<   2016年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 20年ほど前のことだった。
 仙台の自然史博物館に人体の血管標本の特別展があった。3名の初老男子標本である。
 名前の記載もあった。中国人ではなかったかと思う。死に際して標本となることを納得した人物のものであるという。
 顔そのものは生前の姿であったが、全身の臓物が抜き取られ、心臓と血管のみを残したものである。細かいところまで見事に再現してある。標本は立ち姿であった。皮膚の部分は透明化され、網の目の如き動脈は赤く、静脈は青だった。
 実際の人間であるから、長く見ていると気持ちが悪くなるようだった。
 人間の血管の全長は10万kmにも達するというのだから驚くしかない。もちろん、その95%は毛細血管が占める。

 大動脈の断面構造は3層で守られている。細動脈は2層、毛細血管は内膜のみの一層で内皮細胞そのものとされる。その内側血管の血流に接する内皮表面にグリコカリックスと呼ばれるものの存在は知られていたが、電子顕微鏡によって、その姿が撮影された。北里大学の東条さんという先生である。繊毛の如き誠に細かいものであるが、重要な役目をもっているようだ。
 太い冠動脈にももちろん存在し、これが欠落すると血流は内膜の表面で乱流となり、内膜が損傷し、3層の壁内に血液が侵入して解離性大動脈りゅうの原因になるとも考えられる。

 こんな話を聞いたのは、先日の講演会で、長寿で名高い長野県の上田市を拠点に全国的な栄養士活動をされている中村さんという女史でる。震災前にも人間の食物にかんする栄養上の講義を受けたことがある。

 健診では、血液検査がなされるが、これは食習慣の結果の表示であるとともに、これからは血管の状態もどういうことになっているかの情報も解析対象になってゆのだろう。
 大阪駅前で大事故となった、運転者の解離性動脈も何らかの予兆が見つかる時代がくるのであろう。
 栄養と病気、血管の状況など多面的なつながりが研究されることだろう。
 人に話を理解してもらい、印象に残るようにするのは、なかなか難しい。中村女史はその目標に向かって努力されている。数年前に比べると著しくわかりやすく、魅力的な話をしていただけたものと思っている。

 

[PR]
by watari41 | 2016-02-27 23:13 | Comments(0)

ミクロとマクロ

 灯油の価格がどんどん下がっている。我々にとっては想わぬ僥倖である。昨年の半値に近い。ガソリンも下がり、恩恵を受けている日本人は何千万人もいるはずだ。

 しかし、日本経済なかんずく世界経済にとっては、きわめてまずいことだとされる。
 個人の利益と国家なり企業の利益とが、相反しているのが現在の状況なのである。かつては全体(マクロ)がよくなれば個人(ミクロ)も良くなるものとされてきた。高度経済成長時代にはそんなことが、実現できていたような気がしている。
 そんなことが現在でも通用するという前提で、アベノミクスも策定されているようだ。全体をまず良くしましょう。そうすれば個人にも恩恵が回ってくるはずですと。
 だが、現実の社会情勢を分析すれば、石油の例を持ち出すまでもなく、かつての時代とは大きく様変わりをしてしまったのである。
 そんなことを筆者などが言うまでも無く、政府首脳をはじめ誰だってわかっていたはずなのだが、どうして現在の混乱ともいうべき状況を止められないのだろう。

 我々は物価が下がる事は、すべからく良いことだと思っている。それはミクロ的な考えでしかないと言われているのだ。マクロ経済的には、物価上昇率が2%でないとダメとされる。そうでないと日本経済が成り立たないとされる。

 どの辺りから、ミクロとマクロが合致しないようになったのだろうか。おそらくはバブル時代が分岐点だったのだろう。それまでは誰もが将来への希望を持っていた。だが、これは極めて稀な時期だったのかもしれない。

 人類の歴史をみれば、ミクロとマクロの合致などは有り得なかったと言えるのだろう。
 戦前は特にそんな時代だった。国威発揚が優先された、その国民がそんなに貧しいとはと驚かれたらしい。現代の北朝鮮如きである。
 今も国民の5%程度の人に富が集中しているとされる。いつの時代、どんな体制でもそんなパーセンテージだったのだと思う。見果てぬ夢をみながら、高度成長という今になると良き時代を懐かしんでいるのである。

 

[PR]
by watari41 | 2016-02-18 18:42 | Comments(0)

古事記のこと(終)

 高天原(たかまがはら)は、80歳以上の方々にとっては懐かしい言葉であると思う、
 古事記の原点でもある。
 江戸時代から研究されていた。その所在地の候補は全国各地にまたがる。宮崎県が最も有名であるのは誰でもが知っている。茨城県がこれまた有力な候補地であることを、江戸の学者である新井白石が唱えた。当時は、まるで邪馬台国論争の如きものがあったのだと考えられる。
 現代に至ると、神話上の話を取り上げる事、そもそもがナンセンスだというのが有力になっている。
 しかし、トロイの神話の実在を信じたシュリーマンが、そこを発掘して世紀の大発見をしたこともあり、一概に日本神話も否定するのは当たらない。
 我々時代の戦後教科書にも、江戸時代に本居宣長が古事記を本格的に研究したと記されている。現代古事記研究の出発点にもなっている。

 天皇を神格化し、その権威を高めるために、戦前には神話も史実も取り混ぜて教えられた。
 高天原におわした八百万の神々の頂点に立つ天照大神の5代目子孫が神武天皇であり、従ってその皇孫たる天皇は神の子であると広く信じ込まされた。
 そのために古事記はきわめて都合よく出来ていたのである。
 敗戦後に天皇は、人間宣言をされ人々は、そういうものから開放されたのである。
 おおかたの人にとっては、そんなことは百も承知のはずなのだが、その権威には誰もさからう事などできず、うまく利用されたのである。
 戦後の日本占領にマッカーサー元帥が最も腐心したのが、天皇の権威を如何に無力化するかということだったとされる。終戦直後の歴代内閣が、それでも日本の元首が天皇であることを疑っていなかったからである。吉田茂さんにしてしかりである。臣茂と言ってはばからなかった。英国駐在などが長く、当時は最も進歩的日本人だったはずである。

 そんなこともあり、古事記に記されている沢山の神々が消え去ったわけではない。古い神社は古事記にあるいずれかの神を祭神としている。我が町の延喜式神社などは3神の名前が書いてある。長い伝統が消え去ることなどはない。
 

[PR]
by watari41 | 2016-02-11 17:06 | Comments(0)

古事記のこと(3)

 伊勢神宮の「ご神体」は、三種の神器のひとつ「鏡」である。
 20年毎の式年遷宮で、この鏡も移される。ご神体のなくなった建物は取り壊され、一見して更地になったかの如く見えるのである。
 しかしながら、ご神体の鏡が置かれる柱は、その位置が固定され、地中の定点に据え付けられる。考えてみれば、そうでなければおかしいのだ。

 神代の昔から、柱は極めて重要なものだ。現代でも諏訪神社の「御柱祭」が有名だ。何故なのか人間は柱に夢中になる。
 柱は天空への象徴でもある。出雲大社では48mの神殿が実存した。
 3500年前の縄文時代末期の三内丸山遺跡では、高さ20mに達しただろうという柱の根本部分が発掘された。使用目的が不明だということで、上部に屋根はかけられず、ぽつねんと6本の柱が復元されている。物見のためだという可能性も否定しきれないが、講師の小野先生は、神殿に間違いないとおっしゃる。
 だと、するならば神様の時代は弥生時代に始まると考えていたが、さらに1500年も遡ることになる。

 新興宗教という域を過ぎているのだろうが、天理教でも教祖の後継ぎを「真柱」と呼んでいる。今や危機にある電機メーカーのシャープも天理に、主力工場や研究所があった時代に出張した記憶がある。
 個人の家でも床柱には特にこだわる一家の大黒柱という表現もあったが、今や家族全員が働く時代である。
 今の住宅は、構造上のポイントが柱ではなく壁でもたせる建築方式である。
 五重塔は中心の柱で支えている。
 住宅も消耗品となっている現代社会は、柱とは縁が遠くなってしまったが。我々の心中には存在している。それが古事記のこころでもあるのだろう。
[PR]
by watari41 | 2016-02-06 21:40 | Comments(0)