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小保方余話

 古今東西を問わず、人はスキャンダラスな話を好む。白蓮さん人気もそんなところにある。
 遠くは近松門左ェ門の「曽根崎心中」があり、白蓮さんだってもう百年も前のことだ。

 7月27日にNHK特集がSTAP細胞を取り上げていた。これまたスキャンダラスな話題として扱われているのである。だが事の真相は極く単純なことだと理解したのである。

 奥まった小保方研究室の冷凍庫に、あるはずの無いES細胞が見つかったというのである。これが今回騒動の全ての発端である。200回も再現しているのも当然のことだ。
 では、どうして入り込んだのだろうかということになる。偶然の所為にしては、話が余りにも出来過ぎている。
 小保方さんはES細胞などは有り得ないとしていたし、それが存在していたことを聞いて頭がおかしくならない方がむしろ変である。
 素人推理マニアとして、内部犯行説しか考えられないのである。もちろんご本人であるはずはない。

 小保方さんは、STAP細胞があると信じて研究しているわけだから、ついにやったと思って間違いない。理研にも事情があって、それを大々的にPRする必要があった。
そんな、今回騒動の筋書きが多くの人に見えたはずだ。NHK取材の功績であろう。しかしメールのやり取りまで公開したのはどうだろうかと思う。冒頭の部分には時候挨拶の他に、どうしても個人感情が入る。犯罪者と決まったわけではないのだから、行き過ぎたことだと思ったものである。

 実証事件が開始されているが、ゼロからのスタートであり、ものすごく難しいことであろう。失敗してもSTAP細胞が無かったとはこれまたならない。いつの時代化かに発見される可能性もある。

 ドラマならよかったのだろうが、科学の難解な世界をドラマ化してしまったことに、今となっては問題があったのだと思う。このお蔭で最先端生命科学が我々凡人にも身近なものになったような気がするのである。

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by watari41 | 2014-07-31 11:50 | Comments(2)

人工頭脳

 コンピュータの発達は予測通りというか、何もかもが人間を追い抜こうとしている。
 将棋の世界では、もはやプロと対等である。故米長名人は兄たちは才能が無かったので東大に行くしかなかったとの語録が有名だ。彼は晩年、力が落ちていたとはいえコンピュータに敗退した。
 その人工頭脳の世界で、東大プロジェクトなるものを聞いた。東大入試に合格できるレベルを目標としているそうだ。現在の実力は二流大学合格レベル程度まで進んでいるようだ。これはもはや私の脳力を超えているのかもしれない。
 不得意なのは記述式の問題らしく、それもそこそこ、こなしているというからたいしたものだ。
 私のブログ程度は数秒もあれば出来てしまうのかもしれない。恐るべし。

 コンピュータが困難とするもの、それは「美学」だという。将棋もあくまで勝負の世界なのであるが、プロ棋士はあるレベルに達すると勝敗を超えて、良い将棋なり囲碁を目指すものである。恥ずかしい将棋を指したくないということだろう。名人戦ともなると古今を通じて対局者の姿は美しいものとなる。川端康成の「名人」は囲碁におけるそれを表現している。
 負けを悟った時に、将棋では「形を作る」ということを行う。何が何でも勝たねばならぬというのは、演歌、坂田三吉の世界であるが、坂田将棋にも美学があった「銀」が泣いているとおっしゃった。囲碁では投げ場を求めるということがある。

 人間の五感によるものが審美眼であろう。これが追い抜かれるまではまだ時間がありそうだ。「美術展」や「書道展」などの審査がCCDや人工頭脳になってしまったらエライことだ。しかし、私などには凡作と傑作の区別がつかない。コンピュータ様は、この面でも凡人の域を超えてるはずだ。

 人間の美学は有終の美でもある。切腹はそんな中から出てきたものであろう。大河ドラマも見せ場を迎え、備中高松城主の切腹も、日本人には訴えるものがあった。

 人工知能が人間と同じ「美学」を持った時、何が起こるのだろうか。人間の絶望感に対する回答が出てくるのかもしれないと期待しているが。

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by watari41 | 2014-07-26 21:58 | Comments(2)

歌を詠む

 男尊女卑の日本歴史において、和歌は例外的に男女同権だった。
 
 遠く飛鳥時代には皇女である額田王の
   茜指す 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
 という、万葉集の歌が有名である。

 時代が下がって、紫式部の源氏物語は短歌の往来が主要をなしている。
 近代になってからは、与謝野晶子や柳原白蓮などがいる

 そんな伝統が今なお続いており、皇室の歌会始にその名残を感じている。
 天皇・皇后の歌がまず紹介される。老若男女の別なく同等に扱われるのもこれまた和歌の一大特徴である。
 昔にあっては歌の一つもできなければ一人前でなかったのだろう。そんな時代に生まれなくてよかったと思う。詩歌の分野では私は全くの才能なしである。どんなに教えられてもダメだったろう。感性がないのである。どうしようもない。

 一流の歌人は、自分の才能に気がついているのだと思う。それをどんどん伸ばせる環境を望んでいたはずだ。明治になると古来のものを改革しようとする機運が出てくる。
 正岡子規が俳句だけではなく、歌の世界にも、もの申している「歌詠みに与える書」である。万葉集はお手本に値するが、平安時代の古今集にはボロクソである。選者の紀貫之という教科書にも出てくる人をこきおろしている。藤原定家の「新古今和歌集」は、まだましなものらしい。私など、ど凡人には、まったくわからないことだ。

 上手だと言われた和歌をあがめたてまつっているにすぎない。何事においてもそんなものだろう。シュールレアリズムの絵画が上下反対に展示されていても、何年もわからなかった美術館だってある。

 和歌をつくるには、感性とともに情熱も必要条件のようだ。美人であれば、さらにこしたることはない。白蓮さんはこれらを兼ね備え、さらには行動も起こしている。これらの舞台装置を九州の炭鉱王がしつらえた。朝ドラは良いものに目をつけた。
 

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by watari41 | 2014-07-21 11:58 | Comments(2)

「愛」の文字

 a0021554_14083796.png何年か前の大河ドラマで戦国武将「直江兼続」が主人公で、「愛」の文字が入った兜が話題になった。 もちろん、現代の我々が思い浮かべることと戦国時代の人々の考え方が異なるのは当然なのだが、何とも違和感を持ったものだった。しからば当時、これは何を意味していたのかと思う。 
 「愛染明王」のことであるようだ。そう言われると、納得できる。上杉謙信は「昆」の文字を旗印とした。毘沙門天を深く信心していたからである。兼続は別の仏様を持ってきたのであろう。愛染明王は軍神でもあるとされる。
 先日の農協旅行で、米沢市にも立ち寄ったが、かつてのドラマブームなどはどこにもなくなった。わずかに老舗酒造メーカーが、愛の兜をあしらった酒を造っていた。

 米沢と言えば上杉鷹山が有名だが、ケネディ大統領が尊敬する人物として挙げたことで、逆輸入されたかの観もある。疲弊した米沢藩の財政を殖産興業などで一挙に持ち直した。その鷹山が参考にしたのが直江兼続の治績だったという。軍事のみならず治世面でも優れた人だった。

 愛染明王は憤怒の形相で知られる。
 Wikiに次の如き解説があった。
「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。

 現代における我々の愛という概念は、聖書より伝来のものであろう。
「山を移すほどの大いなる信仰ありとも、なくば数うるに足らず」

 朝ドラの異様な人気もこんなところにあるのだろう。
文芸春秋の今月号に、これまた異例なことなのだろうが、朝ド人気にあやかったのか昭和42年に掲載された宮崎竜介さんの白蓮記事が再掲載されていて驚いた。私は当時、これを読んで白蓮を知ったのだと思う。




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by watari41 | 2014-07-15 14:13 | Comments(2)

天国の特訓

 バブル華やかなりし頃だった。雑誌のビジネス欄に、さる評論家が日本人は「地獄の特訓」はいやというほど受けているが、これからは「天国の特訓」が必要になるというコラムを書いていた。面白いことをいうものだと思った記憶がある。

 実は、本日まで地域農協主催の二泊三日山形県上山温泉の旅から帰ってきたところである。一万五千円で、ひところからみれば超格安なのだが、今や東北の温泉地では老人団体向けとしての標準価格なのである。今回参加者の平均年齢も80歳に近い。
 私は、ほとんど酒も飲めなくなったが、昼間から酔っ払い、思う存分に温泉につかり、一足先に極楽に行ったかのような気分だった。
 まさに「天国の特訓」を今頃受けるとは思ってもみなかった。

 外は記録的な大雨なのであるが、ホテルの中にいるとあまり感じられない。山形では昭和15年以来の歴史的雨量を記録したようだ。台風8号は、まだ九州から四国にかけてゆっくり動いている。東北の梅雨前線が刺激されすぎたのである。
 今日7月10日の午後に南陽市を通る時に驚いた。見晴らしのきくところに出た途端である。ここは田沢湖かと思うような光景が眼前に広がっている。
 田んぼが一面水につかり、稲苗先がみえない。その広さは丁度湖である。さらに街に進むと床上浸水した街並みが現れる。丁度津波に洗われた我が町の如きである。
 本物の台風はこれから来るんですと言われる。日本海にそそぐ最上川の末端支流が氾濫したのである。昨夜から未明にかけてのことのようだ。堤防すれすれに濁流が渦を巻いている。

 宮城県との県境を越えて七ヶ宿街道を帰ってきたのだが、何か所かの崖崩れがあり、道を塞いでいたが丁度ダンブがそれを持ち去ったところを通過してきた。バスに直撃したらえらいことになっていただろう。生々しい岩肌が露出している。表層の土がずり落ちたのである。

 帰り道の途中なので折角だからと、宮城県最大規模を誇る七ヶ宿ダムも見学した。水道用水ダムで貯水量1億トン。このダムは県境の奥羽山脈分水嶺を超えた太平洋にそそぐ阿武隈川支流の白石川の水を集めている。堰堤からの水位はまだかなり下にあり、余裕があると見たのだが、案内人は、これが通常満水というレベルなんですとおっしゃる。
 ダムの内部というのを初めて歩いた。照明を消しますとおっしゃる。驚かないで下さいと。これが本当の真っ暗闇で、どこからも光が入っていないんですと。貴重な体験をさせてもらった。一寸先どころか何も見えない。
 ダムの内部にいてもゴーゴーたる音がする。放流しているんですと。滝の後ろにいるようなものだ。これからの雨に備えて流している。
 外に出るとダムの中央に高さ70mの巨大な噴水があるが、これは観光用でも何でもなくて、水を浄化するためにやっているんですと。なるほどとこれまた感心。水のことをあまりにも知らなかったのである。
 「天国の特訓」の後に、思わぬ頭の特訓まで受けてきた。

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by watari41 | 2014-07-10 21:10 | Comments(2)

安全神話

 昭和52年(1977)、ダッカでの連合赤軍による航空機乗っ取り事件があった。時の首相、福田赳夫さんは、「一人の人命は地球より重い」として犯人の要求をのんで釈放した。(地球があっての人間だからそんなに重いはずはないのだが)超法規的処置だとした。明治38年生まれの首相には戦時中にあまりにも人命を軽視した反省もあったのだと思ったものである。
 当時の日本は世界で最も安全な国だと言われていた。夜間に女子が一人で歩いていても何らの危険もない珍しい国だとされた。

 そんなこととか、テロに甘いという点を北朝鮮は巧みに突いてきた。横田めぐみさんが拉致されたのは、その秋であった。警察も一億の日本人も拉致という発想などは浮かばなかった。一地方の行方不明事件をメディアも大きく伝えることはなかったので我々は知らなかった。
 数百人にも上るとされる拉致被害者を、40年近くが過ぎた現在、北朝鮮は有力な外交カードにしてきている。たまったものではない。結局は数百億円を支払う事になるのだと思う。

 当時何故、「拉致」ということが思い浮かばなかったのかは「安全神話」を我々は100%信じ切っていたからにほかならない。誰がこんな神話を作り広めてしまったのか、現代史の追及課題のような気がする。そこを我々とは発想法が異なる他国に利用されたのである。日本の中にも大勢いたと思われる協力者がそんな現状分析を報告していたのではなかろうか。今から考えれば家族はもちろん、最も日本国益を損ずることを許してしまったのである。

 日本人は「神話」を作りやすい民族なのかもしれない。神話を作って誇りに思い、それを自ら信じることで救われる。逆にいえばオメデタイのかもしれない。

 冷酷な現実の前には神話も崩壊する。土地神話にしてもしかり、憲法も神話であったかのように扱いたがっている。法律とはそういうものでないはずなのだが、神話であったとしたがっている。三権分立が機能していれば裁判所が神話化を防ぐ砦なのである。

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by watari41 | 2014-07-05 20:38 | Comments(0)