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そして父になれるのか

 現代の生殖技術をもってすれば、そんなことも可能だろうとは誰しも頭では考えられるものの、実行して一挙に15人もの子供を誕生させた男がいたことには衝撃を受けた。

 一人の子供の父親になるのも大変なことだ。話題を呼んだ「映画:そして父になる」があった。15人の子供とは普通に考えたら滅茶苦茶なことである。
 さらに驚いたのは、これは犯罪行為ではないから、取締の対象にはならないとうことだった。さすがに若い当事者男子は、これはまずいことになったと行方をくらましている。

 クローン人間・人造人間などSF小説の世界だと思っていたのが、現実味を増したのが1980年代である。当然ながらキリスト教は異を唱えた。日本でも南無阿弥陀仏の浄土宗が「修羅道」に堕ちることだと批判した。仏教の考えでは六道がある。
  天道 → 人間道 → 修羅道 → 畜生道 → 餓鬼道 → 悪道
                      (道を界と表現する場合もある)

 人間道にあるまじきことで、奴隷をつくることだと非難した。当然のことだ。
 奈良の「国宝:阿修羅像」はきわめて美しい。3つの頭を持ち6本の手を持っている。修羅道に堕ちた人間を救う仏様だという。ちなみに畜生道から悪道に堕ちた人を救うのが十一面観音とか千手観音様だということだ。
 
 昔の人も現代人も、考えることや、やることはあまり変わらない。昔はその救われ方を教えている。現代社会はこれに「刑法」をもって対処している。極悪人には死刑をもって、殺すことだって許されている。
 「修羅道」には、まだ法律が無いのだともいえる。しかし良識ある人間は、これは良くないことだと理解している。今回の男だって、わかっていながらやっているはずだ。全ての子供の「父」になるなど不可能に近い。
 法律が対処するような問題とも異なる。現代社会は厄介な問題を抱えた。

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by watari41 | 2014-08-30 21:17 | Comments(4)

桁違い

 「白髪三千丈」、「後宮の美女三千人」など、中国人の表現には眉につばをつけて聞くような桁数の話が多い。
 だが、実際にもまた桁外れのことをやる。政府幹部による1.5兆円汚職事件は、現在進行形で、関連する逮捕者が10万人というのも我々には想像を絶する数字である。
 文化大革命での死者も一千万人以上は出たとか。これまた桁違いではないかとさえ思える。

 絶対権力は、必ず腐敗するといわれる。人間の宿命みたいなものだ。
 18世紀、清王朝の絶頂期に皇帝に取り入った高官が現在の金額で千兆円の汚職をしたと言われる話があった。

 これだけの金額があれば、日本政府の抱える借金などは帳消しになる。
 だが、まてよと考えてみた。現在の日本が借金ゼロになったら逆に経済の大混乱を引き起こすのではないのかと心配になる。専門家ではないので良くはわからないが、現状は桁違いの借金額の上で奇妙なバランスを保っているのではなかろうかと思うのである。逆恐慌のような話になるのではないかとさえ考えられる。
 多くの大企業にもそんなことがあるのだろう。金額が大きくなればなるほどにバランスをとりやすくなってくる。

 我々にはせいぜい身の丈にあった程度のことしか想像がつかない。あまりに桁数が多くなってしまうと別の単位を持ってきてしまう。天文学の「光年」だとか、テレビが映るのは、微弱な電波を桁違いに増幅しているからで専門分野では「デシベル」という単位がでてくる。

 お金のことでは、桁を下げるためにデノミが何度も検討されたが実現していない。我々がそんな桁に慣れてしまったからかもしれない。
 ミミッチィー話ではなく、気宇壮大という語が適当かどうかわからぬが、たまには桁外れのこともよいのではないのかと思いつくままに綴ってみた。
 

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by watari41 | 2014-08-25 18:01 | Comments(0)

千年に一度

 巨大津波は千年に一度といわれたが、もう一つの千年に一度が超大雨である。
 2千5百年前と1千5百年に、宮城県に地形をも変えた超豪雨があったというのがわかる地層が、多賀城近辺にあるのが判明しているそうだ。(2014.3.8亘理町での松本秀明教授の講演より)
 現在の大雨でもよく出現するが、川の上流や中流に土砂ダムができるということがある。大昔の超豪雨では、そんなのがいくつも出来て、更に降り続いた雨が、それらのダムを一挙に崩壊させて、土石流共々下流の窪地に数mも堆積したということだ。

 亘理町に河口のある日本有数の大河、阿武隈川が、この超豪雨の時に流れを変えた。今は内海となっている鳥の海がその昔は河口だったのだ。大洪水が川筋を大きく北方に変えてしまった。少し古い航空写真をみるとその跡がくっきりとわかる。

 1千5百年前というと、古墳時代が終わった頃になる。日本には、まだ文字がなく記録にとどまっていない。
 それ以降の現代までに、かような歴史的大雨は降っていない。特別のさらに上の特別警報を必要とするような雨が降る恐れは当然ながらあるのだろうと思う。
 しかし現在の気象予報は、そんな大雨は必ず予測してくれると信じている。

 だが今朝方(2014.8.20)の広島の集中豪雨の如きものは、未だ予測できず多くの犠牲者を出してしまった。
 千年に一度ともなると未知なるものがまだまだ多い。どの程度の雨だったのだろうか5千とか1万ミリも降ったのだろうか。40日間も降り続いた、ノアの方舟の大洪水も実話だとする説が強くなっている。現代のダムは数百年に一度の雨を基準といてるといわれる。

 地球上における地震の最大規模はM10に達しないことはわかっているそうだが、大雨の限界は判明していない。そんな気象条件とはどんなものなのだろうか。
 雨だけではなく、火山噴火もある。日本人が遭遇した最大の噴火だろうといわれるのが915年の十和田湖火山である。東北一円に灰が積もった。そんな山もいくつかある。その噴火からもう千年が過ぎている。
 原発にはそんなことも想定されているのだろうか。

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by watari41 | 2014-08-20 10:35 | Comments(3)

戦争が止まらない

 日本は戦争終結から69年の平和を保ってきた。
 しかし世界各地では、内戦を含め多くの戦争が起きており戦死者もおびただしい。
 起こるべくして起きた戦い。偶発的な戦闘。勘違いが起こした戦争、資源をめぐる戦い。いずれの戦争にしても悲惨きわまりないものだ。
 NHK特集のベリリュー島の戦いをみた。局地的な激戦となるとお互いに何のために戦争しているのかわからなくなってしまう。理性を失い最後には単なる憎しみと殺し合いでしかなくなる。

 経済格差・貧困・民族・宗教・資源・国家体制の差異等々。これらが戦争の原因である。
 日本での戦争責任は曖昧にされてしまったが、ある意味で歴史的必然のような思いも抱いている。日清・日露の戦争に勝って中国を蔑視するようになってしまい、満州国の設立に続いて内陸部に日本傀儡の国家を次々につくり、軍事力が膨張をつづけ中国全土を支配するかのごとき事態となってしまっては大きな戦争へと進まざるをえなくなる。最後には負けるとわかっていながら米国相手に開戦する。
 そこに至る過程で、幾度も止められる場面があったはずだが、富国強兵の国策に流されてしまう。
 
 あれだけの惨劇を経験して、立派な憲法も出来て少なくとも百年間は日本には戦死者が出ないものと思っていたこともある。だがアリの一穴の如く、徐々に崩れるが如き状態になっていることは憂うべきことである。どのようにして止めたらよいのか誰にもわからない。止めるべきことだとは大方の人に理解されている。
 民主国家には選挙というのがあり、それによって180度の転換だって可能なのである。
 選挙に勝った政権がだらしなくて、何事もなしえなかったことも経験した。

 中国・韓国の言う歴史認識ではなく、本来の事実としての日本の歴史認識をこのあたりできちんとしておかないと歯止めのきかない状態になることはまちがいない。
 偏見の無いまともな歴史を学ぶべき時がやってきている。

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by watari41 | 2014-08-16 12:43 | Comments(0)

STAPの悲劇

 現代日本人が寄ってたかってイジメ殺してしまったような感覚になっているのは筆者だけではないであろう。そんな意味で学校生徒の自殺と変わらない構図がある。

 天才として、類いまれな業績を挙げてきて、尚且つ完璧な人生を過ごしてきたことが伺える笹井さんだった。
 わずかのスキがあったのだろうと思う。それをどこまでも追求されて、逃げ場のない窮地に追い込まれてしまった。
 研究のみならず、プランナーとしての才など稀に見る多能な人材を失ったことになる。

 では、どんなスキやユルミが生じてしまったのか。我々凡人に理解できる由もないだろうが、かつて将棋の天才である中原誠25世名人がトラブッタことがある。同じような年齢の時ではなかったろうか。幸いにもまだ名人には逃げ道が残っていた。世の中に寛容さがあったのかもしれない。そのうちに忘れ去られ事なきを得ている。小生の如き愚者にも似たような経験がある。

 しかし、今回は専門分野の最先端科学が絡んでいるので、後に引くことなど到底出来なかっただろうし、最後には「STAPを疑念無く説明することは困難である」と語っている。自らのスキがあったことを認めた。退路を断ってしまった。そのスキを見せた夢もSTAP細胞にかける飽くなきものであったのだろうと考える。

 しかし、今にして冷静に省みれば、如何に先端的な研究であるとはいえ、日本中がひっくり返ってしまうほど大騒ぎするようなことであったのだろうかということである。
 天才科学者をもってしても、先端研究の勇み足があった、挫折したというような扱いが妥当だったのだろうと思う。
 私など分けの分からないものまで尻馬にのって、あたらブログなどを書いている。申し訳ないことであったが、取り返しがつかない。猛省していることしきりである。
 弁解にもならないが、大きくは現代日本人の男女間における精神構造にまで及ぶものなのかもしれないと思っている。かつてミッテラン大統領もクリントン大統領もそれがどうしましたかというようなあっさりしたものだったと思う。


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by watari41 | 2014-08-10 10:17 | Comments(4)

天国か地獄なのか

 最近の地元紙で話題になったのが、宮城県庁を定年退職した原子力行政官が、東北電力に天下って年俸600万円を得ているという記事だった。慣例化していることだという。いろんな原子力問題を突かれているが、そのなかの一つである。

 しかし、その記事から数日後、かつてそのコースを歩んだOBの一人が名乗りでたのである。その方曰く、まるで天国にいるみたいなことを書かれているが、実態は仕事が無く、すなわち何もやることがないので、毎日地獄の苦しみを味わっていたのであると。何度も辞めようとしたが、これからの後輩のことを考え、じっと耐えていたのであると。

 筆者は、同じサラリーマンとして、この地獄説にうなづけるのである。
 一週間に100時間も働く牛丼スキヤの従業員も地獄なら、何もしないでいることも人間にとっては地獄に他ならない。よくぞ我慢したものである。人生の持ち時間を売ったのである。その後に海外旅行でもしたのかどうかわからないが、つらい時間を送ったのだと思う。
 今は、そんなことも無いのだろうが、かつて配線工をやっていた知人が県庁の工事に行った時のことを語っていた。窓際に座る人たちが、何もせずじっと目を閉じているかのように動かない人が何人もいたと。
人は何らかの存在感を示したいものだ。程よい仕事にありつけるというのは、なかなか難しいことである。

 現代人は生きている間が全てという考え方である。だが昔の人は、せめて死んでから天国に行かせていただこうと、南無阿弥陀仏を唱えた。悪人もまた往生できると言われたのである。
 天国も地獄も絵空事だとされるのは、近代科学が行き渡った最近のことでしかない。
 生きている間に天国なり地獄を経験して、死を迎えると言う図式である。

 神社・仏閣に詣でるのも、これからの人生を天国化していただきたいというお願いでもある。普通の人は大抵、天国と地獄を併せもっているものだ。

 

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by watari41 | 2014-08-05 10:46 | Comments(3)