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暮れの被災地

 「す餅」というのを食べた。
 つきたての餅に、大根おろしをかけただけのものである。初めて聞き、初めて見て、初めて口にするものだ。
 大分県日出町(ひじまち)からの支援品である餅米で作ったものである。白い餅に白い大根で、何となく懐石料理みたいな雰囲気がある。東北ではあんこ餅が主流であり、こういうものは珍しい。だが、栄養学的には申し分ないのだろう。
 ありがたい支援品をいただいた日出町からは昨年に続き2年連続のご支援である。話を聞くと東日本大震災発生後に、農業生産組合が支援策として減反による休耕田に、もち米をつくり、被災地に送り届けることを発案し実行した。日出町と環境条件の似ているわが町が支援の地として選ばれた。
 振り返って、我々が支援する立場に置かれたら、そういう発想が出てくるかとなるとはなはだ疑問に思っている。日頃からそんな心構えを持っていたいものだ。

 もうひとつ、震災後、力仕事のボランティア活動が終了した後で、20代の若者が当地に残った。ほとんど気にもとめていなかったが、ドエライことをやっていた。
 先日、わが町の公民館でグリーンプロジェクト、シンポジュームが開催されるというので、枯れ木も山の賑わいという程度の感覚で行ってみて驚いた。町外の人々がほとんどなのだ。百名以上の参加者である。町の開闢以来の出来事ではと思ったものだ。津波で失われた海岸松林を再生させる活動である。
 地元住民・業者・学校・植生などの専門家などをまとめあげ、総務省・町役場などのネゴシエーションを行い、一大プロジェクトを立ち上げたのだから驚嘆するほかない。この日の早朝には、その海岸で熱気球を上げて300人が空中から再生すべき海岸を見下ろす記念行事はNHKでも放送された。
 これを民間の大企業団体や篤志家が後援しているのである。それらの方々も会場に来ていた。
 このプロジェクトの仕掛け人、彼の名は松嶋君という。もちろん一人だけではない。何人かの若者団がこれを応援している。

 シンポジューム終了後の懇親会にも出席してみた。これまた驚くような方に出会った。木全さんさんであるとか、その同級生であろう千葉県で院長兼務の大病院を経営されている山口さんとか、大変な方々の応援をいただいているのである。
 灯台下暗し、という言葉があるが、まさにそんなことだ。人口3万5千のわが町の名物は何ですかと問われて的確な解答ができなかった。「いちご」があるが、これはたかだか昭和40年以降のことだ。昔の伊達成実公を持ち出したが、政宗ではないのでピンとこない。困り果てて阿武隈川を渡るところなので亘理ですと、これではわかったようなわからない話だ。
 名物をもう一度本気で考えてみることにしよう。そうは言っても今や「いちご」が主要産業になっている。百軒の後継者のいる農家がある。百億円をかけての復興建設が佳境に入っている。
写真は、北九州在住の50年前のクラスメイトからの被災地支援の干支である巳をつけたおミニお地蔵さんを、仮設住宅に置いてきた。a0021554_2175241.png
来年の幸運を祈りたい。
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by watari41 | 2012-12-28 21:16 | Comments(4)

無に帰す

 
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 東日本大震災は無かった?以下をお読みいただきたい。
 ガレキ処理は順調に進んでいるが、見方を変えると、全てを「無」にする作業を懸命に行っていると言える。 わが町は、3千億円の被害だった。現在ガレキ処理に50万坪の海岸用地を当てて、300億円の処理プラントを建設し、300人の方々が、機械と人力によって日夜選別処理・焼却作業をしている。(上写真、左端の遠い煙突は20km先の新地火発100万kw)

 平安時代の貞観大震災では、多賀城国府の記録が残るが、地面を掘り返せば、当時の津波が到達した砂層が歴然と現れる。近世1611年の津波も同様に、その痕跡が残っている。

 現代文明は、そんな自然記録をも消そうとしているかのようだ。処理施設に作業中の万一に備えて高さ20mほどの鉄の高台がある。そこに上ると、かつての町並みや田んぼだったところが荒涼たる茶色の原野になって、海岸から3kmほど続いている。こんな風景も数年にして消えるはずだ。(下の写真)
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 その田んぼは塩分を多く含んでいるので、それを除去しようと、表面の土を剥ぎ取り、塩分を抜き、耕作可能な土地とすべく、ガレキ処理場の焼却プラントメーカー日立造船が、耕土回復のテストプラントを稼働させ始めている。従前と変わらない耕地が戻るのであろう。

 すなわち、物理的に震災の痕跡を消してしまうのである。後世の人々は地面を掘り返してもわからないことになってしまう。

 仏教でいう「無」は、修行した人間の心の問題だった。しかし現代文明は、物理的「無」をいとも簡単に作り出しているかのようだ。この壮大なガレキ処理プラントも終了と共に、「無」になるのだそうだ。もったいない。今日また町内の葬儀があった。その男は行年76才、我々の世代である。空ゝ「無ゝ」のお経を聴いてきた。仏様の「無」となってやがてはその人生も忘れ去られる。回想とは生きている人間その限りのものだと改めて思う。
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by watari41 | 2012-12-16 12:16 | Comments(6)

女を口説く

 小沢ガールズという国会議員の一団がいる。今度の総選挙で、激減してしまうという報道予測が出ている。
 よくも、こんなに女性議員が集まったものだが、小沢さんは天才的な口説き上手なのであろう。政治的野心が少しでもありそうな女性は、簡単に落ちてしまうのだそうである。今回党首に担ぎ上げられた滋賀県知事もその口なのだろうと思っている。

 かつて、小池アナウンサーに、あなたこそ日本初の女性首相にふさわしいなどという持ち上げ方をしていた場面が放送されたことを回想している。今回もそんな殺し文句があったのだろう。

 地元の岩手県では、立候補者に困って知事夫人を引っ張り出した。こちらはさぞかし迷惑な話なのだろうという感じなのであるが、行きがかり上やむを得ないことだとされている。

 日本は政治的に極めて未熟な国だと言われてきたが、一人の国民として、そのことを実感せざるを得ない。 これまでのいろんな試みが成功していない。政経塾にしてもしかりである。日本人のDNAに問題があるのだろうか。環境のなせる業なのだろうか。そんなことはないはずだ。

 国際的な評価基準としてノーベル賞がある。かつて平和賞をもらった佐藤首相がいたが、今の沖縄の実態からは、まやかしだったことが明らかだ。もともと政治を評価するなどというのは出来ないことなのであろう。しかし日本の立候補者は右から左まで、いずれも現状ではダメであるということでは一致している。

 男子でダメだったことが、女性ではというのが小沢ガールズ誕生の一因でもあるのだろうが、何とも期待はずれに終わってしまっている。容姿とかスキャンダルめいたことばかりに関心が向けられているが、日本にだって、サッチャーさんや、メルケルさんになるべき女性はいるのだろうと思っている。いずれそんな時代がくることを希望しながら投票日を迎えることになるのだろう。長い目でみて有能な女性がどこかに眠っているはずだ。そんな才能を口説ける政治家が次善の策として選出されても良いはずだ。
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by watari41 | 2012-12-09 20:24 | Comments(4)

武勇伝

 話半分、あるいは十分の一程度に聞いていても結構面白い話をする人がいるものである。同世代にそんな男がいる。

 地元の農業高校に畜産課というのがあった。知り合いの息子さんが、20年ほど前にその高校の科目は異なるが教員になった。畜産課では鶏の解体という実習があるそうだが、当時はもうそんな殺生はいやがられた時代である。新任担当教員は困ったという顔をしていたところに、その息子は、家のオヤジだったらやるよと、連れて行ったそうだ。
 そのオヤジも畜産課の出身なので、当時と変わらぬところに、同じ道具が置いてあったそうだ。鶏には大きな「じょうご」の如きものを被せて下を固定して逆さにして、首から頭のみを出す。そして首を包丁で切る。絶命し血の抜けた鶏を湯に入れて羽を取り除き、解体してみせたそうだ。
 現代のスーパーで売られているブロイラーなどは、これを自動化した工程でなされているのだろう。

 そのオヤジが高校一年生の時というから昭和30年あたりだ。3年生で豚の屠殺実習というのがあり、先生が一撃を加えたのだが急所を外れてしまい、暴れだして大変なことになったのだそうだ。困った先生は、やむなしと町内の精肉店に電話を入れた、丁度ご主人は外出中だったが、奥さんが一年生に屠殺を手伝っている生徒がいるからと、彼を紹介したのだという。
 授業中に呼び出された彼は、現場に行ったが相当に怖かったそうである。しかし、ここでやらねばと、出刃包丁で狙いを定めて心臓を一突きしたのだそうである。幸いにも事なきを得た。という話である。

 この話に尾ひれが付いたのだろうが町内中にたちまちにして広がった。当時はまだ地元暴力団も勢いのよかった時期であるが、彼が町を歩くと一目を置かれのだという。

 彼は当初、魚屋さんに就職したそうである。たちまちにして目利きになったそうだ。ずっと後年になり、老人会で旅行した際に、ヒラメの刺身を出されたのだが、これはマンボウだと言ったそうだ。味の区分が難しいのだという。旅館では驚き、それを当てられたのは初めてだと言われたとか。マンボウを実際に食べたことのある人などは、そんなにいることではない。

 私が子供の頃には、そんな武勇伝を持つ男は結構いたものだと回想している。昨日(12月1日)のEテレを見ていたらヒマヤラの断崖絶壁で蜂蜜を取る少年をやっていた。生業としてなのである。
 武勇伝を必要としなくなった世の中が幸せとも言えるのだろうが、やや寂しい感じもするのである。
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by watari41 | 2012-12-02 12:48 | Comments(4)