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裁判官

 司法・立法・行政の三権分立が民主主義だと、戦後間もない小学生社会科の時に教えられたことを回想しているが、今にして思えば、先生方だって何がなんだかわからずに教えていたのではないのかという気がしている。

 成人してから選挙で投票所にいったところで、国民主権だなとと意識して投票しているわけではない。誰だってそうなのだろう。三権分立とは、いわば建前なのだろうと考えていたのである。総理大臣が最も偉くて、国会議長などは、いわば名誉職みたいなものだろうと、誰しも思っていたに違いない。宮城県出身の伊藤宗一郎衆議院議長本人もそんな感想をもらしていたことがあった。

 裁判官も、こと行政の判断については、従来遠慮がちな判断をするにとどまっていたが、今回の一票の格差で選挙無効の判断を下したのは、戦後70年近くになって、ようやく司法の独立性ということを認識するようになった出来事だと思っている。

 テレビの解説で、一票の格差が解消してはじめて日本に民主主義が根付いたといえるのだろうとの話があった。そうなると我々が投票所に行く意味合いも異なってくるのだろうと考えている。
 かつては4.95倍などという格差のあった時代でも、裁判所は違憲に近いというような判断だったと思う。

 司法も権限の面では、そんなことだったが、こと待遇に関しては国家の三権にふさわしいものだったようで、老後を我が町で暮らすことになった裁判官OB氏は、私がおそらくは、この町で最も高い年金をもらうことになるのだろうと、うらやましいことをおっしゃっていたのである。
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by watari41 | 2013-03-28 11:59 | Comments(0)

ムコさん余話

 先日、被災地沿岸をゆっくりと車を走らせていたところ、ジット私を見ている男がいる。オーと思った。彼はこの辺りに住んでいたのだ。流されて更地に近くなった住居跡に立っていた。

 在職の頃、35年ほど前のことになる。実験の補助にと人事部に一名を要請していたところ、彼がやってきたのである。どちらかというと不器用な男である。いろんな職場を渡り歩いていたようだ。どこでも最初の排出要員にされていたようなのだ。
 私の職場にいた時に、彼にムコさんの話が舞い込んで、結婚式にまで出席していることを回想した。当然のことながら「姓」が変わった。やがて私のところの仕事が終わって、次の職場があるというので向かっていった。ところが以前に在籍していた職場なのである。その職長たるK氏は、驚いてしまった。全く異なる名前で人事部より連絡を受けていたのである。何でお前なのかと言ったとか。ムコさんになったのだから当然の話である。

 嘆きのk氏は、私に電話をよこした。如何ともしがたい話なのである。その後、どんな経過をたどったのか、彼は定年まで勤務していた。その被災地には年老いた義母を伴っていた。丁寧に挨拶して別れたのである。

 全く異なる話ではあるが、実の息子からまで、あなたはムコさんなのだからと言われるとこれは悲劇である。被災地で実際にあったことらしい。60才の息子が父親に、この家の継承者であり差配権は私にあるのだと言って評判になった話を耳にした。法律上は、そういうことになっておかしくないらしい。
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by watari41 | 2013-03-22 15:47 | Comments(2)

オリーブの木

 3.11大震災で、世界各地より様々なご支援が寄せられているが、我が町にはイタリアより、オリーブの苗木が寄せられるというユニークなことがある。

 オリーブは高級油である。日本の年間消費量は3万トンにも達するが、国内産は15トンにしか過ぎないのであるという。
 何故、こんなことかというと、その昔いろんな文物がシルクロードを伝って我が国にやって来たが、オリーブ油は本来洋風料理に使うものなので、油を産するオリーブの木も明治時代までは必要としなかったものだと考えるのが妥当なのだろう。
 イタリア・ギリシャなどには、樹齢千年を超える巨木が沢山あって、その収穫量も大なるものがあるようだ。うまくいって、我が町にそんな巨木が見られるのは、次の大震災がやってくる頃なのかもしれない。塩害にも強い植物なのだそうだ。

 では、なぜ我が町にやってきたのかというと、イタリア人のオリーブ研究者営が、大阪でイタリア料理店を営んでいる日本の知人に、被災地にオリーブの苗木を贈りたいとの申し出があったそうだ。料理人は、はたと考えたそうだが、丁度東北の我が町に親戚がいたので、連絡したということだった。
 受けた男も、定年直後で次は何をと考えていたところだったので、まさにグッドタイミングだったわけである。しかも、その男はムコさんであり、意欲を内に秘めたような方なのである。これ以上のことはない。

 問題は、我が町の風土・気候がオリーブの生育に適しているかどうかである。イタリアの研究者は特に丈夫な2年物の苗木200本を送ってよこした。町内各地に17箇所の協力者を得て、分散して植えられている。先日、本家本元のYさん宅の苗木を見てきた。今冬の強烈な寒波にもよく耐えた。あと4年後に最初の収穫が出来るのだという。本物のオリーブの木を見ている人は意外と少ないものである。先日、サークル仲間をそこに案内した。ご自宅もそれにちなんでイタリアン風の家屋を新築されている。
 震災復興の一話をご紹介した。

 オリーブの木というと、管元首相が議員になりたての頃に発言していた、政権を取るための手段としてイタリアの如き政党連合のことを回想される方々も我々年代では多いのではなかろうか。
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by watari41 | 2013-03-18 17:20 | Comments(2)

あれから2年

 あと3日、大震災が遅かったら、私を含めご町内の方々の命が危なかったのである。
 毎年春には、地域毎に農家組合の移動総会があり、その年は相馬海岸のホテルでの予定だった。いつもは日帰りで、11時頃に到着して総会、そして懇親会をやって、一杯機嫌で土産物屋で魚などを買って、3時頃に現地出発を常としたものである。往復には海岸の道路を通るので、巻き込まれていた可能性はきわめて高かった。

 逆に、その日に限って出かけた人々などもいるのだから、人の運命はわからない。ご遺族の方には詳細な遭難の状況を知りたがっている方々が多いのは当然である。

 特に原発では、その性質上、新たな事実も浮かび上がってきている。NHK特集で、あるいはメルトダウンが避けられたのではという番組があった。

 原発一号機では全電源を失っても動くはずの非常用復水器がオフになっていた。いまさらにタラレバはないのだが、緊急事態になってから操作員はオンオフを繰り返して、無意識にオフの状態でスイッチを止めている。どちらになるのかは、確率二分の一のことであった。(実際にはもう少し複雑だったと思うが)
 また、せっかくの消防車ホースによる注水も、半分以上が通常の復水器に流れ込んでしまっていた。
 各種の事故調査報告書とか「プロメテウスの罠」:朝日新聞社や「死の淵をみた男」:門田隆将著などのドキュメントも、感動しながら読んでいたが、NHK特集の如きことまでは突っ込みきれていなかった。
 
 あれから2年を過ぎて、海外取材や詳細な図面を検討しての結果なのだから、当時の緊急事態にあっては死を賭しての最善を尽くしたといえる。そもそも全ての電源が無くなる事態は考える必要がないと言われていたのである。
 吉田所長は、計器類が動かず・見えず、航空機に例えるとコックピットが真っ暗な状態の操縦席で、目かくしされて飛行機を着陸させよと言われたようなもので、どうしてよいのかわからなかったというのが事故直後の率直な感想であった。
 当事者にとっては、50人もの人たちが死を覚悟して、原子炉格納容器破裂の最悪事態を回避できたことを僥倖としており、日本国土の半分が住めなくなることを防いだのも事実である。

 事が事だけに、これからも十分すぎる検証・解析がなされる必要を感じたのである。
 東北人の多くが、この原発を見学しているはずだ。建設時に海抜10mのところまで、平らに切り崩された土を盛り上げて小山にした展望台から、発電所の全景を見渡したことを回想している。
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by watari41 | 2013-03-13 17:51 | Comments(2)

震災の表裏

 一万五千余の命が失われ、数十万人の被災者が出ているが、その一方で被災地の現場では表に出てこない話も多い。
 大きな声では言えないのだがと、震災で息をついたという人も意外におおいのである。信じがたいような多くの仕事が舞い込んだ人もいる。。命がつなげたという方々もいる。

 いやな話も耳にする。葬儀の食い逃げというのも結構あったようだ。仙台で聞いた時には都会ではさもありなんと思ったが、わが町でも起きているのには驚いた。通常は請求するようなものではないようだ。ところが住所不定となってしまってはどうしようもない。喪主だって、そんなつもりではなく、当然公的負担だろうと思い込んでいたとしても不思議ではない。

 復興住宅用地の買収も始まっているが、これまで米を作る田んぼの価値としては一反歩(300坪)当たり30万円が相場だったところが、宅地としては2千万円となる。そこから少し離れたところに5反歩を持っていた男が残念がっていた。一億円の宝くじに外れたようなものだと。不謹慎な話のそしりを免れないが、現実である。

 その他、土地に関しては聞くに堪えないような街中のほとんどの人が知っているようなことでも、ここには書くに書けないこともある。

 復興予算で、通常年の財政規模からすると5倍もの金額が、国・県から流れてきており、街中に全国から千台ものダンプカーがうごめき、田舎の町では考えられない渋滞を引き起こしている。莫大なお金の流れが生じているところもある。被災者の苦しみとは別に、数十年分を一度に稼いでしまった人だっている。

 仮設住宅は短期間なら我慢できるが、2年ともなるとやりきれなくなるようだ。架体の残った家の人が修復を終えて引っ越したが、まるで何もない体育館みたいだなどとの感想を聞いた。
 その一面で、交通の便が悪かった被災地区から街中の仮設に住んだ人は、何をやるにしても10分歩けば用が足せ、こんな便利なところもあるのかと驚いてもいた。

 被災した百年前の学校は、本来なら人口が少なくなってしまったその地域から引っ越して、人口の多くなった地域に建設してほしいとの地域住民の要望があるが、学校の復旧はその場においてなされなければならいという規定があって実現はせず、被災校舎が取り壊され、その場所に新しい校舎が建てられる。復興予算の使い勝手の悪い一面でもある。
 数十年後に今の子供たちは、どんな回想をするのだろうかとあらぬことを考えている。
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by watari41 | 2013-03-06 11:25 | Comments(6)