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囲碁の効用

 昨日(6月22日)のNHK午後5時からの「夕どき列島」で「囲碁の効用」の如き放送があった。番組の後半にテレビをつけたので、前半部分を見れず惜しいことをしたと思ったが、東大・早・慶などをはじめ今や多くの大学で囲碁を正規の授業に取り入れているというのだから驚いた。小学校でもやっているところがあるそうだ。
 囲碁を学んで人生観が変わったという学生もいるのだから、尚更に驚いてしまう。趣味の領域をはるかに超えた普及の仕方である。老人が暇にまかせて打つもんだという時代を回想しながら、その老人に差し掛かってウィークデーに白と黒を並べていることも多くなった。

 私は囲碁歴60年にもなるが下手くそなことこの上ない。ただ囲碁の仲間にボケてしまったという人を聞いたことがないので、そんな効用はあるのだろうと薄々は感じていた。
 私より下手な人は、これまたいくらでもいる。そんなヘボ同士(失礼)の一戦をみていると、次の一手はそこにしか打ちようがないというような時にもむやみに考え込んでいる。へたな考え休むに似たりということもあるが、休んでいるわけではない。しいて言うと(1+1=?)を必死になって考えているようなものだ。
 簡単な計算の繰り返しは、脳の前頭葉を活性化してボケ防止になると言われたが、まさにそんなことである。私も(31-17=?)を計算しているレベルだろうと思っている。

 最近、大河原町の日本棋院に出かけることが多い。85歳くらいと覚しき老人を見かけていたが、実年齢を伺って信じられなかった。大正4年の生まれなんですという。昔に比べると囲碁は弱くなりましたとおっしゃる。二段で打っていたが、今は加齢のせいで初段位に落ちてしまったという。この人が百歳を迎える時に打つことが出来るのもそんなに遠いことではない。カクシャクとしたものだ。例外的にこんな方もいるのだろうが、あやかりたいものである。

 我々レベルの囲碁には、その人の性格が出てくると言われる。私は外見上からは考えられないそうだが、無理矢理突っ込んでゆく癖がある。そんなことで調子の良い時と悪い時が極端に分かれる。
 バランス良くやらなければならないのだが、・・・は死ぬまで直らないのかもしれない。

 将棋にも同様な効用が期待できるそうだが、囲碁に比べるとルールが難解だと言われる。覚えてしまえばどうということはない。認知症の特効薬みたいになって欲しいものだ。
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by watari41 | 2012-06-23 20:47 | Comments(8)

楽天・釜田大投手出現

 すごいピッチャーが出てきたものだとファンなら誰しも思ったはずだ。投げる度に良くなっている。昨6月17日の巨人戦は、楽天にとっては10試合分勝ったような値打ちがある。宮城テレビで最初から最後まで観戦し、従来にない満足感を得た。
 今年の楽天は、例年の如く、イライラのつのる試合が多かった。今後は釜田投手の出る試合は安心していることにしよう。(期待を裏切らないでほしい)

 甲子園の超有名投手でも、プロで大成しなかった方々が多い。長崎県に超高校級とされるサッシーと呼ばれた酒井投手がいて大いに期待されたのだがケガもあって消えてしまった。

 釜田投手はドラフト2位での獲得だが、球団スカウトは鼻が高いことであろう。選手の将来資質を計るなどというのは、大変な目利きでなければならない。
 かつて、西武ライオンズの球団代表だった坂井保之さんが「プロ野球血風録」という、球団の内幕物を新潮45という月刊誌に連載していた。野球の試合は監督がやっているとばかり思われているが、実はスカウトは、このチームは俺が造ったとの自負が強いそうで、他球団とスカウト同士の試合でもあるのだという。

 テレビ観戦では、監督の表情がよく映される。星野監督の顔は絵になっている。負けた時のブゼンたる顔が全てを物語っている。この表情だけで俸給をもらう値打ちがあるだろうとさえ思えるのだ。これに関しては、落合監督は何とも物足りなかった。

 野球解説も最近は微に入り細に渡る。非常にわかりやすくなった。一球ごとの解説、バッターの心理状態まで、ほぼ解説者の予測通りのことが起きることが多い。巨人戦でナイスピッチングをした釜田投手の心身に渡る解説も実に見事なものだった。克服すべき問題点なども上げて釜田投手が史上有数のピッチャーになることを期待しているのである。

 これに比べると昔の解説者は大雑把なものだった。小西得郎さんを年配の人なら知っているはずだ。「何と申しましょうか・・・」などという、話術の解説を我々は納得していたのだから、今から見るとあれは何だったんだろうと回想している。
 
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by watari41 | 2012-06-18 14:25 | Comments(4)

体の年齢

 体重計の如きものに素足で乗り、金属棒を手で握ると体内に微弱な電流が流れる。それによって人体の組成が分かり、「体年齢」なるものを計算してくれる。脂肪分は電気を通し難く、水分は通しやすいことから、その個人の体組成によって電気抵抗の値が異なってくるのである。それにより脂肪率、筋率などを算出してくれるのである。私は皮下脂肪率13%、体脂肪率19%、内脂肪レベル7、骨格筋率31%、水分率59%、基礎代謝量1427Kcalとでた。

 私の体年齢は49歳と算出された。実際より22歳若く測定されたのである。並み居る若いオバサン方を押しのけて、所属する体操グループのトップになった。喜ぶべきことなのかどうかはわからない。ガリガリに痩せていて、脂肪分などは無いからに他ならない。健康状態の判定とはまた別のもので、参考的数値である。

 何十年も前のことになるが、テスターという電気器具故障の時などに使うメーターがある。測定端子をそれぞれの指で掴むと人間の抵抗値が出てくる。個人差が非常に大きい。私は抵抗値が少なかった。これでは他人に比べて電気ショックに弱いなどと考えていたことを回想している。つまり当時から骨ガリで脂肪などはなかったのだろう。こんなことを健康のバロメータ数値に出来ると考えた方がいたのだから、発想の転換とは面白い。

 いくら体年齢が若いといっても、手から足にかけての電気抵抗なので、頭を測定しているわけではない。脳は実年齢なのだろうと思っている。

 また体年齢と体力とは、直接の関係はない。歩行速度計測ではオバサマ達にどんどん負い抜かれてしまう。片足開眼立ちにも弱い、数十秒しか耐えられない。2分間持てば一人前だそうだ。体の柔らかさも、これまた人一倍に硬い。

 結局のところ、どうのこうの言ったところで、痩せこけて貧相な初老の男子に過ぎないのだ。それでも健康寿命を達成しているので、良しとすることにしよう。
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by watari41 | 2012-06-13 11:56 | Comments(4)

オーム教の犯人

 一億総捕物帳になってしまったかのような、テレビ報道にウンザリしている。大事件であったのは確かなことだが、一人の犯人逮捕にここまでやるのかという感じがしている。
 街中に防犯カメラが溢れている。これでは一般人にとってもプライバシーもヘチマもあったものではない。今の映像解析ソフトは、特定の個人の特徴を掴んで一瞬にして判別してしまう。何時何分にどこの改札口を通過したとか、これでは背番号をつけて歩いているのと変わりがない。

 さて、オーム事件の犯人だが、最初から殺人を行うとか社会を騒動を起こすつもりで教団にはいったのではなかったはずだ。
 その意図をもっていたのは教祖である麻原一人だけだと思っている。結果的に信者たちは多くの殺人や社会騒乱を巻き起こしてしまったが、後になって彼らは、とんでもない犯罪者になってしまったと気がついたのであろう。時すでに遅かった。逃げるしかないのである。今後、彼らの回想こそ必要なはずである

 「オーム教」とは、一種の仏教原理主義だと考えている。イスラム原理主義はよく知られているが、キリスト原理主義だって存在する。宗教の原理主義者というのは、やることが激しい。仏教に現代人は葬式でしか縁のないものになってしまったが、本来は厳しいものであったのだろう。オームに入信した犯人達は、最初はそんなものに魅せられたのであろう。
 本人はもちろんのこと、親族や被害者ひいては日本国中を巻き込んでしまった。教祖にどんな野心があったのか、語らずじまいで終わりそうだ。犯罪行為だけが歴史に残ってしまう。

 逃げのびた犯人たちも、再度の犯罪を犯してはいない。本来は善良な人たちが殺人者になるべく洗脳されてしまった。大いなる悔いをもって逃亡生活を続けていたのであろう。逃走中に信心行為などもなかっただろう。

 17年前に遡り、どうしてそんな事件になったのか、もう一度総括することが必要なのだと考えている。犯人を捕まえて罰すればよいというだけではすまされないことだ。今も若い人たちの惹かれそうな事柄が社会の深層で動いているのではないかと思えてならない。
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by watari41 | 2012-06-08 14:41 | Comments(6)

暫定的・限定的

 日本語というか日本文化と言った方がよいであろうが、何でもない言葉が時に重大な意味を持ってくることがある。「暫定」とか「限定」である。その言語以上の意味はないはずだが、我々は方便として使ってしまう。暫定が長期的に通用してしまう「恒久」になったり、どこまでが限定か、わけがわからなくなってしまう。

 田中角栄元首相の時だら、ずいぶんと昔のことになってしまう。ガソリンの「暫定税」というのができた。ところが、これは今もなお続いているのだから驚く。暫定などではない。民主党が一時的に廃止してみたもののまた元の暫定税に戻ってしまった。都合の良い時に都合の良いように使われてきた。言葉に「気持ち」があるなら冗談じゃないよ。ということになる。

 私も在職の頃は、この言葉にずいぶんとお世話になってしまった。自信を持てない時には暫定期間の製造指示書をだすのだが、期間をすぎても月日を変えるだけで延々と続いてしまったことを恥ずかしながら回想している。

 原発運転再開を強行しようとして、暫定・限定的である文言を織り込んで、あたかも許諾されたかのような雰囲気を出すことに懸命であるが、暫定の使われ方は、かくの如きもので、まことに不可解な用語でしかない。
 「限定的」というのも日本語では、そんな意味を持つ。旧聞であるが満州事変の際には、軍部はこれはあくまで限定された戦闘であるとしていたが、やがて第二次大戦へと拡大してゆくのである。

 暫定・限定には、そんな歴史的な事実も踏まえて、怪しい言葉であることは誰しも理解しているはずなのであるが、今回改めて暫定・限定の文言を入れることで、これをことさらに強調して政治的決着を図ろうとしているようだ。日本人のかなしい性なのかもしれない。

 英語には全く弱いのだが、暫定には身近な言葉ではテンポラリー(Temporary)くらいしか思いつかない。もっと適切な用語があるのかもしれない。しかし、暫定はあまりに日本的でありすぎる。技術的安全に関する諸問題が、国語的表現ですり替えられようとしている。
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by watari41 | 2012-06-03 11:49 | Comments(4)