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殿様・羽生さま

 名取市イオンモールのシアターに行ってきた。山崎努さんの演技力が光る映画だった。要所に登場し圧倒的な存在感を示していた。「おくりびと」の時もそうだった。彼は名優だと改めて思ったものである。何十年も前にテレビで松本清張の「けもの道」を若かった名取裕子さんと演じた濡れ場もこれまた記憶に残るものだった。

 善人というのは、ドラマになりにくいものだ。「殿、利息でござる」も演出家、脚本家共に、そんなことは百も承知の上での構成を考え抜いたのであろう。刀を抜く場面だってない。全体を通じた印象では、利息をテーマにしたものでもない。それでいてドラマになっているのは、「究極の善人」を扱ったからに他ならないと思っている。

 時代劇には、水戸黄門ではないが「悪代官」を懲らしめるなど勧善懲悪的な要素がないと、なかなか大衆受けすることはない。
 人気者を並べて、ドラマを作り客を呼ぶという手法が盛んだが、羽生選手の一瞬の出番である起用も、この映画を多くの人に見てもらいたいからの苦心の策であったのだろう。
 かつての日本には、こんな人たちがいたのである。本当の善人は自分の名前を出すことさえ嫌う。歴史上には知らない偉人がたくさんいたのだと思っている。今回の吉岡の人は、一連の出来事を記録した僧侶がいたから残ったのである。

 親鸞の「善人尚もて往生をとぐいわんやまして悪人をや」というのはその師である法然上人の言葉を解したものである。悪人よりもたちの悪い「エセ善人」がいるということであろうと小生なりの解釈をしている。
 普通の人は善人たりがたる。9割がそうであろう。そのまた大半が善人ズラしているにすぎない。かくいう小生もそんなものだ。悪人とは思われたくない。だが本当の善人だとは思ってもみていない。

 法然・親鸞は、そんな人間の本性を捉えているのだろうと考えている。
 今回の隠れた主人公である、山崎努さんの役は、守銭奴の如き演技を見事にやったのである。最後には究極の善人として役目を終えるが、子供たちもその行為を引き継いでいくのである。
 

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by watari41 | 2016-05-31 12:52 | Comments(0)

利息でござる

 マイナス金利の時代には成立しない話であるが、映画「殿利息でござる」が、大変な話題である。久々に仙台の発信なので愉快である。
 私はまだ見に行っていない。見るまでの楽しみというのもある。

 そんな関係もあるのだろうか小生のブログで、「伊達家の財政事情」というのが、映画との関係で検索すると引っかかるのかもしれない。急に来訪者が増えた。異なる話題を書いているのだが歓迎である。

 昔は、実に奇特な方がいたものである。無私の心を持った人がいたのである。命に代えても住民を救おうとしたのだから頭が下がる。大金を集めてその利息という発想も面白い。
 現代社会は、何ともセコくなってしまった。時を同じくして、宮城県県会議長や東京都知事が自宅を事務所にして家賃をポケットに入れようとしているのだから、それこそ爪ノ垢でも煎じて飲ませたいものである。

 パナマ文書もしかりである。一代で財を成した方々が全ての税金から逃れようとしている。公徳心も何もあったものではない。かつて西欧に渡った新渡戸稲造さんが、鎖国していた日本人の倫理観はどのようにして形成されたのかという問いに対して「武士道」が、キリスト教の聖書の如き役割をしていたと書いたものである。もちろんその内容は持って非なるものであるが、底流に流れる精神は同じなのであろう。
 しかし、今回の宮城県大和町吉岡の主人公は一人の町人なのである。武士道に代わる何かがあったはずである。かつて司馬遼太郎さんは、江戸時代の大衆娯楽だった浄瑠璃にその精神をみていると、著作である「菜の花の沖」の主人公である高田屋嘉兵衛を描いている。鎖国時に一人でロシアを相手に外交交渉の如きものをやっている。函館市には彼の巨大な像が立っている。

 映画での殿様役にスケートの羽生弦選手というのも愉快である。発想した方もそうだが、言われた羽生選手はもっと驚いたであろう。その父親が、演技力をつけることがスケートにも役立つだろう了承したのだからこれまたたいしたものだ。

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by watari41 | 2016-05-21 21:28 | Comments(2)

見てしまうもの

 まだ桜の頃だった。
 仙台から早めの用事を済ませて車で帰る途中のこと、ルームミラーに後続車の五十才くらいの男女が映っていた。夫婦なのかと思い何気なく見ていたら、お互いの動作が何ともギコチナイ。会話が通じていないかのようにみえる。
長年連れ添っていれば、仲がいいか悪いかは別としても、阿吽の呼吸というものがあるものだ。それがまるでない。そこで勘のにぶい小生もハハーンとうなづくものがあった。幸いに渋滞もあったので、しばらくの時間を楽しませてもらった。
 やがて、4号線と6号線の分かれ目がきたので、バイバイとなったが、向こうのお二人さんはこちらに気づく様子はまったくない。私も全く知らない人達である。忘れやすくなっているので、もはや顔の記憶などもなくなった。
 見ようとしていたわけではないのだが、偶然にも見てしまった出来事である。芸能人・有名人ならすぐにわかられることなのだろう。

 舛添東京都知事が時の人になっている。一年以上も前から続く出来事なのだから、もっと早くから騒いでいてもおかしくはない。どなたかに、見られた・知られたのである。何かを調査中の人が舛添さんのそれを見てしまったのだと思われる。
 どんないいわけも通用しない。

 恰好の話題を提供した形である。
 少し前のことになるが、舛添さんがクイズ番組に出演していた。対戦相手が芥川賞で有名になった若い作家の羽田さんである。舛添さんの印象を聞かれて、権力者という感じがしますと言われて苦笑いをしていた知事があった。クイズには舛添さんが勝った。羽田さんは、やはり権力者ですねと言って去ったのを憶えている。選挙で勝ったのだから正統な地位なのだが、いまから思えば羽田さんは、そんな臭いを感じとっていたのかもしれない。

 舛添さんの行動は周囲の誰もが見ていて知っていたのであろうが、今日まで報道されなかったのがおかしいくらいだ。誰かがつぶやけばよかったのだろうが、そんなこともなかった。
 小生の見聞は、つぶやく価値もないものだが、これだけ公然たる目がある中で、公人が何故問題とされなかったのかが不思議でならない。

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by watari41 | 2016-05-13 18:02 | Comments(0)

憲法記念日

 マッカーサーの日本占領で、最大の失策が「憲法九条」だというのだから面白い。
 後に彼は米国に帰ってから、査問委員会にかけられるが、言い逃れをしている。自分の草案には入っていないものだったが、当時の幣原首相が挿入したものだと言い張った。マッカーサー将軍ほど誇り高い米国人はいないだろうとも言われる。自分の業績に傷がつくのを極端にいやがったのである。彼の回想録は、その点で嘘があるとされる。
 占領当初は、日本が2度と戦う事がないようにと、徹底的な弱体化政策をとった。

 最初に、その矛盾が現れたのが朝鮮戦争である。日本人を戦いに参加させたかったができなかった。やむなく吉田首相に命じて警察予備隊という自衛隊の前身を作ったのだが、憲法上当然のことながら戦うことなどはできない。戦力を持つことができないのだから、矛盾したことをやらざるを得なかったのである。戦力なき軍隊などと言われたことが記憶に残る。そのうちに自己防衛権まで否定するものではないということになった。

 マッカーサーは当初、日本人自身に斬新な独自の憲法を作らせようとした。しかし政府首脳部にいた人たちは、明治憲法の天皇主権の概念から抜け出すことなどは到底できるはずがなく、占領指令部が納得するものではなかった。近衛元首相は違った考えを持っているのではと期待されたが、そうではなくて裁判にかけるとされ自殺した。

 マッカーサー元帥の権力は、日本のあらゆることを支配して当時は史上最大のものとされた。かのローマ皇帝を凌ぐとさえいわれたのである。吉田首相などは、就任時に親愛なる元帥様、私が首相になることを許可いただけますでしょうかという伺いまで立てている。

 従って、占領軍から新憲法を示された時には、いちもにもなかったのである。政府首脳はこの憲法を受ける事は、天皇を裁判にかけないこととの交換条件だと認識したようだ。

 しかし、日本人は一度決まったことを守る事にかけては優れた民族でもある。江戸時代だって250年の平和を保った。憲法もせめて100年くらいはと思っている。
 (参考:「国破れてマッカーサー」西鋭夫著)

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by watari41 | 2016-05-04 14:33 | Comments(0)