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猫神様(3)

 「蚕業」によって神様の位まで授かった猫であるが、所詮猫は猫でしかないと思うのが、庭に放たれる糞尿の匂いである。
 近代「産業」の命は、はかない。百年ともたない。蚕業も例外では有り得ない。歴史のヒトコマになってしまったかのようである。元祖丸森町では大張小学校で、その生きた歴史を残そうと、その時期になると必ずニュースで報道されるミニ養蚕の授業模様がある。
 わが町には、もう何も残ってないようだ。ご町内で養蚕会社に入り、一代にして産を成した方がいたが、もうその家は更地である。
 私が最初に東京に赴任したのは昭和55年のことだった。休日のつれづれにと国会図書館を訪れたのである。当時はまだパンチカード式の検索方式だった。「わ」の細長い引き出しを抜いて、取り出した一枚が偶然にも亘理の養蚕業という本だったことを回想している。

 猫の話から脱線した。国際的に活躍する猫だっている。秋田県がプーチン大統領の当選時に貿易上の関連もあったのだろうがお祝いに「秋田犬」を送った。そしたら返礼として「猫」を送ってくれるそうなのだ。検疫上のこともあって、到着は来春になりそうだが見るからに気品のある「猫」である。

 伊達政宗の側室に「猫御前」という方がいた。気高くて優れた女性を「猫」に例えることもあるようだが、猫もピンキリである。人間が可愛がる割合には、ツンとしたところがある。キリの方は化け猫にされることだろうか。
 文豪漱石によって「人格」を与えられた猫もいて様々である。
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 3年ほど前のことだが、不思議なことがあった。我が家の裏口に猫の置物みたいなものを捨てた方がいる。側溝などに使うコンクリートU字管の上にチョコンと乗っかった猫である。そのままにしてあるが、誰も持ってゆこうとはしないし、破壊されることもない。グーグルストリートにも出てこない裏通りであるが、かつては武士が行き交うメインストリートでもあった。
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 もう一つ、震災で「家族」を失くした猫が、駅からバスに乗り継ぐプレハブ小屋で飼われていた記事がある。時給700円でしかない臨時職員が病気ともなれば、数万円をかけて犬猫病院で治療させたというが、そんな人間の気も知らず、どこかに行方をくらましてしまった。「吾輩は猫」の末路の如く、どこかのカメに落ち込んでしまい誰にもわからぬ最後を遂げたのかもしれない。
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by watari41 | 2012-11-25 20:00 | Comments(0)

猫神様(2)

 宮城県南、養蚕の元祖でもある丸森が後発の亘理にやられているのは面白くないと、大正8年になってようやく伊具農蚕学校を設立した。しかし20年以上もの遅れは如何ともしがたい。
 実績を積み上げた亘理は、大正12年には県立農蚕学校に昇格し、また蚕業試験場も県からの認定を受けた。

 ごうを煮やした丸森の県会議委員が奇策を案じた。昭和5年頃である。県会議員たちに周到な根回しをして、議会で緊急動議を出して亘理の県立学校を丸森に移設しようとしたのである。計画は秘密のうちに行われた。
 しかし、その前夜に発覚するのである。河北新報の赤坂記者がこれを知った。当時は記者モラルもうるさくなかった時代なのであろう。日頃の飲み仲間である亘理の永田万吉県会議員に、夜の10時頃だったが、宿泊先を訪ねたたき起こしてこれを告げた。驚いた永田議員は寝巻き姿のままで人力車を飛ばして、有力議員を訪ねて説得を重ね、ようやくにこれを阻止したという一世一代の武勇伝がある。永田議員は地元で面目を失うことなく済んでメデタシというようなことだった。

 郷土史冊子の(郷土わたり12号:昭和38年6月発刊)にこの実名入の記事を書いたのは、斎藤譲一郎さんという有名な教育者であり、後には町長にもなった人である。昭和40年に95才で亡くなっている。亡くなる少し前の投稿で、赤坂記者とも親しく、その事件当時に本人から直接聞いた話なのだというのである。「事件」の関係者で生存している方は誰もいなくなり、ご自身も卆寿を過ぎたので、多少の記憶違いなどもあるのだろうが、後世への記録として残したのであろう。

 この斎藤先生は丈夫な方だった。晩年は杖を手に町中を散歩していた。亘理在住の殆どが、この先生の教え子というような時代もあったらしく、先生が来ると誰もが最敬礼して迎えたものだ。私もその散歩姿を10年以上も眺めていたことを回想している。私の祖母は明治17年生まれだがその先生だったのだがら驚く。見た目は謹厳な方だったが、最晩年は洒脱だったようで、町の郷土史への投稿も「事件」当時から30年も過ぎているということで、実名とされたのであろう。現在はそこからさらに50年を経過している。猫神様を書くに当たり、思い出したことである。
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by watari41 | 2012-11-18 15:15 | Comments(2)

猫神様

 犬は人になつき、猫は家になつくと言われている。人間が猫に好かれるのは容易なことではない。そんなことから、最近は室内でも大型犬を飼う人が増えているのだと思っている。

 山を一つ超えた宮城県丸森町の文化財保護班で「丸森の猫神様」という冊子をこの3月に刊行した。丸森には実に56体もの猫神社・神様なるものがあるというのだから驚く。お堂もある神様は少なく、多くは石碑に猫を彫ったもの、または石材で猫を彫刻した神々である。
 その冊子を求めたわが町の方が、亘理にも一体の猫神があると記載されているが、どこにあるのでしょうか?と訪ねて来られた。そんなこと、私にわかるわけはない。
 しかし、今やインターネットの時代である。自分の町もネットで調べる。ありました。

http://d.hatena.ne.jp/hoge13/20100107/p1

 実に丹念に調べている人がいるもんだ。逢隈駅の写真から始まり、阿武隈川の堤防沿いを調べてわかったそうである。町内の堤防の長さは実に13kmもある。
 
 丸森町はかつて養蚕の盛んな所だった。蚕の大敵はネズミである。食べられてしまう。これをやっつけてくれるのが猫なのだから、ありがたい神様である。江戸末期のものが多いようだ。明治期に入るとわが町でもそのノウハウをいただいて養蚕業が起こる。ほとんどのお宅が蚕を副業に持っていた。我が家の祖母も大いに働いた。その道具の残骸が残っていたことを回想している。裏門のところに桑の木が一本残っている。季節になるとのすごい速度で葉が生い茂る。蚕の食欲は旺盛なのである。
 私と同じ年齢だというトラ猫もいて13才まで生きた。

 丸森からのノウハウも明治31年に亘理に簡易養蚕学校ができるに及んで、今度は亘理が教えることとなったのである。教育の力とは凄い。資金を提供し学校開設にこぎつけた先駆者がいたのだからすごいことだ。
 文明開化した世の中で、さすがに猫神様はないのだろう。わが町に一体しかないのは理解できる。

(以下の面白い逸話は続編に回します)
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by watari41 | 2012-11-11 20:26 | Comments(6)

脳の回路

 先日、河北新報に脳科学者で有名な東北大の川島隆太教授の講演要旨が掲載されていた。
 チームプレイで各自の脳の回路構成が一致すると、思わぬ能力を発揮するというような内容だったと記憶している。
 1プラス1イコール10にも100にもなるというようなことであろう。なでしこジャパンなどは、そんな典型例だと思ったものだ。
 人間は脳力のうちで、大半の方は、その1%も使わずにこの世を去ってしまうんだと若い頃に聞いたことを回想している。脳細胞が無数の回路構成を為すことができるのだが、ほとんどの人間は、そんなことをせずに老化してしまうらしい。

 教育者・監督というのは、そう言う意味できわめて重要な存在なのである。ナデシコの佐々木監督が留任したのは当然のことであろう。本人は意識していたのかどうか、選手の脳回路構成を揃えていたのである。

 個人でそんなことを成し遂げた例としては、盲目のピアニスト辻井さんだとか、円周率が何万桁も出て来る人だっている。脳の回路構成は究極の科学なのかもしれない。

 物理的な回路構成では電子回路がある。人間が自由に操作でき、初歩の数学で計算できるものである。ラジオ・テレビもこんな回路が基になっている。共振回路というものである。もう半世紀以上も前に勉強したことを回想している。回路の電気抵抗がゼロになったり、無限大に近くなったり、様々な回路構成を実現できるのである。電波を捉えて、必要なものだけ選択し、それを増幅する。映像やスピーカーからの音声が出て来る理屈なのだ。アナログ時代の話なので今や古い。

 脳は、こんな回路構成要素が150億個もの細胞から構成されていると言われる。我々が近代教育を受けて使いこなしてきたのは、ごくわずかの回路構成だったのかもしれない。デジタル技術はもっと多くの要素を使用するのかもしれないが、それでも微々たるものであろう。
 人間の脳には、本来計り知れない未来があるのだと昔から言われてはいるが、少しづつ花は咲いてきているような気はしているがどうであろうか。
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by watari41 | 2012-11-04 11:54 | Comments(4)