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不思議な事故

 暑さの為(今日の仙台35.1℃)、ということではないがブログ更新が滞りがちである。
 調布で墜落した軽飛行機も、こんな暑さだからジュラルミン機体が直射日光を浴びて、中の温度はいかばかりなのだろう。エンジンの計器類がおかしくなっても不思議ではない。

 我が町で7月のはじめ頃だったと思うが、熱中症で死亡した87歳の老女がいた。ローカルニュースでは大きく取り上げられた。震災後は防潮林も薄くなり海風も入ってくるので熱帯夜になるなどということはまずない。おかしいというか、不思議なことだと思っていた。
 噂に聞いたところでは、コタツに入って寝ていたのだという。その老女は家族とは別棟で自活していた。従って認知症などと言う事ではない。家族が見に行ったところ変事に気が付いたというのである。その頃はまだ夜から朝にかけては冷えるので、日常的にコタツを常用していてたのであろうか。
 家庭の事情もあるだろうから、メディアでもそこまでは突っ込みにくい。医師の見立てでは死亡した原因は熱中症ということで、時節柄誰にも納得しやすいが、同じ町に住むものとしては不思議なこととして捉えていたのである。

 今年度(2015年)に入ってから、もう一つの不思議があった。これまたローカルニュースで、焼死した人がいたと流れた。誰も消防車のサイレンを聞いていない。何故ということになった。
真夜中の出来事である。住宅地で隣の人が煙に気が付いて119番した。時間のことも考えてサイレンを鳴らさなかったのだろう。現場に来て見たら、炎は上がっていない。水をかけるような状態でもなかので、そのまま中に入ったら人が死んでいたというのである。
 現場の状況としは、出火して一旦炎は上がったが新建材は燃えにくいので、有毒なガスのみを出して鎮火してしまい、煙だけが出ていたということだ。
 本人は熟睡中だったのだろう、永遠の眠りについてしまった。岩手県から震災復興の出稼ぎにきていた方だった。借家群のひとつに住んでいた。家族と連絡をとろうとしたが、誰もいなかったという真夏の夜のミステリーみたいなこともあった。

 今夏は怪談話のひとつも聞きたくなるような暑さに耐えている。史上空前という気温をまた聞かれそうだ。昔を回想するとカヤに入っていた。扇風機もなかった。ウチワを持って寝ていたのである。

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by watari41 | 2015-07-27 22:13 | Comments(0)

印鑑の文化

 ハンコである。世界を見渡しても、これほど印鑑に拘る民族はないであろう。
 子供の頃は、こんな形式的なものは早晩廃れるであろうと思っていたのであるが、あにはからんや、ハンコの重要性は今もって極めて高いのである。

 実印から三文判、シャチハタ判まで、実に多種多様である。銀行印も欠かせない。通帳が異なる毎に印鑑を変えた方が良いなどと言われて、多くのハンコを作ってみたが、どれがどれだかわからなくなり、結局は現代の暗証番号みたいに統一してしまったのである。

 どうせハンコを作るなら「開運印鑑」がよいなどと言われ、高いハンコを作ったこともある。
 メクラ判などと言われるものもある。とにかくハンコをおしまくるのが好きなのである。最近ではシャチハタでない印鑑で捺印して下さいという文書も増えてきた。

 何故、サインだけでは駄目なのか、最も大きな要因は「御名御璽」にあるのだろう。
 天皇が自分の名前を書き、重々しく捺印するのである。それで法律などの原本文書となる。最大のご公務とされる。
 我々も契約書類などは、同様のことを行う。
 ハンコを使用する文化圏は当然ながら漢字が広まった範囲にとどまる。中国から朝鮮半島、日本、台湾である。
 しかし、日本人はなぜこれほどまでにハンコにこだわっているのか不思議義にさえおもえるのだが、私の類推するところ、その形状にあるのだろうと考えた。すなわち決められた枠からはみださないことである。外は丸、楕円、四角といろいろなハンコがあるが、いずれもその枠内でしかない。外に飛び出るのをいやがるのである。いや飛び出てはいけないとされるのが、長年にわたりつちかわれてきた日本文化の特徴であり、我々も知らずにそれを引きずっているか積極的にそれが良いとしているのである。

 開運印鑑とされるものは、文字の角が外枠に接しているものなのである。すなわち中で縮こまりすぎるのはよくなくて、決められた限度一杯までに広がりを見せるのが良いのだと勝手に解釈してみたのである。

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by watari41 | 2015-07-20 21:42 | Comments(2)

図南の翼

 仙台市青葉城跡の伊達政宗騎馬像の近くに、鳶(トビ)が羽根を広げた巨大なブロンズ像があった。両翼7m、重量5トン、明治時代に作られたもので、高さ20mの碑を台座としてその上に羽ばたいていた。
 今次の3.11大震災の揺れに耐えきれずに落ちてしまったのである。それを修復することが決まったというニュースがあった。総工費は1億円近く、別に台座を設けて固定するようだ。

 私が卒業した高校は広瀬川がうねりくる河畔にあった宮城県工業高校である。その校歌に
「図南の翼はばたきし、偉人の墳墓仰ぎつつ、国富ますべき技学ぶ、我らの責めやげに重し」という一節があった。もちろん戦前に作られたものである。富国強兵の時代だったが、「兵」の文字が無かったので、そのまま敗戦後も残されたのであろう。

 図南の翼とは、言うまでも無く震災で落ちてしまったブロンズの鳶のことである。偉人とは、これまた川の対岸にあった経が峯の政宗が眠る瑞宝殿である。

 図南の翼とは、壮大なる意図をもって事を成すというような意味で、政宗の青葉城を飾るにふさわしいものである。
 古代中国の荘子が、北海の巨大魚が鵬となって飛び立ち南を目指すということから来たものだとされる。進化論でいう恐竜が始祖鳥になったという近代の説とも比べると面白いことだ。

 私は、この「国富ますべき技」をあまり学なばなかったのかもしれない。従兄が使っていた教科書のお下がりをそのまま使えるからということだったようだ。
 むしろ社会科が得意だった。工業高校なのだから、そんな授業は殆ど無いのだが、丁度その時に県下高校一斉の社会科テストがあって、満点を得たのが宮城県に2名いて、その一人だったのである。学校は鼻が高かったにちがいない。母親が呼ばれてお褒めの言葉をいただいたということである。もう千回近いブロクなので、こんなことを何回か書いたに違いない。私の生涯唯一の自慢話と言っていいだろう。

 その後に在職した会社から、運の良いことに給料をもらいながらさらに上級の学校に行かせてもらう幸いに恵まれた。教科書や参考書などは領収書があればいくらでも買えた良き時代でもあった。
 図南の翼から、あまりにもスケールの小さい話になってしまった。




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by watari41 | 2015-07-09 20:59 | Comments(2)

全体主義

a0021554_15304765.jpg  20世紀最悪とされる「ナチズム」がドイツで何故に強大な勢力を得て戦争に突入したかが克明に書かれている。
 ヒトラーは哲学を好んだのである。
 「ニーチェ」の都合の良い部分を、都合よく解釈して思想的なバックボーンとしたのである。もちろん中途半端なものでしかないのだが、それを「ハイデガー」など現在でも超一流とされる哲学者が強力に支持して、裏づけをしてくれたのである。

 ドイツには、もともと反ユダヤ的な風潮が根強くあり、それにうまく乗ったというのである。当時の国民から熱狂的な支持を得たのである。
 反対にユダヤ人哲学者は、次々に職を追われ、戦争がはじまると共に600万人ものユダヤ人がガス室に送り込まれた。
 あと一年ほど終戦が長引けば、ヨーロッパからユダヤ人が消えたであろうと言われる。

 戦後、連合国によるニュルンベルグ裁判があり、ナチスの首脳は罪を得たが「ハイデガー」などの哲学者は、当時の社会風潮からしてやむを得なかったと弁明して罪に問われなかった。
 しかし当時の迫害された学者の書簡などからは、その哲学がナチズムの立役者であることを物語る記述がある。今尚、ドイツでのユダヤ嫌いの底流は脈々と受け継がれており、再び復活の可能性が恐れられている。
 私などは、書物でしかユダヤ人のことを知らないが、とにかく嫌われているのは事実のようである。日本人はどちらかと言えば親ユダヤ的なところがあるように思っている。

 「ハイデガー」は戦後も脚光を浴び続けて20世紀最高の哲学者と言われるまでになるのだから皮肉なことである。一方で迫害されたユダヤ哲学者は忘れ去られている。

 戦後15年ほどを経てから、ユダヤ人虐殺の実行責任者であるアイヒマンが南米に隠れているところを逮捕され裁判にかけられた。残忍な虐殺者などとは思えぬ、普通の男にしか見えない姿に世界中が驚いたものだ。

 彼は上部からの命令によって粛々と業務を遂行したに過ぎないと弁明している。
 著者は「夕べにバッハを聞き、ゲーテを読みながらも翌朝にはガス室の勤務についている」そんな、何と形容したらよいのやらわからない、たとえ話も出てきたと言っている。

 現在も反ユダヤの伏流は脈々としてあるのだと言いきっている。それをメルケルさんをはじめ歴代の首脳が押えてきているのが実態のようだ。

 著者は、イボンヌ・シェラットさん、1966年英国生まれの哲学者、日本での翻訳出版が1914年12月、出版は白水社である。

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by watari41 | 2015-07-04 17:39 | Comments(0)