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行政区長職

 東京23区とか、仙台の青葉区など大都市の区長職とは桁が3つほど異なるが、田舎町にも区長職というのがある。
 人口3万人足らずの我が町に、80人もの行政区長がいるのだから驚かれる方も多いと思う。私もその一人である。従来からあった地域の町内会長と一色単に扱われているのである。

 田舎の区長とは役場の末端行政機構であると位置づけられている。どんな仕事があるのかと言えば、広報誌の配布とかポスター貼り、ミニ税金とも言える赤い羽根募金・日赤社費・福祉協議会費・消防後援会費・・・・などの徴収と納入である。一戸当たり数百円というわずかな金額なのだが、厄介な仕事である。
 実際には、町内会費として一括徴収して、その都度役場に納入している。

 行政区長には、町の条例によって年間一人平均50万円程度の手当が支払われている。戸数割の部分もあるので100万円の方もいる。第三の就職みたいなものですねともいわれる。

 かつては地域の名誉職みたな感覚の時もあり、現在でもそんな名残りがある。手当の割には誰もやりたいと手を上げる人がいない。恐れ多いと考えているところも多少はあるのだろう。

 現在は上記の如く雑務職なのだ。20年ほど前の先輩が、町民を代表して北方領土返還決起集会があるので参加して頂きたい旨をおおせつかり、仙台までの汽車賃と日当をもらい一日を潰してきたなどという話も聞いたことがある。そんなバカ馬鹿しいこともあるんですとこぼしていたこともある。
 民間製造会社にいたものからすると想像もつかない世界だが、これからも様々なことを経験するにちがいない。

  (小生、二泊三日で関西への同窓会旅行です)

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by watari41 | 2015-03-29 16:26 | Comments(3)

戦艦「武蔵」


a0021554_14245637.png 終戦から70年、節目の年にフィリッピンの海底で戦艦武蔵が見つかった。
 発見者は、ビルゲイツと共にマイクロソフト社を立ち上げた人である。
 生きたお金を使っている。宝探しなどより、こほど歴史に貢献している。
 戦艦大和の同型改良艦であるが、それほどに知られていない。

 この武蔵について、乗組員の書いた本がある。小学校高学年以上の読み物として平易な記述がなされ、むしろ我々が読むのに適している。

 「戦艦武蔵のさいご」著者は渡辺清さん、発行所は童心社。刊行は1974年(昭和49年)今から丁度40年前のことである。著者が生きておられれば90歳であったはずだが、1981年(昭和56年)に56歳にて死去された。

 海底に没している武蔵の映像を見た、生存されている旧乗組員の方から、引き上げることなく、そのまま眠らせてほしいとの発言があった。
 どんなことかというのが、この本を読んでみるとよくわかるのである。
 米航空部隊との戦闘による負傷者が、数百名もいて、それらの方々と共に武蔵は沈んだのである。艦長の沈没に対する判断が遅れてしまい、本来なら駆逐艦を横付けして救えるはずだった、これらの負傷者を見殺しにしてしまったのである。
 「総員退去せよ」という命令の出されたのが、沈没のわずか20分程度前でしかない。これでは助からない。生存された方には、負傷者からしがみつかれた人だっているにちがいない。

 著者である渡辺さんは、15才で海軍に志願し17才で武蔵の乗組員となり、19才の時に撃沈を経験したことになる。機銃射撃を担当していたが、米軍機にさっぱり当たらない、当たっても落ちないと書いてある。
 逆に撃たれて内臓が飛び出した人、甲板が血で滑って歩けない状況など、凄惨きわまりない艦内の様子が克明に記されている。
 
 平穏な時の語らいで、豆腐屋さんや、小さい子供がいたが召集された。どうしても戻りたいと語っていた人が、頭を撃ち抜かれてしまったとか、涙なくして読むことができない。
 著者はあとがきで、現在は自衛艦だとか護衛艦と言っているが、戦争にしか使えない軍艦であることにはちがいない。人を殺す事にしか役立たたない。その通りである。
 戦艦は勇壮な外観に人気があるが、実際の戦闘は惨いものである。

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by watari41 | 2015-03-25 14:57 | Comments(2)

男の賞味期限

 宮城県大衡村の村長さんは満天下に醜態を晒し、6千村民が肩身の狭い思いをしただろう。
 ところがご本人は、そうは感じていないのかもしれない。
 政治家というのは不思議な人間である。
 鳩山由紀夫さんも村長さんとは全く異なる行動様式だったが、現代社会の常識を超えていた。

 立派な家柄に育つと、得てして常人とは異なる思考をするのかもしれない。
 その村長さんはカツラ頭に見えたが、男子の賞味期限ギリギリなのを自覚したのかもしれない。
 私などは、とっくの昔に過ぎてしまった。天皇陛下と同じころに前立腺ガンで全てを切り取ってしまったのである。そのお蔭で現在も生きているのかもしれないが。
 男子たる価値を失えば生きている意味はないとまでおっしゃる方だって相当数いることはたしかなことだ。村長さんもその一人なのだろう。
 今日3月21日の(msnニュース)を見てたら英国ケンブリッジ大学の調査報告で、老人の性行為は認知症になりにくいというようなレポートが載っていた。海の向こうの話だが、日本人も同様なのかもしれない。私なども「まだら状態」になりつつあるが、そんなことも関係しているかもしれない。
 村役場の女性職員も長年勤務されているのだろうから、何期もやっている村長さんは、当然のことながら昔から知ってるはずだ。何故に昨年から突然にと思いたくなる。

 村民の方々には選んだ方にも責任がと言われるかもしれないが、政策などとは違い生理現象まで判断するのは難しい。どうせ辞めるんだったら、何故早い時期にしなかったのか、これまた常識的ではない。再度立候補するようなら、もはや宇宙人と呼ぶしかないのだろう。

 男子の賞味期限なるものを、生殖活動以外に表現することは出来ないものだろうか。社会的意味のある立派なご老人はたくさんいる。「賞味期限の切れていない人間」と言うべき高齢者に奉られるべき尊称があっても良いような気がしている。




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by watari41 | 2015-03-21 16:07 | Comments(0)

納税貯蓄組合

 現代社会では、田舎町に特有な納税組合なのだろう。
 30~40年前までは、我が町でも有効に機能していた。一般住民から地方税を収納する組織なのである。50世帯くらいにー納税組合長がいた。私の地区では名物ジイサンが組合長で毎月25日になると、朝早くに納税ですとやってくる。しかし我々サラリーマンは、その日が給料日なのである。まだ現金で給料をもらってた時代だった。25日にお金などあるわけがない。家内は26日にして下さいと申し上げるのだが、そのジイサンは忘れてしまい翌月また25日にやってくる繰り返しをしていたものだ。
 完納分あるいは奨励金として、組合長に手数料が渡される。それにいくらか組合員がプラスして温泉旅行などが流行ったものである。
 よく「○○町××納税貯蓄組合ご一行様」という歓迎文字盤を見た方も多いと思う。

 やがては給料から直接天引きされるようになり、ジイサンも動けなくなり、我が町内会では組合も解散した。
 しかし町の中では納税貯蓄組合はどっこい生き残り存在していたのである。10年ほど前に町内会の懇談で、いくつかの地区が実態がないのに納税貯蓄組合を登録してあるお蔭で、世帯あたり年間2千円の奨励金が役場から交付されていて、町内会の貴重な財源になっているのだという。
 早速に、わが地域もそれを真似て書類を提出したら、簡単に認められて年間数十万円をもらうことが続いていた。しかし役場でも震災の前だったが、それはおかしいということで取りやめになった。我々は当然のことだろうと受け止めていた。

 ところが、意外や意外である。岩沼市でその制度が現在も温存されていたのである。市役所の職員も関与して継続されていた。
 発覚した原因は、おそらく事務処理を誤ったのだろう。脱会した会員に会費を催促するというヘマをやってしまい事が大きくなり、地元紙が連日大きく報道することとなった。

 事情を知らない方々は、何事かと思うだろうが、一見して馬鹿バカしい無駄なことが今なお堂々とまかり通っているのが実態である。納税意識の高揚に役だっている配布金だと説明されているが、誰もそんなことは理解していない。
 調べてみれば、こんなことはまだまだあるはずだと思っている。
 

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by watari41 | 2015-03-16 12:04 | Comments(0)

震災から4年(後)

 奥さんを目の前で奪われた同級生がいる。あの日、3月11日石巻を終の棲家を定めていた彼ら夫妻は、津波だという外での叫び声に、あわてて2階へ上りかけたが、階段の途中で、奥さんが台所のテーブルに財布を忘れたことに気が付いて下りて行った。丁度その時にドーンという窓を破って流れ込んできた音を聞いた。
 海水は2階ギリギリまできた。奥さんが上がって来ない。彼は水に潜った。しかし真っ黒で渦巻く水中には何も見えず、手探りしたがどうしようもなかった。次の朝に自宅近くで遺体が見つかった。
 奥さんは秋田の人だった。実家の法要に呼ばれていて、そのために預金をおろしていた。いつもより多くのお金がサイフにあったそうだ。彼は嘆いていた。何故、こんなことにならなければならないのかと。その数年前には30代だった息子を亡くしているのだから、やりきれない。不幸はどういうわけか、特定の人が狙い撃ちされているように感じてしまう。

 だが、幸いなことに昨年末の同級会で会った時には、すっかり立ち直っていた。石巻の家を壊して、仙台の「水の森地区」に一人暮らしだった娘さんと同居することにしたそうだ。働く娘さんに食事を用意しているというのだから見上げたものである。
 私などには、とてもそんなことは出来ない。娘に食わせてもらって何とか生きている。人間様々である。

 彼とは、小学校から高校までずっと一緒だった。卒業後石巻の製紙会社に就職したのだった。当時は父親が戦死などで母子家庭が多く、仙台の高校に通うのは容易なことではなかった。私の父も昭和19年に病死した。境遇が似ていた。

 3.11で家族を亡くしたり、それぞれの事情を抱えている方々が、新聞やテレビに登場している。震災後何年というのは、これからも続くだろうが少しづつでも明るいことが増えてくれればと願っている。
 

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by watari41 | 2015-03-10 12:05 | Comments(2)

震災から4年(前)

 M9の超巨大地震が起きてから4年、日本列島全体に何らかの異変が起きるのではないのかと心配していたが、今のところ御嶽山の水蒸気噴火と長野県にある断層地帯の地震以外に目立った動きがないのは僥倖とすべきであろう。
 869年の貞観地震では2年後に蔵王が爆発噴火している。さらに50年ほど過ぎた915年に十和田湖の火山が史上稀にみる噴火で東北一円に灰が飛んだのだから油断がならない。

 先日のNHKで、震災の未公開映像の放送を見た。震災翌日に当町の「長徳寺」で救出活動した愛知県消防本部の緊急救命隊の活躍を見た。
 私は偶然なことに、震災の少し前にそのお寺での「座禅体験会」があったので、住職やお寺をよく知っていた。須弥壇のところまでは地上3mくらいである。ローソクがよく残っていたものである。
 お寺までたどりついたおばあさんが、その日の夜に寒さで亡くなったのは残念だった。救急隊員が無念さを語っていた。燃料がなかったのである。
 
 宮城県で緊急時のガソリン備蓄基地が生き残ったのは、内陸部の自衛隊船岡のみで、あとは全て沿岸部だったので被災して使えなかったというのも衝撃だった。如何に危機の対応力が問題なのかをあらためて知ったのである。

 阪神淡路震災を教訓にして、全国に救命隊が誕生しているが、まだまだ足りないものがあった。どんな災害が起きるのかは誰にも予測がつかない。リアス式海岸ではない、ここには津波などは、有り得ないことだと私なども信じていた。ガソリン備蓄だって、そんなことを前提にしたものだったろう。
 私の家の辺りは標高が5m以下でしかない。海岸にあったらひとたまりもなかったはずだ。海岸からは6kmあったので助かっている。津波の先端は700mほどのところまで来ていた。町の浸水区域が47%というのもうなづける。

 仙台では「世界防災会議」が開かれる。数万人が参加するという単なるお祭り騒ぎにしてはならないだろう。

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by watari41 | 2015-03-05 21:00 | Comments(4)