかまわないというようなことは、今後批判の対象になるだろう。
 日本では選挙公約が、票を獲得する手段だが、あまりにも出鱈目だというのでマニフェストという言葉が登場したが、しりすぼみになりつつある。

 トランプさんは、政治的にはおそらく無難にこなすでのであろう。そのあたりのリスクは比較的少ないと考えられる。
 最も高いリスクは大阪府知事だった「横山ノック」的、ふるまいがこれから心配される。
 トランプさんは選挙中も言っていた。こちらが有名人だと女は何でもさせてくれると。これは本音なのだろう。
 大阪のノックさんは、車のなかで女性をもてあそんだことで失脚した。合意の上だというが、そんなことは有り得ないだろう。

 優れた実業家であることに間違いない。大成功を収めた人なのである。
 しかしながら、えてしてこの種の人は女性に手を出したがる。普通の男子も似たようなものであるが多少の理性と、何よりもお金のないことが決定的な違いだ。
 わが田舎町にも、そんな人がいた。とにかく商売上手だった。事業勘が冴えていたのである。残念ながら人望がなかった。仲間とつるんで東南アジアへ頻繁に出かけていた。誰もが想像する旅行だったのだろう。

 トランプリスクがどんな形で表面化するのか、異なる角度からも注目である。
 政治的に世界を変えるリスクは、もちろんあるがそれは富裕者のリスクなのであろう。



[PR]
# by watari41 | 2016-11-13 10:18 | Comments(0)

破滅と終末

 我々は、破滅とか終末論が大好きである。
 ノストラダムスの大予言から始まった。今世紀になってからは、マヤ文明が作成した暦が切れるので、それがこの世の終わりでもあるというようなことだった。いずれも外れた。
 科学的な根拠など何も無いのだから外れて当然と言えば当然のことである。
 現代文明を持ったはずの人間も、こんな説に一喜一憂しているのだから面白い。

 世界大恐慌も、最初の予測本がでたのが1988年で、本屋さんで毒々しい文字が躍っていたのを記憶している、あれから30年、リーマンショックなどはあったものの、大恐慌と呼べるほどのものではない。
 日本人の破滅好きは、天災があまりにも多すぎたからではなかろうか。火山の爆発、地震、津波など昔の人は原因がわからないものへの恐怖心はすごいものであったろう。いつかはこの世の終わりが来ると思っていたのいちがいない。そんなDNAを我々は引き継いでいる。

 同じ災害大国なのにイタリア人は陽気にみえる。
 宗教的なものが影響しているのだろうとみている。「ヨハネの黙示録」にはこの世の終わりらしきことが書いてあるが、その時期がはっきりしていない。
 お釈迦様も36億年の将来には、そんなこともあるだろうと言っているようだ。
 今から千年前に日本では末法思想が流行した。疫病や怨霊が大流行したである。その時に大活躍した「聖人」といわれる方々が、今も葬式などに行くと名前を聞く、親鸞さんや日蓮さんである。

 韓国ではどういうわけか、大統領が全員次々と破滅している。李承晩大統領の時代から記憶がある。今度の朴大統領でそんなジンクスも終わりなのだろうと思っていたら、やはり破滅しかけている。そんなことを何かの呪いと呼ぶ人々もいるが、どう考えればいいのだろうか。

 人生には必ず終末が存在するが、それも百を超えると目出度いと言われる。
先日、知人の母親が102才で亡くなった。坊主も目出度いことだとおっしゃる。
法号が「鶴松院賀妙・・大姉」2文字は聞き取れなかった。世の中は様々である。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-11-05 17:44 | Comments(0)

官製談合

 「復興バブル」というべきものがあった。
 東北の被災した沿岸地域一帯における各市長村である。
 我が町は年間予算百億円にも満たないが、そこに千億円を超す復興資金が下りてきた。
 震災で犠牲となられた方々には誠に申し訳ないことであるが、青息吐息だった人々が、酔いに酔ってしまった。年間売り上げ1億円程度の零細土建会社が震災翌年には25億円にまで膨れ上がった。だが昨年は5億円へと落ち込んだ。これからも上昇する見込みはない。
 落札率99%などと、すべからく「官」が介在しなければ有り得ない。露見さえしなけれという考えがまかり通っていた。
 10月19日に我が町で役場の課長と2つの土建会社社長の逮捕がローカルのトップニュースとなり数日間は、その話題に独占された。
 昨年末の入札で手違いが起きた。落札すべき業者に落ちなかった。課長判断で直ちに入札をやり直した。町では課長がトップである。市では部長、政令都市では局長に相当する。強大な権限を有するのである。
 
 筆者は、民間会社在職の頃は役場とは縁がなかったが、退職後は多くの方と知り合いになった。その課長とも多少口を聞いたことがある。ホープなのだとされていた。
 往々にして事件を起こすのは、こういう切れ者とされる人なのである。多くの人にとって驚きにちがいないが、多少の事情を知るものにとっては、さもありなんということである。
 昔、知人の正義派とされた老社長が制限付き競争入札に申し込もうと会場を訪れたら受付のオニイチャンから、どこのどなた様ですかといわれ頭に来たと言っていたことがある。

 豊洲市場などは、世間に明るみに出ることなく事業費5千億円が99%落札率で環境基準も無視しての「事件」が見逃されていたのだから驚きを通り越している。

 このような問題を抱えているのだから、抜本的なシステムの見直しが必要なことは言うまでもない。欧米諸国ではどようにしているのだろうか?

[PR]
# by watari41 | 2016-10-28 11:53 | Comments(0)

持続可能か

 時代のキーワードを、ひとくくりにすると「持続可能か」ということになるのだろう。
  ①オリンピックは今後も続けてゆけるのか
  ②天皇制は維持できるのか
  ③ニッポン経済は破綻しないのか
  ④わが郷土が消滅することはないのか
 もっと沢山の消滅しそうなものがあるが、代表的なものを上げてみた。

 身近なものでも、町内の老人クラブが10年前には24グループが存在したが、今や7つになり急速に衰退しているのだが、片や老人数は爆発的というのもおかしいが、長寿命化でどんどん増加しているのである。
 先日の敬老会名簿によると、77才ではその同級生の7割が生き残っている。
 88才では4割の人が健在である。老人の意味合いが大きく変化している。従来とは異なる形態に発展的解消をするのだろうと考えるが、その先駆けがまだ見えてきていない。

 ボート競技場のゴタゴタは、面白おかしく騒がれているが現在のオリンピック問題を象徴するものであり、これからの○○オリンピックという言葉がなくなる前兆なのでもあろう。

 天皇陛下も早く辞めたい、持続可能な制度にしてほしいと要望されているが、これまたモタモタしているように見える。天皇制そのものの消滅も危惧される状況にある。

 日本銀行は、いつまで国債を買い続けられるのだろうか。その限界がニッポン経済の破滅になりそうだ。有効な手立てがいまだ見つかっていないのである。

 我が町は、幸いに政府機関が発行した将来の消滅都市リストには載っていないが、現在の規模を維持できないのは当然のことである。今年中期計画書が発刊されたが、主題は未来につながる「持続可能な都市を目指す」という事なのだが、内容としてはありきたりのことが書いてあるにすぎない。斬新なアイディアなどはなかなか出てこない。

 自分自身も、あと何年持続可能なのか、全くわかっていないし、その割合にはやることが多すぎて、考える時間もとれていない。
 

[PR]
# by watari41 | 2016-10-19 12:04 | Comments(2)

富裕層

 「プライベートバンカー」という今年(2016)7月講談社から発刊された話題の本を読んでみた。著者は清武英利さん、聞いたことのある名前だと思ったら、読売巨人軍のコーチ問題でナベツネさんと係争中の人物である。筆も立つ人なのだ。

 日本には、一億円以上の預貯金をもつ人が200万人もいて増加中なのだという。この数字は生活保護世帯数160万所帯を上回るがこちらも増えている。貧富の二極化ともいわれる現象だ。アベノミクスが拍車をかけているのであろう。
 5億円以上ともなると、超富裕層と呼ばれ日本で税金を取られることを極端に嫌がり、税金の安い、あるいは無税の国に移住したがるというのである。

 パナマ文書が漏れて日本人名もあった。警備保障会社の創業者一族である。
 かつてから、日本周辺の海難事故などでパナマ船籍の貨物船ということをよく聞くのだが、要するに税金のかからないところに事業所をおいて活動したいということなのである。

 冒頭の本はシンガポールの話である。国策で世界中の金持ちを集めようとしている。我々は、街のきれいな観光地のイメージしかないのだが、富裕者の集まる金融の国である。子孫に無税で富を残そうとするなら5年間暮らして外国籍を取得しなければならない。ゴルフと遊んでばかりの日常も羨ましいようだが、辣腕をふるい昼夜の別なく働いて稼いできた方々にとっては退屈きわまりない生活をしなければならない。税金を逃れるのは実に大変なことだ。

 アメリカでは20代で巨万の富を築き、広大な屋敷を手に入れ趣味三昧の生活を送る人を凄いものだなと昔は眺めていたが、飽きてしまうのではないのかと思ったことがある。
 お金は無くてはもちろん困るが、ありすぎるのも始末に負えないもののようだ。

 そんな余計なことを考えるのは筆者など日本の貧乏人だからに他ならにないのかと思ってしまう。金持ちの気持ちというものを聞いてみたいものだ。

[PR]
# by watari41 | 2016-10-12 21:03 | Comments(0)

知事と原発

 新潟県知事の3選が確実だとされていた泉田知事が、突如として出馬を取りやめたのは、自らに身の危険を感じたからということだ。

 世界最大の柏崎原発再稼働に当たって、福島事故の検証が不十分だとして認めなかった。平身低頭する東電社長が気の毒に見えたくらいである。

 福島原発では震災時の大事故以前に、東電がMOX燃料を使ったプルサーマルを実施したいと要請していたが、時の福島県知事の佐藤栄佐久知事がガンとして拒否していた。5選もされた知事だが、その末期には、作り上げられた増収賄事件のようだが、起訴されてその政治生命を絶たれた。
 筆者などとは同年代で若い頃から知事だった。既に原発は稼働中だったが、小事故の発生する度に、適当なことを言われて誤魔化されていたそうだ。東電の言う事は信用できないと、プルサーマルの時に専門家に聞いたら、あんな危険なものはないと言われ、頑強に拒否したようだ。
 その知事の同級生だったという男が、縁があって我が町の住宅地に住むようになり、私が所属するサークルに入ってきた。何の取柄もありませんが、かつて福島県知事と机を並べていたのが自慢なのですなどと言っていた。

 鹿児島県知事の三反園さんが、再稼働した原発を熊本地震があったので、一時停止して緊急点検してはどうかと再三申し入れたが、九電は聞く耳を持たなかった。稼働中の原発を停止させる権限は知事にはないようだ。

 少し前までなら、業者による多額の袖の下が通用した時代があったが、今や議員の政活費にもメスが入っている。
 再び闇の勢力に頼ってしまう時代となったかのようだ。
 新潟県知事には、幸いにして泉田さんが先導したプロジェクトの問題が、新潟新聞に大きく取り上げられた。これ幸いと思ったのだろう。

 かつてロッキード事件の時に、掘田検事が日本には底知れない闇の世界があると言っていたように記憶しているが、原発マネーも流れ込んでいるのであろう。



[PR]
# by watari41 | 2016-10-03 15:26 | Comments(2)

立ちション

 何とも尾籠(ビロウ)な話で恐縮だが、電車の運転手がダイヤを守るためとはいえ、線路に立ちションしているところを見とがめられた。何度もやっていると言うのだから、介護用オシメが恥ずかしければ、それなりの容器を用意しておくべきなのだろう。

 今を去る50年も昔のことになるが、石巻発仙台行きの電車がなかなか発車しない。そのうちにアナウンスがあった。只今運転手が昼食中なのでしばらくお待ち下さい、というのである。乗客は唖然とした。動労が強かった時代のことである。仙台まで一時間半ほど我慢が出来ないのかという時代雰囲気だったように思う。

 立ちションが、軽犯罪の象徴みたいに言われた時代が懐かしい。小生なども入社の頃は、酔った勢いで、どこの家の塀かわからないところで、みんなでやれば怖くないみたいなことだった。酒に寛容な時代があったのだ。実際に立ちションで検挙された人はいないのではなかろうか。

 プロ野球の選手で盗塁王の歴代記録を大幅に破った福本選手だったと思う。国民栄誉賞の話が持ち上がった。本人は断った。そんなものをいただいたら、その辺で立ちションも出来なくなってしまうよというコメントが忘れられない。

 今年のイグノーベル賞は、天の橋立などで知られる「股のぞき」を研究した日本人に与えられた。学術的なものであるが、テレビでタケシさんが、昔の女性の立ちションスタイルではないのかと言ってたが、若い方々にはわからないだろう。これまた半世紀も昔のことだが、モンペ姿で農作業をしていた恥も外聞もなくなった高齢のご婦人が、モンペをヒョイトまくり上げて、裾が濡れないように上半身を折り曲げて確認しながら田畑にシャーシャーと自らの肥料をまいていたものだ。タケシさんの年代でも記憶にあるのだろう。

 人類誕生以来の生理現象に、電車の運転手ではないが高度文明社会の現代も困窮している。たまたま9月24日に我が町で高齢者医療講演会があり、参考資料として「トイレが近くて困ってませんか」という男女別での冊子が同封されていた。URLも掲載されてた。
http://www.hainyou.com/

[PR]
# by watari41 | 2016-09-26 20:25 | Comments(0)

伏魔殿東京都

 何十年も前に東京都役所の奇々怪々さを評論家が表現した言葉だったが、豊洲市場移転問題で石原さんが発言したので驚いた。当事者でありその頂点に立っていた人が言うべきことではない。何と無責任な人であろうと誰しも感じたことであろう。在職中には派手なパフォーマンスを好んだ。言いたいことを言って一部の方々には評価されてもいたが、今回の問題で、豊洲の地下と同様に彼の脳内も空洞なのだとわかられてしまった。晩節を汚したようだ。

 確実なのは、今回の結果がどういうふうに転ぼうと、土建屋さんの仕事が確実に何百億円か出て来るということであろう。

 組織の中にいると、絶えずトップの動向が気にされる。石原さんも素人だとみずからおっしゃられているが、しかし空洞化の意思を持っていると認識されてしまったのだろう。それを悪用されてしまったのが今回の事件を単純化した構図なのであろう。

 私も在職中に、素人の社長が突拍子もないことを言い出すので、それは駄目なんですと言ってもきかないのである。ダメにした現物を持参してはじめて納得するのである。

 私の従兄で、30代で会社を立ち上げ苦労の末に一部上場企業にした男がいる。彼は阪神の熱烈なファンであった。会社が大きくなるにつれて、阪神ファンに鞍替えする人が多くなったと苦笑いしていたものだ。大組織となるに従い追従者がでてくる。

 明治時代にご近所の先祖で、萱場さんという当初は地元役場に勤務したが、あまりに優れた男だったので進められて東京都に転職し局長へと栄進する。それを頼って何名かの若者が東京都に就職した。その中の一人に私の親戚がいて東京に住み着いた。晩年になってから実家の葬儀で帰省した時に聞いた話では、仕事とは業者と酒を飲むことだったと言われる。仕事というほどのことはない。
 酒が飲めたから、東京都役所での仕事も勤まったんですよとおっしゃる。
 伏魔殿と言われはじめた頃である。

[PR]
# by watari41 | 2016-09-18 11:57 | Comments(1)

死ぬ力

 「生きる力」とか「悩む力」はあっても「死ぬ力」の本は無いのだと思っていた。念の為に検索してみたらあったので驚いた。
 今年の2月に発刊されている。著者は私と同じ年代の方である。講談社の編集者から頼まれて書いたのだという。まだ読んではいないが、今や「余生」というのがないと言われる。
 大半の人が、退職後も元気で長生きしている。超高齢化で、第二、第三の人生を送っている。昔は余生と称して趣味などに打ち込み10年ほどで亡くなる方が多かった。
 今や死ぬまで生き抜くことが要求される時代である。
 当然ながら、そんな長寿社会がくることは昔からわかっていたらしく、生涯学習だとか、若い人には変化に対応できる生き方などが盛んに唱えられたことを思い出す。

 面白いことに、お寺さんから「生きる力」という冊子が発行されている。私は全国に3千寺あるとされる、真言宗智山派の我が町末寺の檀家である。総本山は京都の智積院で、そこが季刊誌として発刊している。内容は仏教入門といったようなものである。
 いずれ死ぬ方々であるお客さんに、仏様とはこういうものですよと説いて、精一杯生きて下さいと言われているようなものだ。

 「死ぬ力」とは、裏を返せば「生きる力」でもある。人生に「余り」というのは無いのであろう。私も退職後15年余、目の前のことに追われて一日を終わる。40年も在職した会社の事も忘れかけている。

 このブログも始める時には「余日録」と気取ってみたのだが、現実はそんな余裕もない。後期高齢者だが見かけだけは若いらしい。
 そういえば、やり残していることは、まだまだあるみたいだ。

[PR]
# by watari41 | 2016-09-10 17:31 | Comments(0)

統計の異常

 ゼロ歳から100歳までの百人がいると、平均して年間に1人が亡くなる。
 日本人の年間死者数は130万人、人口が1億2千6百万なので統計的に合致した数字である。
 我が町の人口は3万人、年間に300人が亡くなる。統計とは母数が大きくなると大概にして合ってくるものだ。

 何故、こんな数字を考えたのかというと、私が管轄する町内会の人口が約400人なので、年間に4名が亡くなってもおかしくはないのだが、私が町内会長(田舎では行政区長)に就いてから1年半であるが、この間は死者ゼロで過ごしてきている。何とも有り難いことである。ちなみに、過去20年ほどを遡って調べたら、平均しては年間に死者4名であるから、統計上はおかしくない。最大で年間8名という年があった。だがゼロという年はなかったのである。

 年令構成が、若い人に偏った地域などでは、死者が出ないことは珍しくないが、私の地域では満遍なく分布している。日本全体と同様に高齢者の部分が膨らんでいる。

 我が町の敬老会式典は、今年は9月17日に開催される。高齢者人数が多すぎるので、77歳、88歳、99歳の節目になった方々にのみ、招待状が出され体育館にお呼ばれする。
 私の管轄する町内会では9名の方々が相当し、役場からの招待状を手渡した。

 節目から節目までは11年ある。皆さん次回の招待まで長生きをしてほしいものだ。
 町内会も死亡ゼロが2年間続けば、統計上は99%有り得ないことが起きたことになる。3年も続けば奇跡だとなろう。そんなことを願っている。
 科学の発達していない時代なら、それこそ教祖様に祭り上げられてもおかしくない。




[PR]
# by watari41 | 2016-09-04 15:39 | Comments(0)

(続々)戦後71年

 アメリカのバイデン副大統領が「日本国憲法は我々が書いた」というような発言をした。
 トランプさんへの批判演説中に出た言葉であるが問題化した。
 だが今や、そんなことは言われなくても日本人なら誰でも承知している。

 当時のマッカーサーも、日本が独立したら直ぐにでも改定するだろうと考えていたのである。まさかこんな長期間に渡り持ちこたえるなんて、それこそ想定外のことであったろう。

 その原点は、マッカーサーの日本教育改革にあったと考えている。予期せざる効果を得てしまったのである。時の首相、吉田茂さんさえもすっかりマッカーサー信奉者となってしまっていたので、昭和26年の平和条約締結時も、そんな考えは全くなかったにちがいない。

 その後に憲法改正を阻止し続けた政治勢力は、日本社会党等で常に三分の一以上の議席を確保していた。戦後に教育を受けた世代が有権者になっていた。

 そのような政治状況のなかで、日本はあたかも未だアメリカの占領下にあるかの如き状態が続いて現在に至ったことも確かである。そんなこんなのうちに自民党などもいつのまにか4分の3を超えた。
 しからば、新しい憲法を持てるかということになるが、事はそう簡単にはいかない。
 戦後の長い期間の間に、アメリカの世界戦略の一環としてすっかり組み込まれてしまっているので、ジタバタしたところで何ともならないからである。同様な境遇の韓国大統領が中国に擦り寄ってみたが、どうなるものではないことがわかった。

 日本人の戦争に対する考え方は極端にちがう。実際に第一線で戦った人、目の前で戦友を亡くした人、家族を亡くした人、空襲を経験した人など悲惨な目にあった人は当然ながら2度と戦争をしてはならないという信念を抱いている。
 これに対して、政治家や軍の幹部などは必ずしもそうではない。日本を再度強国にしたい。中曽根元首相などは典型的な人だった。戦後日本への考え方が、かくも異なるのである。
 敗戦の責任を感じて、隠棲し清貧に終生したのは宮城県出身の井上成実海軍大将のみであるとされる。その一方で戦後に栄華を極めた軍人も数多い。

 検討中とされる新憲法案が国民投票で可となることは「バイデンさん」の発言などがあっても当分の間はないであろう。

[PR]
# by watari41 | 2016-08-30 15:18 | Comments(0)