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成長戦略

 上杉鷹山が、偉人としてケネディ元大統領などに尊敬されたのは、単に倹約を奨励して莫大な借金を返済したのみならず、確かな成長戦略を持って、米沢藩を軌道に乗せたからに他ならない。
 主に養蚕と織物である。米沢織として有名になった。女子を活用し仕事を与え、豊かな藩へと歩むことになった。現代でいう優れたコンサルタントがいたに違いないが、それを採用・実行した鷹山が偉かった。良いスタッフにも恵まれた。
 「漆の実のみのる国」を書いた山形県出身の藤沢周平さん、あるいは童門冬二さんが鷹山の生涯を描いている。
 17歳で貧乏藩の養子となり、35歳で隠居するまでの18年間で偉業を成し遂げている。
 上杉謙信以来の名門である誇り高い上級武士を説得して、藩の路線変更をしたのであるからたいしたものである。
 米沢藩の成功は、後に幕府の松平定信による「寛政の改革」のヒントになるのだが、これは倹約の奨励のみで、失敗に終わったのである。

 アベノミクスも女性の活用による成長戦略までは、鷹山にならったものだろうと推定した。ところが成長とは絵に描いた餅に過ぎなかった。中味が全くなかった。コンサルタントは沢山いるのにどうしたことだろうかと思う。
 鷹山の時代と異なり、消費を奨励するのが現代である。しかし日本人は一向に動かず、消費動向はマイナスである。

 別段に良いアイディアがあるわけではない。多くの人が唱える自然エネルギーの活用も、徹底して行えばそれなりの効果は出るのだろうが、送電線の容量が一杯になってしまったというのだから話にならない。

 先日のテレビで、スペインの事情を見て驚いた。現代では技術的な後進国とのイメージが強いがとんでもない。送電線を巧みにコントロールして、すなわち風力の強い時には火力発電の出力を下げる。それも限界になると、水力発電を調整する。その分だけダムに水が貯えられる。原子力は融通がきかないから一定の発電を保つ。しかしその比率は高くない。

 日本で、それを実施するには九電力体制をまとめるしかないが、戦後からの既得権益がそれを許さない。現代社会にはいろんな足かせが多すぎる。これを外すには、それこそ膨大な政治的エネルギーを必要とする。

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by watari41 | 2014-11-29 20:48 | Comments(0)

解散

 衆議院議員ほど不安定な職業は無いのではと思える。
 前々回の総選挙で、波に乗った東北放送の天気予報士の斉藤さんが当選したが、次回は落選してしまい、一般人でしかない彼は再就職するしかなく、福島の民放局に入ったと聞いているが、私の居住区域とはテレビエリアがことなるので、その顔を見ていない。

 解散の大権は、時の首相にあるとされるが、その安倍さんが不在の時に全てが決まってしまっている。読売新聞が火付け役だとされるが、そんなことはあるまいと思っている。
 外遊の前に決定していた。その観測気球を読売が買って出たとみるのが妥当だと考えている。場合によっては解散を先送りすることだって可能なのだが、思わぬ機運が出てしまった。

 アベノミクスを問うとされるが、100兆円の大博奕を打った後である。
 日銀総裁などは、さながら大本営参謀長に見えていた。前進これあるのみという姿勢なのには驚いていた。日本経済がニッチもサッチも行かなくなっているのは誰しも肌で感じている。
 
 しかしながら経済というのはどうにもわからないことが多い。ネット論調で消費税などは不要なものだという説もある。こんなものを読むとなるほどとも思うが、我々一般人にとって無いにこしたことはない。日本の資産・預金総額が支えているので大丈夫だというのである。

 一方で日本の破産説は、円安が進行して1ドルが528円でその時を迎えるというのである。日本銀行がお札の発行を止めれば、そういうことにはならないはずだと思うが。
 現在の円安は、過剰発行された円によるものとされる。

 こんな日本の全てを決めるのが衆議院議員なのだから魅力的なはずである。政治的な野心とまで行かなくても、関心を抱いていれば失職の危険を冒す事もあえてするのだろう。

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by watari41 | 2014-11-25 11:31 | Comments(2)

ニッカウヰスキー(後)

 今にして思うと豊さの象徴みたいなものが、ウイスキーだったのだろう。
 トリスを飲んでハワイに行こう、などという文句に踊らされて酔っぱらていたものである。焼酎などは貧乏くさい、ウイスキーはハイカラだというわけである。
 しかし本物のウイスキーはどういうものかを知らないわけだから、いい気になっていたものである。その時代、スコッチはべらぼうに高かった。田中角栄首相が全盛の頃、パーティの土産に出席者全員にジョニ黒を配っていたということに驚いた。当時の価格で8千円だと記憶している。為替が安く、関税がべらぼうに高かったからであろう。

 海外出張の帰りには当然のことながら、免税店でウイスキーを3本買うのが常識とされた時代が懐かしい。シーバスリーガル、オールドパーなどが人気だった。

 ニッカの竹鶴さんは、どうしても日本で本物を作りたかったのである。サントリーでその夢はかなえられず、自分で会社を興す他はなかった。サントリーにはお世話になっているので、それを見返すなどという考えはさらさらなかったようだ。本物にあくまでこだわった人なので見事というしかない。
我ら凡人は適当なところで妥協して生きている。

 宮城県のニッカ工場も、半世紀が経過する。構内の木々の幹が黒くなっているのが印象的である。酵母菌などの影響であろうか。
 昭和60年頃だったが、偶然にもサントリー山崎工場を見る機会があった。ニッカの工場とは異なる印象を受けたのだが、気のせいなのだろうか。洗練されすぎた工場というような感じだった。

 今年のボジョレヌーボーも発売された。これまた宣伝を飲んでいるようなものだそうである。私などにはワインの判別はつかない。大方の日本人は一桁ていどの価格の差異では味の区分はできないようだ。ウイスキーはハイカラ、ワインはオシャレ。しかし今や健康志向で焼酎となるのだからアルコールの変遷を読むのは難しい。

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by watari41 | 2014-11-20 09:15 | Comments(2)

ニッカウヰスキー(前)

 「間違いだらけのウイスキー選び」という本が出たのは、1977(昭和52年)のこと、このなかで、サントリーはけちょんけちょんにやられていた。宣伝を飲まされている。イカサマウイスキーであり、ニッカこそほんもののウイスキーなのだというのである。

 この10年ほど前に、ニッカは宮城県に工場進出していた。楽天ビイキではないが、地元に来てくれたものはありがたい。ニッカ党は格段に増えた。
 この本は実態を突いていたものなのだろう。サントリーは大いに反省したようだ。

 1960年頃、北海道余市でのウイスキー製造に成功したニッカの竹鶴さんは、次なる工場適地を探して全国行脚をしていた。宮城県広瀬川支流の渓谷で、すばらしい環境を備えた、良い水と出会った。これでウイスキーを試作してみようと汲み上げあた。ところで何という名前の川だろうかと地元の人に聞いたところ「ニッカワ」だという。エッと思った竹鶴さんは改めて聞き直した。ニッカワ(新川)です。と言われて、竹鶴さんは、ここが「約束の地」だったのかと思ったそうで、これはあまりにも有名な逸話として知られ、何度も新聞・雑誌に掲載されたことがある。

 その頃、新川のさらに上流にある奥新川渓谷は我々にとって格好の野趣に富んだハイキングコースだったのである。丁度、スタート地点とコースの終点がJR仙山線の駅に近いこともあって便利なところでもあった。
 ニッカは良いところに工場を得た。

 竹鶴さんは、本場のスコットランドで学んだだけあって、品質にこだわり、本物志向の極めて強いひとだった。当初に入社したサントリーでも、新工場建設の際にスコットランドと似ている、北海道余市を強く主張したらしいのだが、会社経営上そんな遠いところでは作れないという鳥井さんの反対で実現しなかった。消費地に近い山崎の地にサントリーができた。

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by watari41 | 2014-11-14 10:39 | Comments(0)

永仁の壺(終)

 誤った鑑定をして、偽作を重要文化財に指定してしまった小山富士夫さんは善人なのである。
 何故、偽作を掴ませた唐九郎を追求しなかったのかというと、小山さんは人が良いのみならず、唐九郎の陶芸に対する並々ならぬ情熱に負けたというのもおかしいが、俺にはそんなものがあたっただろうかと自問したのであ。

 小山さんも陶芸家である。
 偽作事件で文化財保護委員会を辞した後に、一念発起して自らが陶芸の道を究めようとしたかのように陶作に没頭する。
 偶然なのか、知っていての所為なのか、小山さんは永仁2年に創建された古刹の一角に、窯を構えたこともある。事件後の小山さんは、人間が変わったかの如く、陶作のかたわら大酒を飲むようになり愉快に振る舞ったのだという。小生如き愚者にもその心境は何となく理解できるものがある。

 小山さんもまた一流の陶芸家なのだが事件が影を落としている。悪事の主役である唐九郎さんは対照的に華やかなスポットライトを浴びるようになるのだから皮肉なものだ。

 古美術界では、次のようなことが言われている。
 「本物を偽物として葬り去る罪よりも、偽物を本物としてしまう罪は軽い」と。
 従って、小山さんの罪は、そんなに重くはないんだと同情されたりもしている。陶磁器での学者生命をかけてまで、日本の古陶器を守ろうとしたと評価されてもいる。

 二人の人間関係の面白さにひかれて、くだくだと書いてしまった。お付き合いをいただいた方々には感謝いたします。

 また愚生とは同年代ながら、大作家である村松さん著作品の興味あるところのみを拝借してしまった。お許しをいただきたい。

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by watari41 | 2014-11-09 14:27 | Comments(2)

永仁の壺(4)

 (永仁)という年号は、鎌倉時代に普通にある年号に過ぎないが、これに「壺」という文字が付くと意味ありげにみえる。

 どんな年号を使ってもよかったのだろうが、永仁を選んだところに唐九郎のセンスが感じられる。おかしなことに偽作事件以来、陶芸家として世間にその声望は高まる一方であった。当時のメディアのセンセショーナルな取り上げ方があったのだろうと思う。

 私なども、その盛名に押されて「唐九郎陶芸展」を見に行ったことがあった。もちろん見てもわかるものではない。こういうものを作るのかと思った程度だった。

 先日、NHKの「ゆうどき」に作家の五木寛之さんが出演していた。親鸞の著者としても知られる。興味深いことをおっしゃっていた。結局のところ人類社会、悪人が栄華を誇ることになるんですと。以後の言葉はなかったが、私なりに解釈すると、それ故に地球上では人間が繁栄をしているんだと。(それも限界にきているが)
 五木さんは、親鸞の歎異抄にある悪人正機説を意識して言われているのだろう。悪人こそ阿弥陀様に救われなければならないと。さらに突っ込むとわけがわからなくなるから止めておく。
 私などは、仏様は殺生を禁じているのに、人間は魚をはじめ全ての生き物を殺して食べている。人類は皆なが救われなければならないとの解釈に到達したのだが、いかがなものかと思っている。
 その人間界でも、悪人と言われる者が勝ち残っていく。五木さんは、そんなことを言わんとしているのだと勝手に解釈している。一見して善人とされる人にも偽善家もおり、そんな人も得てして勝ち残っている。仏様はそんな人も見てますよと親鸞は言ってるのだ。 

 唐九郎は、こんな基準でいうと偽善家もしくは悪人なのである。彼は結局のところ現世では勝ち残った。死して阿弥陀仏に救われるという有難いことになったのだろう。
(次回はこの項の最終)

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by watari41 | 2014-11-03 21:03 | Comments(0)