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あれから一年(4)

 巨大な仮設焼却プラントの全景をご紹介しよう。何年か後には回想の風景となるはずだ。
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 写真が何ともヘタクソで、その威容をご紹介できないのは申し訳ない。
 全長は1km以上にもおよぶだろうか、写真の左端がダンプなどの出入り口である。次いで見えるプラントはガレキ分別装置なのだろう。右には焼却プラントがある。手前は茫々たる原野みたいになったかつての美田なのだ。
 仙台市の荒浜海岸ではすでに3基の焼却プラントが運転中であるとの記事が今朝(3月28日)の新聞にあった。
 この記事は政府広報・環境省の一面広告なのだから驚いてしまう。その焼却プラントの写真は、上記写真のわが町のものとは異なるものだ。メーカーが別なのだろう。

 カメチャンはさすが元製鉄マン、ご指摘の如く焼却には可燃物の塩分が問題となるはずである。通常の焼却炉とは異なる何らかの対策が施されたものなのだろうか。
 それとも使い捨てなので、適当な耐火物などを使ったものなのだろうか。外観からは何とも判断できない。膨大な資金が投じられたものでもある。
 仙台以南の宮城県内に投じられるガレキ対策費用は総額1200億円とされる。
 2年後にわが町の仮設プラントが廃棄される日程まで決まっているのだから、これまた驚いてしまう。

 環境省の広告には、ガレキ処理は実質的は国の費用負担にて行われるものですとも書いてある。
 時ならぬ復興特需が舞い込んでいる。旅館には常時30人の建設作業者・エンジニアが滞在しており、周辺のオバチャン方は、食器洗いだとか部屋の清掃などに駆り出されている。
 これから本格的な焼却が始まることになる。考えてみれば数千戸もの大火災と同様なことでもある。おびただしい二酸化炭素の排出にもなるが、木材は成長過程でこれを吸い込んでいるので、実質的にはゼロだという理屈がある。
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by watari41 | 2012-03-28 17:46 | Comments(2)

あれから一年<3>

 かつては美田だった。
 仙台の南岸にある津波に被災したわが町の荒涼たる田園地帯を、ダンププカーが群れをなして走っている。半年も前にこの計画は策定されていたのである。常磐線浜吉田駅の東方海岸近くにある。町内に住む私も知らなかった。

 ダンプカーの行列は、いずれも広大な敷地に建設された仮設焼却プラントの構内に吸い込まれていく。
一万トン当たり処理費用は3億円から5億円と見積もられている。地元土建屋さんとか、近隣市町村の組名が見える。数百万トンにも上るガレキは、全国各地の受け入れ処理を待ってはいられないのである。

 見渡す限りの田圃は、ガレキを除いた以外に震災後の手が加えられておらず。荒廃したままであり、塩分の除去など大変なことが待っていそうだ。目に入る田圃は1千町歩あまりだろうか。

 放射能もいまだに見通しがたっていない。
 今になってみると、水素爆発の可能性も原子力安全委員会では半ば常識化していたみたいだ。私のように民間で多少の水素を取り扱ったこともある者は水素は危なくないと思っていたのだ。在職の会社では水を電気分解して工業用の水素ガスを発生させていた。建屋の天井にはスキマがあった。原子炉格納建屋は密封度がよかったのだ。
 危なかったのは副産物の酸素の方が危険であった。燃焼には」燃えるもの」「温度」「酸素」が必要なのである。メルトダウンした核燃料では酸素の生成が同時におこなわれている。

 入社の頃に、水の電気分解による水素発生装置の清掃をやったことを回想ししているが。その後、10年ほどでなくなった。水素を販売してくれる業者がいたのである。(了)
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by watari41 | 2012-03-22 20:33 | Comments(6)

あれから一年(続)

 大震災があと2日遅れて3月13日だったら、私を含めてご町内の各位が命の危険にさらされていた可能性が高かった。その日に農協の地区移動総会・懇親会が相馬市の松川浦で行われる予定だった。
 ちょうど、その時間であると一杯機嫌で港近くの魚市場で買い物をしているはずだった。命拾いをしたことになる。その辺りは今や何もない。

 一年が過ぎた現在、わが町で最も放射能値の高いのが阿武隈川河川敷である。水道水もこれに頼っているのいで、高いはずなのだが検出されていない。どうしてかと思っていたら原因は簡単なことである。放射性物質はいずれも重い。セシューム137とか、その数字は原子量を表しいるのだから、水などよりもはるかに重い。従って底に沈んでしまう。阿武隈山系からドンドン雨水が流れ込んでいるはずだが、ある程度流れると、水は異常ナシとなってしまうようだ。

 昔から川の水は三尺流れれば澄むと言われていたことを回想している。これは汚水のことを言っている。上流で小便していても、だれも文句は言わなかったものだ。下流で洗濯などをしている人がいる。

 では、何故河川敷で高い値なのかというと、昨年の原発事故での放射能を排出後に、大雨の降ったことがあった。奈良県などでは大水害を起こした。阿武隈川も河川敷の上まで水がでた。その時に沈んだ放射能が河川敷の草や土に含まれてしまったのだと考えられるのである。
 従って、ダムの底などにはかなりのセシュームが蓄積しているそうである。通常ならダム底の栓を引き抜いてドロを吐き出すはずだが、それができないということなのである。

 海にしてもしかりである。海面近くの魚には比較的放射能は低い。海底の魚に多い。アイナメという底に近い魚には多いそうだ。昔はよく船に乗って釣り上げたことを回想している。その魚は岩場に住むので、針が根がかりして困ったものだ。同じ底魚でもカレイには少ないようで、これは底が砂場である所に住んでいるので海水の動きによって、底の砂も動かされるためだと説明されている。
 そんな解説が地元紙の記事にあり、私は一々うなずいていたのである。こんなことを心配するとは思いもよならいことだった。
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by watari41 | 2012-03-16 20:15 | Comments(2)

あれから一年

 千年に一度とも言われる大震災からようやく一年が過ぎたというのが実感である。あまりにいろんなことがありすぎて、一挙に10歳も年齢を加えたような気がしている。物忘れが特にひどくなった。

 3.11当日から、わが町では、電気も水道も止まった。私の住む町内会は150世帯余りである。明日からの飲料水に困るだろうということで、早速に1kwの自家発電機と井戸水を準備した町内会役員がいたのだから驚いた。翌12日朝から供給を開始し、22日まで続くことになる。当初は発電機のガソリンを心配した。百世帯もの方々が利用するのだから、フル稼働なのである。水を待つ行列には、見かけない顔もいた。海岸地帯から街中の親戚をたよってきた避難者である。

 電気の開通は15日だった。そこからはポンプモーターが動いたので楽になった。4日間もテレビを見ず、暗い夜を過ごしたのは、生涯の最初にして最後の経験となるのであろう。終戦前後にはランプを使ったことがある。明治17年生まれの祖母は、子供の手しか入らないランプガラスの黒くなったスス掃除が仕事だったと回想していたものだ。

 電気がないのだから電話も使えない。私はADSL回線である。町内で最も早く電話が通じたのは、旧式の電話回線のみしかない老人所帯の方であった。東京に連絡され、さらにそこから私の親戚へとつながったのである。緊急電話である171番を私の家にかけてくれた方も多かったのだと思うが、これも72時間後くらいには自動的に消されてしまうようだ。従って何の意味もなかったのである。

 昨日は、海岸地帯の自宅で津波にのまれて亡くなった同僚夫妻の墓参りに行ってきた。本堂からはお経が聞こえお盆の如き賑わいであった。
 海岸ではガレキの小山と共に新設された巨大な仮焼却プラントを目にした。外観はまるで製鉄所の溶鉱炉の如きものである。大手ゼネコンの施行で250億円もの巨費が投ぜられたものであるとのこと。このプラントでわが町の百万トンのガレキを焼却する作業費に建設費と同額をさらに要するというのだから驚く。

 日本各地ではガレキの引き受け手がないのだから、こんなムダの塊の如きプラントも止むを得ないのだろう。壮麗とも形容すべきこの近代プラントには、報道各社もまだ気がついていないようだが、そのうちに大きく取り上げられることだろう。これを持ってきた政治力には感嘆せざるを得ない。知事なのか地元国会議員なのか県会議員なのか、はたまた町長なのか? 
 どうせなら、東北一円のガレキを焼却するもっと巨大なものを建設すべきだったものだと思う。
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by watari41 | 2012-03-12 12:02 | Comments(4)

社会的災害

 大震災から間もなく一年が過ぎる。万人萬様の震災体験があった。自然災害や人災というよりも、今やガレキの受け入れなどを巡る社会的災害の如き印象を受けている。
 ここは、東北地方海岸沿いのJR常磐線が、仙台と東京・上野駅を結んでいる。もともと社会的基盤が極めて乏しいところである。そんなことが原子力発電所が林立する要因でもあった。しかし、それらは地域を活性化する何等の役目も果たすことはなかった。
 地域の疲弊は進む一方であった。当地では、特に南相馬市などで震災前に大きな話題だったのが、一日に何本かある、常磐線の仙台から上野に至る直通特急が2012年3月のダイヤ改正から無くなってしまうということだった。
 人為的な改正に至らずとも、放射能でこれから30年くらいは直通列車がなくいなってしまうのではなかろうか。
 社会的に弱いところは、益々弱くなり、人も住めなくなってしまうという結末になる。

 現代社会が大災害を作り出しているとも言える。JR福知山線の大惨事も、運転手のスピードオーバーに責任をかぶせるのでは、あまりにひどく、かと言って社長に刑事責任があるわけでもない。列車速度を上げざるを得なかった現代社会の仕組みにある。しかし新幹線の如く、災害対策に万全の備えをしているところもあり、要はその経済性なのであろう。新幹線料金は確かに高い。

 これからの心配は、これまた現代の社会的要請なのだろうが格安航空会社である。その価格に驚いている。これまでの航空会社で燃料ガソリンを扱ってきていた人の話では、航空機に納まるまでに少なくとも5回の不純物などの検査を受けているそうだ。格安航空の受け皿は保険会社なのだろうか。

 私が最初に各駅停車で常磐線で上野に向かったのは、もう50年以上も昔のことになる。当時でもわびしい福島県海岸の田舎駅が点々としていたことを回想している。直近では南相馬といわき市の間では、ワンマン列車が走っていて、その車両が仙台にやってくることもあり何だろうと思われたものである。

 社会的災害などという言葉など思いもつかない時代から、何でも社会の性にしたくなる時代がやってきている。社会と言うのはもともと個人の集まりにしかすぎないのだが。
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by watari41 | 2012-03-07 15:04 | Comments(4)

潰せない

 東京電力は、本来ならもう倒産してもおかしくない財務状況なのであろうが、巨大過ぎて潰せない。。社会的混乱が大きすぎるというのがその理由になっている。
 電力会社は、値上げによって会社を再建しようとしている。しかし国際競争があるわけでもないので、価格が現在より下がことはない。現状のままでも将来は十分に内部努力で財務改善は可能なのである。

 東北電力が社債を売り出した。当初は売れ残るのではないかと見られたが、完売された上に追加発行までしている。つまり電力料金の下がらないことが電力社債人気の源なのである。将来の安定感ありだと市場から見られている。販売価格が下がらないほど会社経営にありがたいことはない。

 大きすぎて潰せなかった例は、350年前にもあった。仙台藩の伊達騒動である。今なら首相官邸での銃撃事件にも相当する、時の大老酒井邸での仙台藩家老原田甲斐による刃傷事件であった。
 本来なら即刻取り潰しになってもおかしくないほどの大事件であったのだが、62万石を改易すると、世の中とんでもないことになりそうだというのが幕閣での結論だった。
 政宗以来の仙台藩主から大きな恩恵を受けている幕閣も多かったと言われ、今回の電力騒動と似ていなくもない。

 仙台藩は、その後に「米」を有力な商品として藩の直営事業のような形にした。最盛期には、江戸市中に出回る飯米の三分の一は仙台米だと言われたそうだ。これによって仙台藩は大いに潤ったのであるが、いわば官営での事業だったので、江戸時代における民間資本の蓄積が遅れてしまい、現在は百万都市であるが、江戸時代には、62万石にしては物足りない5万人程度の都市人口で、商業も活発ではなかったと言われる。そんなことが明治維新の時に大勢に乗り遅れてしまった一因であるともされるのである。

 現在も都市規模は大きいものの支店経済の街である。仙台で創立した会社は、どういうわけか大きくなれていない。在職した会社も今頃は一兆円企業になれる将来性ある商品をそろえていたが挫折した。

 仙台に本社のある企業としては第一位が東北電力で2,3位がなくて4位にどこの会社だとか言われた時代のあったことを回想している。現在も状況は変わっていない。
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by watari41 | 2012-03-02 15:09 | Comments(0)