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2014年(後)

 町内に氏神様があり。直径1mはゆうに超えるご神木もあるが、住宅地なので周囲の枝は全て切り落とされ大木なのに珍妙な姿で存在している。
 年末になるとご神木にクリスマスのデコレーションが施され、境内ではクリスマス会が催される。
 25日はそれらが外されて、今度はご神木にしめ縄が張られる。
 当たり前の風景なのではあるが、よく考えなくてもおかしな光景である。しかしご神体はすでに他の神社に合祀されているから、芯が抜けているのでかまわないという理屈でやっている。
 通常の日々には、お堂にお賽銭を入れて拝んでいる人もいる。

 夏にはこの神社のお祭りがあり神輿もでる。益々おかしな話なのだが、お祭りの主は虚空蔵様なのである。町内のお寺さんが管理している。

 かつて、ここには3つの神仏があった。赤城神社・虚空蔵様・勧学院というものである。今はその町名が無くなったが、その辺り一帯が御免町と呼ばれていたのである。それらの神仏を管理するために、商店などが税金を免ぜられていた。また神仏の前を通るので、ご免なして下さいと言いながら歩くので御免町だとも。

 夏の祭典の時には、虚空蔵様を管理しているお寺の住職がやってきて拝んでゆく。我々はこれを赤城神社のお祭りと称している。
 残存しているお堂の通称も赤城神社なのである。ただし中のご神体は虚空蔵様というからややこしい、江戸時代にはそれぞれに3つの建屋が存在したが、今は一つしかない。

 さらに現代の年末にはキリスト様までやってくる。人々はそのことを何とも思わない。のどかなものである。ここにアラーの神様がくればさすがにおかしいとはおもうのだろうが。

 
 

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by watari41 | 2014-12-29 12:07 | Comments(2)

2014年(前)

 一年が何とも長く感じている。ようやく今年も終わる。生きているのが大変なのだろうと我ながら思っている。

 今年の私事では車の大事故を起こした。危険ドラックを飲んだかのような運転だった。免許証返上の年齢に近いのだろうが、車がないと田舎では何かと不便である。軽自動車にしたらとにかくラクチンである。何でもっと早く切り替えなかったのだろうかと。

 師走の仙台まで出かけてきた。前を走っている車が秋田Noで88-88という軽だった。これは縁起の良いことだと思いながら、信号でルームミラーを見ると、後続の車が中年の夫婦なのかと思ったが、どうもお互いに動作がギコチナイ、次の交差点停車でも同様の様態で、これはそういうことかハハーンと感づいたが、いつのまにか見えなくなってしまった。ドラマだけではない。演技者ではない生身の人間とはそういうことであろう。

 一年前のことも遥か昔の出来事みたいな感じだ。脳回路の適応性が鈍くなってきているのだろう。老化すると感動がなくなってくると言われるが、そんなことなのだろう。

 一日、一日が決して長いわけではない。どうもこれは積算されてゆかないということなのだと解釈している。従って一年が長くなる。カレンダー上の経緯と、脳がマッチングしないからだという考えに達した。

 2014年を一文字で表すと「税」とは面白い。権力者とは、税を取り立てることが出来る人である。しかし、税を取られる人々が、そういう方々にどうぞ税金を取って下さいといわんばかりに一票を投じている。棄権するとは賛成と同義語になってしまう。
 生きている限りは納税の義務がある。だが生活に困窮すれば無税となり税金から生活保護も受けられる。だがそれは個人情報として保護される。恥ずかしいと思っている方も多い。
 権力の頂点に立った徳川家康は「人の一生は重荷を背負うが如し」と表現しているが、我々はさらに重い税金を背負っているのだろう。税をかみしめた年でもあったのだろう。




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by watari41 | 2014-12-23 17:18 | Comments(6)

選挙結果

 「独裁者がいないにもかかわらず、国民は独裁国家の如く振る舞ってしまう」
こんなフレーズを、何日か前に新聞か雑誌で読んだ。
 今回の総選挙結果はまさにそんなことである。始まる前から与党の圧倒的優勢が報道されていた。現在の仕組みでは、単純化すると30%の支持率があれば、投票率が50%しかないので、投票後の結果では60%を占めることになる。議席では三分の二を得られる。

 一方で、与野党の伯仲をの望むという人が40%もいたことをアンケート結果は示しているが、そうであれば、そういう投票行動をとればよいのだが、そんな行動をしていないので、予測通りの数字に終わってしまう。すなわち与野党伯仲というのは願望であって、だれかがそれをやってくれると思っているにすぎない。

 こういう国家状況へ陥ったのが、遥か2000年前の古代ローマにもみられた。そこでは共和制がしかれ、誰もが参加できる権利を持っていた。
 ローマ市民であることで、贅沢三昧の生活を楽しんでいたことが、当時の浴場発掘などから明らかになっている。政治的関心が次第に薄れてしまったのである。

 このままでは、国家が機能しなくなると考えたのが、世界史上最大の英雄シーザー(カエサル)である。彼はローマに帝制を敷くしかないと「賽を投げた」のである。
 古代ローマ帝国の初代皇帝はアウグスティスであるが実質的にはシーザーである。だが彼は共和制を維持すべきという一派に、腹心のブルータスもいて暗殺されてしまう。

 古代の話が現代にもそのまま通用するとも思われないが、何とも気になることである。2000年前といえば日本はまだ弥生時代である。現代日本は高度な生活環境にあるが、世界を見渡せば、後進国家は大変に多い。
 生活が高度化すると、政治的関心を失うのは今も昔も同様のようだが、独裁国家への道はまずいことだ。

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by watari41 | 2014-12-15 11:29 | Comments(0)

義理と人情

 「義理がすたれりゃこの世は闇だ」
 古き時代に郷愁を感じる我々世代にとっては、何とも懐かしい文句である。
 高倉健さんと菅原文太さんの相次ぐ訃報は、こんな時代に一区切りしたことを納得させるものだ。お二人の俳優は良き時代に恵まれて活躍した。網走番外地、実際の刑務所はそんなものではないことを、そこを退職してから、偶然にも我が町に竟の住屋を求めた同年代の方から聞いたことがある。我々には映画に酔いしれる下地があった。
 任侠映画が終わってからも、お二人の演技力は大スターであることを証明していた。

 12月8日の真珠湾奇襲攻撃から73年となる。私はその前に生まれているので、一応は戦前派ということになる。開戦後にアメリカでは日本人の精神構造の分析が行われた。その一員であるルース・ベネディクトさんは「菊と刀」の著作があり、見事に「義理」の考え方など日本人を解剖している。現在の日本人も同様かといえば疑問がある。しかし私などの世代までは十分に理解できるし、そんな行動様式をとっていた。
 先日のテレビ、歴史秘話ヒストリアで日本軍からハワイにスパイとして送り込まれた人の実話があった。驚いたのは終戦後にアメリカから聞き取り調査をしたということに、本人の当時上司だった課長が、日本の為に真実を話さないでほしいと懇願していることである。
 無条件降伏をした後でも、実践に加わっていない、いわゆる現場を知らない人というのは、そういうことを平気で言うものだと思った次第である。人情に訴えたのである。
 本人は、そんな要請を無視して、本当のことを語ったのは幸いだった。

 文太さんは、宮城県の出身であり「ささにしき」の宣伝を買って出た。
 味のある方々だった。同県人ということもあり、親しみを抱いていた。
 後半生は、俳優はもちろんだが、農業とはどういうものかを自ら実践し、人権擁護活動家でもあった。現状を憂いていた人だった。東北人の立場に立った物言いをしていた。惜しい方であった。
 日本は、すでに闇夜の世界に突入したのかもしれない。


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by watari41 | 2014-12-07 16:55 | Comments(0)