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八重の桜

 明治維新最大の悲劇というか犠牲者が会津藩だった。
 現代人の感覚からすると、藩主の首を差し出せば、全ては事なきを得たのではないのかと推測できるのであるが、当時の武士道に於いては、そんな馬鹿なことはありえなかったのだろう。
 家臣は何のために生きているのかという封建制度の根本的な問題に係ってしまう。
 戦国時代には、まだ城主の首ひとつで、城内の者が全て救われるということがあった。有名な秀吉の高松城の水攻めの時に、城主が腹を切って収まった。
 しかし幕末の頃となると、会津藩も200年の歴史を有するようになり、独特の家訓もこれに背くなどは、もっての外ということになる。
 会津の降伏時はまるで、終戦時の日本を思わせるものがあった。1945年は国家全体が敗れたのだから、これは如何ともしがたい。しかし会津の敗戦は逆賊の汚名をもたらした。
 大河ドラマは前半を終えたが、会津の苦難はこれからも続いてゆく。
 それにしても、主人公の女性は凄いものがある。現代では女性の茶事も当たり前のことであるが、これも明治時代に彼女が成し遂げた偉業とされる。ドラマのなかでもこれから大活躍しそうである。

 もう一人の悲劇の主人公は家老の西郷頼母である。これほどに先見の明のあった人はいない。我々東北人はかなり以前からこの武人を存じ上げているが、全国区ではなかった。
 第二次大戦中に、この西郷に匹敵した人物は、城山三郎の著作「落日燃ゆ」の主人公で首相も務めた広田弘毅であろう。残念なことにA級戦犯となり、裁判では一言も弁明せず絞首台に消えた。何度かテレビドラマ化されている。

 話は異なるが、明治時代の国際人、新渡戸稲造は西欧の人々から、確たる宗教心のない日本人が何故にあのような高い「道徳律」を備えているかと問われて、上手い回答がなく後に「武士道」という著作を英文で発表して欧米人からもなるほどとの高い評価を受けた。

 しかし、現代人である松井秀喜選手がヤンキースそしてそのファンから、ひたむきなプレーとマナーの立派さを誉め称えられ、引退式のセレモニーまでもが実施された。彼のその精神根源はどこから来るのかと考えてみた。北陸の出身なのである。皆がみんな、そういうことではないのだろうが、戦国時代から一向宗の盛んなところである。そんな伝統がどこかにあるのだろうかと個人的にはテレビを見ながらの想像を巡らしていたのである。
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by watari41 | 2013-07-29 17:40 | Comments(4)

科学の犠牲者

a0021554_10101970.png アインシュタインにも匹敵すると言われた31歳のイタリア・ナポリ大学教授が1938年に忽然と姿を消した。核開発の関連で誘拐されたとか、自殺したとかの憶測が流れたが未だ真相が判明していない。しかしその背景には強烈なマザコンがあったとされのが何とも面白い。母親は有能で家族の全てを支配していた。
 彼の名は、エットーレ・マヨナラである。日本人には全くと言っていいほどに知られていない。だが、イタリアではこの失踪事件が、現在に至るも、ドキュメンタリーや過去に於いては映画とか、多数の書籍も出版され、その後のマヨナラを追跡する人が絶えていない。南米での生存説もあったが確認されていない。

 1926年、ムッソリーニ独裁政権下で、優れた科学者でもあり国会議員だった男が、イタリア中の若き天才を集め研究所を作ることを提案して実現した。
 その研究所には後に米国に亡命し、原爆製造のマンハッタン計画で主要な役割を果たすフェルミ博士をリーダーにマヨナラを入れても4名だけでのスタートだった。
 マヨナラの才能は飛び抜けていた。次々と新しい理論を生み出す。メンバーは強く発表することを勧めるが、いいんだよと言ってはゴミ箱に破り捨てていた。(映画ではそのペーパーを燃やしている)奇人でもあった。後年に同じ内容でノーベル賞をもらう人が何人もいたが、全く気にかけていなかった。中でも有名なのはドイツのハイゼンベルグが発表した不確実性の原理である。マヨナラは彼を誉め称え、ドイツまで出かけて行き友人としてしまうのだからこれまた面白い。

 こんなことで、マヨナラの業績は海外に広く知られることもなかったが、今に残っているのがマヨナラ粒子とかマヨナラ・ニュートリノと呼ばれるもので、2002年に日本の小柴さんが、大規模な実験でこれを実証してノーベル賞をもらっている。原子核理論は何十年も過ぎてからそれが実証されることが多い。
 数日前の新聞を見てたらまたまた驚いた。小柴さんが次のノーベル賞候補だと言っていた教授が、ニュートリノが変態することを実証したのである。
 これもマヨナラが予測していた。私はこの本の著者が、再びマヨナラが注目を集めるはずということを読んだばかりだったからである。

 彼の短い生涯には神童と言われてからの紆余曲折があった。ナポリ大学教授には数か月しか勤務していないのだ。
 赫々たる理論的業績を上げた20代前半を過ぎると、研究所には顔を出さず長い「ひきこもり」生活に入ってしまう。時々は同僚が訪ねてきて、現状を報告するが、研究所は違う道を歩んでいると言ったという。後年になって、それは核分裂の研究に入ったことを指しているのだとされているが、どんな意味だったか真相はわからない。

 最晩年になるが大学教授の募集には応じたのである。その生徒に、飛びぬけて魅惑的な女子学生がいた。その女性に恋をしたのではないのかという。彼女は現在も94才で生存しているというのだからさらに驚く。
 著者は語る「天才の裏側には全く異なる性質が潜んでいる。表面化することのない優しい愛を切望しているが、その願いは、決してかなわないことも熟知している。自己破壊に向いたくなってしまい、この世の人との関係を断ち切りたくなる。代わりに新しい存在を手に入れたい自己嫌悪。そこには特赦な家庭環境があった。」
 彼は、失踪の前日に、ひきこりの期間にまとめあげた理論なのだろう。学生である彼女を呼んで、これを預かってほしいと手渡す。彼女はその時に一言声をかけるべきだったと悔やんでいる。その書類は戦災で失われてしまった。彼は科学の犠牲者だとも言われている。その母親は、息子は高尚な学問のせいで、頭がおかしくなってしまったとムッソリーニ閣下に訴えている。
 著者は気鋭の学者で、ロンドンにて理論物理学教授を務める、ポルトガル出身の「ジョアオ・マゲイジョ」翻訳者は「塩原通緒」.NHK出版、2013.5.25発刊。

 

 
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by watari41 | 2013-07-22 12:01 | Comments(0)

どら焼き

a0021554_19251410.png 町内の元消防団長が勲章をもらい、その盛大な祝賀パーティが行われた。
 皇居に参内して記念の菓子をいただいたそうで、それと同じものを、本日ご出席の皆様にも「お引き物」として差し上げますということだった。
 写真のものである。中身は「どら焼き」なのである。このような化粧紙に包まれると、立派な菓子になる。孫にも衣装である。中の本体のどら焼きにも大きな皇室紋章である菊の焼判の押してあるのが写真でも透けてみえる。
 このようにしてみると菊のご紋章は、日本最大のブランドであることがわかる。

 どのような意匠登録がなされているのかはわからないが、叙勲業とでもいうべき職業が存在しているようだ。叙勲当日には全国から千人を超える人たちが皇居に集まったそうで、田舎に帰れば、それぞれに盛大な祝賀会が待っているはずということで、お引き物などのカタログをよこされたそうだ。そこからいずれもご紋章入りの品物を選ぶようになっている。

 我が町での叙勲祝賀会は会費制で5千円と決まっている。役場がすべからく手配してくれる。立派な料理もでるので、こんな金額ではおさまらない。叙勲者は百万円ほどの持ち出しになる。お引き物も、どら焼きだけではない。これまたご紋章の入ったコーヒーカップや、酒などがあった。

 町内お歴々のご挨拶がある。我々一般人は生涯で2度褒められることがあるという。一度は結婚式の祝辞であり、次は葬式での弔辞である。
 叙勲者は祝賀会でお祝いの言葉をもらい3度褒められるということになる。
 もちろん、叙勲辞退の自由もあるそうで、事前に伺われるのだという。
 経済効果が何億円などということは不謹慎なことだとされようが、それなりに潤う人たちが出ていることは間違いない。
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by watari41 | 2013-07-17 20:15 | Comments(0)

東北のビーナス

a0021554_17344759.png 20年前に山形県の高速道路工事で発見され、昨25年に国宝に指定された4500年前の土偶である。ピラミッド建造と同じころの時代である。ミロのビーナスはこれより2000年後に作られる。
 日本でも当時の土偶といえば、ズングリムックリ型のものが殆どである。豊穣を祈ったからでもあろう。写真の如き現代感覚にも通じるものは初めての出土なのだ。顔はノッペラ棒だが、そんなデザイン感覚もすばらしい。発見当時より注目されていたが、先日NHK東北ローカルで詳しく紹介されていた。

 東北の縄文文化は、青森県八戸を中心として宮城県北部一帯あたりまでに存在している。時代が下がってアテルイが朝廷に対して頑強に抵抗していたのも、大いなる違和感を持っていたからにちがいない。
 平泉藤原氏が独自の文化で東北を限定支配したのも、そんな流れの中からのものだと考えている。

 人間の芸術的センスは昔も今も、そんなには変化していないようだ。フランスのアルタミラ洞窟では一万五千年前の躍動する動物たちが見事である。しかし皆が優れた芸術家ではなく、現代の私の如きヘタクソだっていたにちがいない。

 現代のデザイナーもアイディアに困ると、古代の衣装が残る東南アジアの山岳民族を訪ね歩くという様子を松本清張の「熱い絹」で読んだ。

 縄文時代の生活をしていた作者に、よくぞこんなデフォルメされたセンスがあったものだと感嘆せざるを得ない。天啓の如きものがあったのだろうか。安定感も抜群であり、美の極致とも言われる黄金比率を自ら会得したのであろう。4500年前にいた一人の天才芸術家を想像している。
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by watari41 | 2013-07-13 18:17 | Comments(2)

静と動

 風景や人物写真の如きものを除くと、動きの一瞬を切り取ったものが静止画像の写真であり、そこから一連の動きを読み取ることができるのが優れた写真でもある。
 写真コンテストはあるが、動画コンテストがないのは、どうしても作為が入ってしまうからだろうと考えている。自然な行為であるなら写真一枚で十分なのである。
 ゴルフスイングや野球のバッテイングなどは、全体を見ずとも、ワンカットの写真があれば、その人の実力判定がつくようだ。

 「静」よく「動」を制す。などという言葉もありましたっけか。下手に動き回るよりも、ジットしていた方が良い対処法だったりすることも多い。
 我ら凡人は、こんな時に動かずにはいられないと、やたら走り回ることもあるが、結果がついてこない。
 小人閑居して風情を為さずで、やたらのんびり構えているのも困り者だが、いつ動き出すべきかの判断が非常に難しいことが多いのも事実である。
 その時の風まかせで動いてしまうのも多々あることだ。

 一枚の顔写真がその人物全てを語る場合もある。静止画像といえども大変な実力を持っているものだ。
 静の中に無数の動を含んでいる場合もある。囲碁・将棋のプロは長時間動かずに考えている場面があるが、頭の中は超高速回転しているにちがいない。私も考えて時間を使うことがあるが、これはどうも静止しているに等しいことみたいだ。
 野球ですばらしいファインプレーを見ることがあるが、優れた守備陣は、動かないようでいて、すばやく反応できる身体能力がある。
 我々一般人は静止視力しか測定しないが、プロスポーツ人は動体視力がなくなれば現役を続けられなくなるという。
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by watari41 | 2013-07-04 20:54 | Comments(0)