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民間信仰

 先日、老人会の一泊温泉旅行があった。同室になった男から聞いた話である。
 40年も前のことだと言うが、自宅の五右衛門風呂を近代的なものにしようとした。狭い屋敷に住んでいたので、風呂が隣家の塀と一体ものになっていたので、取り壊すと境界線も定かでなくなるので、いったん、そこに杭を数本打ち付けた。

 ところが、その頃より彼夫婦と子供2人の一家4名が、体調を崩して医者通いするようになったのだという。病名もはっきりせず、グズラグズラしてるうちに、知人から一度、拝(オガ)みやさんに相談したらと言われ、しかるべき拝みどころに行った。いろんなことを聞かれたのだろうが、「屋敷廻(ヤシキメグル)神」の怒りに触れたのだというご宣託を受けた。
 早速に、杭を引き抜き、塩で清め小さな神様を祀ったところ、家族の病気もいつしか退散してしまったのだという。
 彼曰く「私は、その時から神様を信じるようになりました」と、さらに私に対して神様などは信じないのでしょうが、これは事実だったのですと。
 それ以来、彼は昔の人が大切にしてきた、方角のことなども気にするようになったのですと。
 
 彼は、そんな年寄りではない。私と同年代なのである。前々からお互いに知ってはいたが、そんな話などはしたこともなかった。
 「いわしの頭も信心から」などと言われる如く、科学的におかしなこともあるが、とにかく彼と家族は救われたのである。
 大昔から神様は五萬といるのだとされるが、それぞれにご利益(ゴリリャク)があったのだろう。

 だが、神前の雨水で目をこすると、トラコーマーが良くなると言われて、その結果は、黴菌で一層悪化してしまったなどの話も子供の頃にはよくあったものだ。

 現代社会にも、拝み屋さんはかなり存在する。繁盛しているところもある。私はストレス社会の影響が大きいのだと考えている。

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by watari41 | 2016-06-27 16:54 | Comments(0)

あの世

 私は年齢の割には、結構忙しい方であるが、さらに3倍も忙しかった男が、先日突然朝に起きてくることがなくあの世へと向かった。享年72歳。4才下だった。その日の昼に打ち合わせをしていたのだから驚いてしまった。心筋梗塞という検視結果である。

 男の日常は、朝4時に起きてパソコンに向かい、日中はいろんな方々の耕作を放棄した畑などの世話をするかたわら、各種役職を多数引き受けていたのである。
 普通のサラリーマンだったが、農作業を否わなかった。頭の回転も大変に良かった。文字通り惜しまれた人であり、良い人だったのである。
 とにかく付き合いの広い男だった。それなりにストレスもあったのだろう。
 おっち、こっちと顔を立てなければならないところが多いんです、と言っていたことがある。

 何の苦しみもなく、旅立ったのだから、こんな良いことはないという人もいるが、本人にとっては、次の朝が来るはずと思っていたのだから残念だったと思う。

 夜、眠りについたまま何もわからないのだから、結局「あの世」というのは、何もないのだろうという結論に達するしかない。眠りから死への途中に苦しみがあったのだろうが、本人にとっては夢の中での苦しみみたいなもので、普通は夢から覚めて恐ろしかったとなるが、覚めなかったということであろうと思っている。

 男とは、退職後の付き合いである。私も名目上農業関連の役職を5つほど引き受けているが、彼は実質を伴っていた。
 私の役職とはご参考までに①農協総代②農協地域副実行組合長③農業共済部長④稲作損害評価委員、当職みたいにもうひとつあったが忘れている。いずれも実質を伴うものではない、名目上の農家になっているので、引き受けているのである。

 私は、どちらかといえば病気となり、死をまじかに見てみた派なのである。
 だが、明朝、確実に目を覚ますという保証はどこにもない年齢となった。


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by watari41 | 2016-06-15 17:36 | Comments(0)

余話:利息でござる

 かつての同僚に、吉岡町の出身で今は仙台に住む男がいる。もう映画は見ましたかという催促の電話をもらった。彼は故郷の七ツ森と言う日本最小の山脈に限りない郷愁を抱いている。映画の冒頭に、その吉岡地域を代表する風景として、七つの山なみが映し出された。もちろん実際のロケは、山形県にある時代劇セットが使われている。

 その吉岡町に無私の人がいたというのは、極めて特殊な例かというとそうではないような気がしている。全国には、かなりの数のまっとうな数の善人がいたのだと思っている。

 現在でも、そんな人はたくさんいる。有名なのはタイガーマスク氏であろう。それに倣おうとする人も多い。今次震災では名前を出さないことを条件に2億円を寄付された方もいた。
 わが町にも、小さな事業に成功した人が、お寺さんに百万円を持参した。どのようにお名前を書きだしましょうかと問われ、名前をだすなら寄付にならないと断ったそうだ。

 話を昔に戻すと江戸時代に一般町人の心得として、読み・書き・そろばんの他に、「四書五経」を学ぶということがあった。学習するというのは実践してこそ意味がある。戦前には、教育勅語で徳目の他に闘うことを教えてしまったとされる。

 映画に出てくる主人公の商人たちのとりまとめ役としての「肝入」という役職が存在した。不肖、我が家の先祖もその役目を仰せつかっていた。ここは城下の町場なので名称が異なり「検断」という、いかめしい名なのであるが、仕事の内容は同様なものである。その上役に「大肝入」も当町に存在していた。
 その役は世襲ではないのだが、我が家は幸いというか江戸時代を通じてその役職にあった。

 私より8代前ほど前の先祖から、幕末まで3代に渡って使用され名前が記されている「論語」の書物が残っている。百年近くページがめくられたのであろう擦り切れている。
 これを習ったからとて、すべての人がそのような価値観や倫理観を持つとは限らない。悪用する輩だって当然いたのであろう。
 しかし日本人の一般常識みたいなものだったろう。武士も同様であり、お互いに話が通じたはずだ。
 だが、今の日本社会では政治家と一般人の話が噛み合わない。

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by watari41 | 2016-06-09 12:42 | Comments(0)