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立ちション

 何とも尾籠(ビロウ)な話で恐縮だが、電車の運転手がダイヤを守るためとはいえ、線路に立ちションしているところを見とがめられた。何度もやっていると言うのだから、介護用オシメが恥ずかしければ、それなりの容器を用意しておくべきなのだろう。

 今を去る50年も昔のことになるが、石巻発仙台行きの電車がなかなか発車しない。そのうちにアナウンスがあった。只今運転手が昼食中なのでしばらくお待ち下さい、というのである。乗客は唖然とした。動労が強かった時代のことである。仙台まで一時間半ほど我慢が出来ないのかという時代雰囲気だったように思う。

 立ちションが、軽犯罪の象徴みたいに言われた時代が懐かしい。小生なども入社の頃は、酔った勢いで、どこの家の塀かわからないところで、みんなでやれば怖くないみたいなことだった。酒に寛容な時代があったのだ。実際に立ちションで検挙された人はいないのではなかろうか。

 プロ野球の選手で盗塁王の歴代記録を大幅に破った福本選手だったと思う。国民栄誉賞の話が持ち上がった。本人は断った。そんなものをいただいたら、その辺で立ちションも出来なくなってしまうよというコメントが忘れられない。

 今年のイグノーベル賞は、天の橋立などで知られる「股のぞき」を研究した日本人に与えられた。学術的なものであるが、テレビでタケシさんが、昔の女性の立ちションスタイルではないのかと言ってたが、若い方々にはわからないだろう。これまた半世紀も昔のことだが、モンペ姿で農作業をしていた恥も外聞もなくなった高齢のご婦人が、モンペをヒョイトまくり上げて、裾が濡れないように上半身を折り曲げて確認しながら田畑にシャーシャーと自らの肥料をまいていたものだ。タケシさんの年代でも記憶にあるのだろう。

 人類誕生以来の生理現象に、電車の運転手ではないが高度文明社会の現代も困窮している。たまたま9月24日に我が町で高齢者医療講演会があり、参考資料として「トイレが近くて困ってませんか」という男女別での冊子が同封されていた。URLも掲載されてた。
http://www.hainyou.com/

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by watari41 | 2016-09-26 20:25 | Comments(0)

伏魔殿東京都

 何十年も前に東京都役所の奇々怪々さを評論家が表現した言葉だったが、豊洲市場移転問題で石原さんが発言したので驚いた。当事者でありその頂点に立っていた人が言うべきことではない。何と無責任な人であろうと誰しも感じたことであろう。在職中には派手なパフォーマンスを好んだ。言いたいことを言って一部の方々には評価されてもいたが、今回の問題で、豊洲の地下と同様に彼の脳内も空洞なのだとわかられてしまった。晩節を汚したようだ。

 確実なのは、今回の結果がどういうふうに転ぼうと、土建屋さんの仕事が確実に何百億円か出て来るということであろう。

 組織の中にいると、絶えずトップの動向が気にされる。石原さんも素人だとみずからおっしゃられているが、しかし空洞化の意思を持っていると認識されてしまったのだろう。それを悪用されてしまったのが今回の事件を単純化した構図なのであろう。

 私も在職中に、素人の社長が突拍子もないことを言い出すので、それは駄目なんですと言ってもきかないのである。ダメにした現物を持参してはじめて納得するのである。

 私の従兄で、30代で会社を立ち上げ苦労の末に一部上場企業にした男がいる。彼は阪神の熱烈なファンであった。会社が大きくなるにつれて、阪神ファンに鞍替えする人が多くなったと苦笑いしていたものだ。大組織となるに従い追従者がでてくる。

 明治時代にご近所の先祖で、萱場さんという当初は地元役場に勤務したが、あまりに優れた男だったので進められて東京都に転職し局長へと栄進する。それを頼って何名かの若者が東京都に就職した。その中の一人に私の親戚がいて東京に住み着いた。晩年になってから実家の葬儀で帰省した時に聞いた話では、仕事とは業者と酒を飲むことだったと言われる。仕事というほどのことはない。
 酒が飲めたから、東京都役所での仕事も勤まったんですよとおっしゃる。
 伏魔殿と言われはじめた頃である。

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by watari41 | 2016-09-18 11:57 | Comments(1)

死ぬ力

 「生きる力」とか「悩む力」はあっても「死ぬ力」の本は無いのだと思っていた。念の為に検索してみたらあったので驚いた。
 今年の2月に発刊されている。著者は私と同じ年代の方である。講談社の編集者から頼まれて書いたのだという。まだ読んではいないが、今や「余生」というのがないと言われる。
 大半の人が、退職後も元気で長生きしている。超高齢化で、第二、第三の人生を送っている。昔は余生と称して趣味などに打ち込み10年ほどで亡くなる方が多かった。
 今や死ぬまで生き抜くことが要求される時代である。
 当然ながら、そんな長寿社会がくることは昔からわかっていたらしく、生涯学習だとか、若い人には変化に対応できる生き方などが盛んに唱えられたことを思い出す。

 面白いことに、お寺さんから「生きる力」という冊子が発行されている。私は全国に3千寺あるとされる、真言宗智山派の我が町末寺の檀家である。総本山は京都の智積院で、そこが季刊誌として発刊している。内容は仏教入門といったようなものである。
 いずれ死ぬ方々であるお客さんに、仏様とはこういうものですよと説いて、精一杯生きて下さいと言われているようなものだ。

 「死ぬ力」とは、裏を返せば「生きる力」でもある。人生に「余り」というのは無いのであろう。私も退職後15年余、目の前のことに追われて一日を終わる。40年も在職した会社の事も忘れかけている。

 このブログも始める時には「余日録」と気取ってみたのだが、現実はそんな余裕もない。後期高齢者だが見かけだけは若いらしい。
 そういえば、やり残していることは、まだまだあるみたいだ。

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by watari41 | 2016-09-10 17:31 | Comments(0)

統計の異常

 ゼロ歳から100歳までの百人がいると、平均して年間に1人が亡くなる。
 日本人の年間死者数は130万人、人口が1億2千6百万なので統計的に合致した数字である。
 我が町の人口は3万人、年間に300人が亡くなる。統計とは母数が大きくなると大概にして合ってくるものだ。

 何故、こんな数字を考えたのかというと、私が管轄する町内会の人口が約400人なので、年間に4名が亡くなってもおかしくはないのだが、私が町内会長(田舎では行政区長)に就いてから1年半であるが、この間は死者ゼロで過ごしてきている。何とも有り難いことである。ちなみに、過去20年ほどを遡って調べたら、平均しては年間に死者4名であるから、統計上はおかしくない。最大で年間8名という年があった。だがゼロという年はなかったのである。

 年令構成が、若い人に偏った地域などでは、死者が出ないことは珍しくないが、私の地域では満遍なく分布している。日本全体と同様に高齢者の部分が膨らんでいる。

 我が町の敬老会式典は、今年は9月17日に開催される。高齢者人数が多すぎるので、77歳、88歳、99歳の節目になった方々にのみ、招待状が出され体育館にお呼ばれする。
 私の管轄する町内会では9名の方々が相当し、役場からの招待状を手渡した。

 節目から節目までは11年ある。皆さん次回の招待まで長生きをしてほしいものだ。
 町内会も死亡ゼロが2年間続けば、統計上は99%有り得ないことが起きたことになる。3年も続けば奇跡だとなろう。そんなことを願っている。
 科学の発達していない時代なら、それこそ教祖様に祭り上げられてもおかしくない。




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by watari41 | 2016-09-04 15:39 | Comments(0)