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Jアラート

 8月29日、朝6時にケータイから聞きなれない音が出ていた。
北朝鮮のミサイルが、日本上空を通過した。
 
 空襲警報を思い出したお年寄りも多い。
 当時は多少屋敷の広い家では防空壕を掘っていたものである。家財道具を持ち込んでいた家も多い。我が家にも防空壕があった。効果があると思い込んでいたようだ。竹やりの訓練までしていたのであるから、民間人はそう思っていてもおかしくない。子供心にも安心感があったものだ。防空壕は結局のところ水びたしになり、家財を失った家も多い。

 ミサイルを上空で撃ち落としたとしても、破片が散らばるのは間違いない。
 平成の防空壕とはどんなものになるのだろうか。
 都会の人口密集地帯では対策の取りようもない。東京六本木の防衛庁に迎撃用のミサイルが配備されているが、これが実際に動くようでは困る。

 過去の戦争は思わぬところから起きている。弱小国が引き金になっている。貧乏国日本が戦艦ヤマトやムサシを持ち、錯覚を起こしてしまった。やれるのではないかと。

 北朝鮮も核とミサイルで渡り合えるのではないのかと、将軍様をはじめ国民の多くがそのように思い込んでいるかのようだ。

 日本の開戦には、ハルノートという歴史的に見ればアメリカの最後通牒というか、ルーズベルト大統領の巧妙な仕掛けがあった。
 現在のトランプ大統領は、アケスケに挑発表現をしている。
 冷静になれと言っても無理なのかもしれないが、水面下で誰かが妥協点を探っていることを願っている。

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by watari41 | 2017-08-30 21:03 | Comments(0)

人情を食う

 今年のNHKの終戦特集で「731部隊」と「インパール作戦」をみた。
 戦争の悲惨さを語るものとして、これまで断片的には何度も取り上げられているが、今回は総集編みたいなものだと思った。
 とんでもない人が指揮官になると、こういうことになるという見本みたいな形で牟田口さんという三個師団を率いたインパール最高司令官がいた。その一言一句をメモとして残していた方がいてまだ存命だったのである。しかし、メモはその人から出た話ではではない。本人は戦後何も語ってはいなかったようだ。戦場で倒れた時にメモ帳が離れ、誰かに拾われて現在に残ったのであろう。超高齢となり老人施設にいた当のメモした本人が驚いていた。あまりに悲惨なことは、なにも話したくはないというのが人間である。
 戦場に行ったにも係わらず家族には何も話さないまま亡くなったという軍人は数多い。

 たまたま、今年のお盆に曹洞宗の坊さんから「人間は人情を食べる生き物である」という話を聞いたところだったので、奇妙な一致に驚いた。
 牟田口さんは、当時の軍上層部の人情を食べてしまい、あげくには何万人も戦死させてしまっている。
 もともと「大本営」には、インドに侵攻するインパール作戦というのは存在しなかったそうである。無謀だと唱えた部下である3人の師団長を臆病者として取り換えた。
 作戦を上申した稟議書が残っている。有り得ない作戦としていた、大本営作戦課長も最後には印を押している。
 敵軍の砦を落とすには、自軍に何千人かの死者が必要だと言っているのだから驚くしかない。戦争の実態はそんなものだと言ってしまえばそれまでだが、今も生きている老人は、過酷な戦場でも将官クラスになると生き残る人は多いのだとか。
 牟田口さんも戦後ずっと生きていた。自分の作戦に拘りがあったのだろう。英軍に自分の作戦を評価した人の本を終生持ち続けた。
 「731部隊」幹部も帝国大学医学部教授などと人情を食い合っていた。

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by watari41 | 2017-08-20 21:09 | Comments(0)

戦後72年

 戦後のことは、もはや一つ歴史といっていいくらいに十分に長い時である。保坂さんという現代史の研究家がテレビで話していたのを聞いてなるほどと思いながら下記のことを考えてみた。

 1917年にロシア革命があり、「ソ連」という国家が存在したが、1989年に崩壊した。
 すなわち72年間存在した。米国に並ぶ軍事国家を築いたが20世紀最大の歴史的実験とも言われた。しかし、ものの見事に失敗した。

 日本の戦後72年は、時間の長さでは同等になった。これを失敗国家だったとする意見はないであろう。
 明治維新後(1868年)から1945年までは77年間であったが、悲惨な敗戦を迎え結果的には失敗であった。1941年の開戦直前には日本は強大な軍事力を持つに至り、これを崩壊させるために、ルーズベルト大統領の策略に引っかかったという説が有力になりつつある。

 敗戦直後は、マッカーサー元帥主導による徹底した民主化が行われ、現在の憲法が出来上がるに至る。
 究極的には、日本人をキリスト教徒に改宗させ、平和国家にしようとする考えがあったとされる、そのためには天皇をキリスト者にしようと計画したようだが、抵抗にあいそれは思うようにならなかった。それなら皇太子をアメリカ留学させようとしたが、これも挫折し、バイニング夫人を家庭教師としたことは知られているとおりである。

 終戦後の日本はマッカーサーに大いに感謝し、離任後にはその神社を建設しようとする動きがあったとするのだから面白い。

 だが今や戦前を懐かしむ人たちが多いのも事実である。戦後生まれの籠池夫妻が、教育勅語を主体とする小学校開設の直前まで行ったのである。

 戦前、戦後の単純な比較が難しいのは事実だが、一つの歴史が出来たことは事実なのである。

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by watari41 | 2017-08-12 21:42 | Comments(0)

原爆投下

 昭和20年8月6、9日の広島・長崎への原爆投下はトルーマン大統領が決定したのだが、余りの惨劇状況に、この投下は正当なものだったとする理由をアメリカ政府は必死になって考えたのである。

 すなわち、本土上陸作戦を展開したなら莫大な損害を生じるので、日本の終戦決定を早めるのに役立ったとする「後付け」の理由をつけた。
 だが、日本は8月6日の時点で完全に死体であった。原爆に関わらず15日の終戦は決定的だったのである。米軍の本格的な上陸陸作戦などは、9月であり計画段階に過ぎなかった。

 敗戦後に、爆心地や周辺被災地を視察した米軍の報告はトルーマン大統領を震え上がらせた。アメリカは非人道国家との汚名を浴びてしまう。

 原爆は正当なものだったとするアメリカ国内での必死の宣伝工作がはじまり、これには多くのアメリカ人の同調を得て成功している。
 しかし大統領には深い後悔の念があったに違いないとされる。2度と原爆は使用すべきでないと。

 昭和26年に朝鮮戦争が中国義勇軍と称する人民軍も参戦して膠着状態に陥った際に、総司令官のマッカーサー元帥は、北朝鮮と中国に合計26個の原爆を投下して一挙に決着をつけようとする作戦を立案して、トルーマン大統領の承認を得るべく提出した。
 しかし許可しなかった。マッカーサーを逆に解任した。シビリアンコントロールだとされるが、広島・長崎のことがなかったら、トルーマンの決断はわからなかった。
 朝鮮が最初の戦争での使用だとなれば、使っていたのかもしれない。

 大統領の原爆中止の正式な見解は、ソ連も介入しての第三次世界大戦を引き起こしかねないとするものだった。
 当時の金日成主席は、ソ連が擁立したもので武力による統一を夢見ていたのである。朝鮮半島を舞台にアメリカと戦っていたという認識が強かったのであろう。
 しかし38度線をもって休戦し今に至っている。

 孫の金正恩主席は、祖父の思いを引き継いで、武力でアメリカと並び朝鮮半島を北朝鮮主導で統一させてくれと言っているかのようだ。
 韓国の文大統領の朝鮮同士の話し合い路線というのは、結局のところは武力に勝るものがリードすることになる。金大中さんも盧泰愚さんも失敗した。

 恐ろしいのは、若い金正恩主席が原爆の本当の怖さを知らないことである。

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by watari41 | 2017-08-05 12:56 | Comments(0)