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ことばと文字

 「一週間に一言も発しないことが時々あるんですよ」先日のさるOB会でのこと。
 彼は、私と同様に先に奥さんを亡くした。田舎では、そんなことはまず有り得ないが、仙台の住宅団地ではあるのだろう。おまけに彼は、子供がいなかったので、誰とも連絡を取る必要もないのだという。
 女性なら、そんなことには耐えられないだろうが、男子にはあり得ることだ。
 会合の幹事はよく連絡をしてやったものだ。
 人間は、ある意味で言葉を発することによって成り立っているのかもしれないが、現代社会は言葉なしでも生きていける不思議な世の中になったのかもしれない。スーパーで買い物をするにしても、言葉は必要ない。彼はその上、完全自炊生活をしている。

 全く別の話だが「宇宙人と話をしているかのようだ」、80代の男子で成人した孫のしゃべることがわからないという。これまた困ったことだ。この老人は水戸黄門を見ているからというわけでもなだろうが話がかみ合わないのは当然なのかもしれない。

 昔の戦場で、お互いに訛りのちがう同士がどうやって意思疎通をしていたのかが、不思議でならない。いまでも、青森と九州の人が方言でやりあったら、何が何だかわからないはずだ。
 明治以降になって、地域毎に師団とか連隊とかができるようになった。
 大昔の田村麻呂時代とか義経時代の、寄せ集めの軍団がどうやって、指揮系統を作っていたのか疑問に思っている。
 書き言葉である手紙が、より重要だったはずである。

 首相の記者会見などで、手話通訳の人が出てくる。あらかじめ原稿がわかっているのだろうから、文字で示せば十分ではなかろうかと思ってしまう。

 それにしても同時通訳の凄さというのを、先日テレビで拝見した。文化の違いを乗り越えてことばが通じるようにやっているのだからたいしたことである。言葉は現代文明そのものでもあるが、自らは発せずとも困らない。文字の方がより重要で、多くをしゃべっているのかもしれない。

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by watari41 | 2014-03-24 16:11 | Comments(2)

腐れる寸前

 「とんかつふじ」という店が岩沼市にあった。
 旨くて、かつボリュームがあることから評判のとんかつ店だった。遠く仙台からのお客さんもわざわざ来ていた。
 近くに阿武隈河川敷ゴルフ場があって、昼食時ともなると、ゴルフ場の食堂で食わず、そのとんかつ店までくるので、スパイクシューズのお客さんはお断りなどということもあった。

 その美味さの秘訣が、なんと腐れる寸前の豚肉を使うことにあるそうなのだ。一歩間違えるとえらいことになるので、素人に真似のできることではない。

 あまりに新鮮すぎて味がないというのは、白身魚の刺身にも当てはまる。レクレーション地引網などの後で、取れたての魚の刺身がコリコリしすぎていて、美味しいものではないことを、多くの方々が経験しているはずだ。

 新鮮さを売り物にする場合と、熟したものが好まれる場合とがある。あまり突っ込むとおかしな話になるので止めておこう。

 私などは年齢からすると、人間として腐る寸前なのかもしれない。すでに脳細胞の一部は腐敗の兆候がある。
 外部からみても、そんな風にみえるのだろう。一番使い勝手の良い人ということになる。もう少し遅れると間に合わない。ということもあるのだろうか。やたらと頼まれ事がある。一銭にもならないがやむを得ない。社会的存在価値がまだあるのだろうと我慢することにしている。

 80代になっても、存在価値を求め続けた人が先日亡くなった。生涯現役を目指していた。その方のお姉さんが車いすで見え、奥さんに対して、弟はあなたのお蔭で良い一生を送れましたと述べていた。聞いていたこちらが感激した。

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by watari41 | 2014-03-19 15:10 | Comments(4)

あれから3年

 海岸近くにある墓地を訪れた。
 大勢の方々が墓参りにきていた。故人の親族とも顔を合わせた。この辺りの風景は、震災当時から何にも変わっていませんよね、とおっしゃる。たしかにその通りである。ガレキの焼却が終わり、立派な海岸堤防ができたが、それ以外には、どこが復興したんでしょうか?。言われるまでもなく、その通りである。それなのに既に巨額のお金が使われている。

 この親族は、農業関連の会社に勤務していた。
 曰く「聞くところによれば、お寺周辺の被災した広大な荒地を農地に復旧する計画だという。これまで農業関連の政策で成功したものはほとんど無い。またもムダ金が使われるかと思うと、やりきれない」と。農業機械でメシを食ってきた自分が言うのもおかしいがとおっしゃる。

 我が地域農協の減反率は、35%にも達しており年々拡大している。
 これまでは農業にお金を使うと言うと、誰も反対はできなかった。食糧増産は国策として定着していたからである。遠く遡れば弥生時代から、つい50年前まで、一粒でも多くの米を作ろうとしていたのである。こんな歴史のあるものが、時代の変化についていけるわけがない。
 土建会社が農業法人を作ってやるなどとも言われているが、補助金を貰えるだけ貰って、やがて農地は放棄されるであろうと。

 エネルギーにしてもしかりであろう。すでにそのピークは打ったものと考えている。
 電気が余るなどということは、考えられもしなかったことだが、あと10年もするとその傾向ははっきりと見えてくるだろう。東日本大震災がひとつの契機だったと言われるはずである。

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by watari41 | 2014-03-12 17:47 | Comments(2)

名前を食ってる

 先日、秋保温泉の一流ホテルで、宴会料理の最後に「はらこ飯」が出てきた。
 なかなかやるわいと思っていたところ、これがとんでもない代物だった。私の生涯で、これほどに不味い「はらこ飯」を食べたことはない。何ですか、これは、と残してしまった。しかし、食べたことの無い人は、これが有名な「はらこ飯」というものですかと口に運んでいる。この飯の発祥地元である私には何とも許せないが、格安料金でもあったので、仕方がないかと腹にしまいこんだ。出席者には、これが「はらこ飯」だと思ったら大間違いだとは言っておいた。

 食品偽装も我々は結局、「名前を食べている」からである。
 黒毛和牛だとか、○○地鶏、・・・、名前を食っているに他ならない。
 しかし、あまりに不味いものだと、文句も言いたくなる。
 東京にいた頃に、ある食堂でカレイの煮魚定食を注文した。身がモサモサしている。これは魚なのかと思った。ひどいものを食わせているものだ。隣の席にいたオバチャン2人が、お互いに顔を見合わせている。何度か冷・解凍を繰り返しのだろう。店主が申し訳なさそうにこちらを見ていたことがあった。ダメ押しまではしないできた。

 仙台の居酒屋でのことだった。同輩と飲んでいた時に、ホヤが出された。勘定を払う段になって、少し高かった。生きのいいものなのでということだったが、同輩はオレは石巻の出身だよ。こんなホヤを、よくもこんな値段でとねじ込んだ。店では恐れ入りましたと半額にしてくれたのだ。私にはホヤの状態などよくはわからなかった。この男も震災前に70そこそこで亡くなってしまった。

 ステーキの中味がどうのこうのと言われているが、私は旨い物であれば、つなぎ合わせの肉だろうがなんだろうがかまわないと思っている。

 カレイの話ではないが、ピンからキリまである。地元漁港に上がったばかりのものを食べたことがある。体験した人にしかわからない味である。

 名前に騙されるのは、食い物だけではない。メーカー品だなというのもそんなことなのだろう。販売戦略に乗せられている。ブランド品を持っていることを誇り、そんなものを食していることをことを自慢している方が悪いのだろう。


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by watari41 | 2014-03-02 11:48 | Comments(2)